第34話
翌朝起きると、今度は完全に体調が戻っていると確信出来るほど体が軽かった。念のため体温も測るが三十六度ジャスト。完全に平熱だ。昨夜も同じようなものだったから、一時的なものではないだろう。
「うわー、やっぱり今日会社行きたかったなぁ」
具合が悪いなら、申し訳ないと思いつつ療養に専念出来る。しかし元気になってるのに休むというのは何とも……、うーん。
時計を見るとまだ八時前だった。しかし今から出社するには遅いし、遅刻してまで行くのは逆に周囲に心配かけるかもしれない。
思いがけない休日が出来たと思おう。無理やりだけど。今日は休み。今まで頑張ったから。お休み。ダラダラ好きなことして過ごしていいんだ。うん、よし!
超適当な暗示を自分に掛けると、とりあえず朝食の準備を始める。ここ数日来人がしっかり作り置きしてくれたせいで、朝もちゃんと食べる習慣が戻ってきた。そうなると定期的に空腹を感じるから不思議だ。
冷蔵庫から卵とベーコンを出していると、テーブルの上のスマホが鳴った。ああ、やっぱり来人だ。
『おはよう、まだ寝てるかな』
起きてるわ、元気バリバリだわ。会社行きたかったわ!
『起きてる。おはよう』
『体調は?』
『昨日の夜からもう元気。熱も下がった。今日は完全に予備日になっちゃった』
『あはは、ヒマそうだね。会社行きたいんでしょ』
『何でも分かるね。でも矢崎さんから今日一日ゆっくりしろって言われて』
『何も無かったよね?昨日』
昨日?病院行ったよ。
『じゃなくて。矢崎さんと』
一瞬、返信の指が止まる。矢崎さんの帰り際の行動を思い出したから。でも一々言う必要は無い。
『別に何も』
そう返すと、何かを疑っているような表情のクマのスタンプが送られてきた。もうやだこの人。それとも私ってそんなに分かりやすいのか?
『来人は仕事でしょ。もう会社?』
『そらしたな。うん、もう会社着いてるよ。千早の後輩たち頑張ってるよ。復帰したら褒めてあげて』
これは嬉しい情報だった。あの三人なら問題ないとは思っていたが、クライアントから褒められるほどだとは思わなかった。
『ありがとう!たくさん褒める!』
『そこまでじゃないけどね。千早がいないにしては、ってくらいだけど』
なんだよ、喜ばせておいて。
『明日には出社するんで、今日まではよろしくお願いします』
そう送って、メッセージアプリを閉じた。
自由に使える一日が出来た。何をしよう。
窓から外を見ると今日も快晴だ。普段外出する習慣が無いからこういう時でもどこかへ出掛ける、という案が出てこない。
しかし病み上がりなのだから、ここは自分の『日常』に従ったほうがいい。
家に居てすることは……、と、部屋を眺め、思いついたのは掃除と洗濯で、誰もいないのに急に恥ずかしくなり、一人で笑った。
◇◆◇
溜まっていた家事を片付け、昼食を済ませるといつの間にか寝入っていたらしい。気が付けば外は真っ暗で、私は慌てて洗濯物を取り込みカーテンを閉めた。
時計を見ると夜の七時近かった。そうだ、夕食……。昼寝から目が覚めた時特有の怠さに心も体も支配されていて、とても料理をする気分になれない。
仕方ない、何か買いに行こうか。
風邪がぶり返さないよう厚着をして家を出た。
コンビニ弁当は食指が動かなかったので、珍しく駅前まで足をのばす。丁度仕事帰りの人達で混み合っていた。
大きめのショッピングセンターの地下へ行く。都心の有名デパートほどではないがそこそこ美味しい店の惣菜が並ぶ。サラダとグラタンを買い、ついでに本屋も寄ろうとエスカレーターへ乗った。
本屋は最上階なので、何度もエスカレーターを乗り継ぐ。やっと目的階に着いて歩き出すと、横から来た人と微かにぶつかってしまった。
「あっ、すみません」
「いえ、こちらこ……」
互いに謝りあい顔を見合わせ、驚いた。
私がぶつかった相手は、真子と手を繋いだ
◇◆◇
無事目的の本を手に入れて、私は家路に着く。本が重かったせいか、家に着いたらくたびれてしまった。
買ってきたものを袋から出しながら、数刻前の二人とのやり取りを思い出していた。
「あ、えと、あの……、お疲れ様」
自分の口から出てきた言葉が、あまりに間抜けで力が抜けた。しかし森も真子も固まったままだ。
「ちょ、ちょっとあっち行こうか」
思いきり通路で立ち止まってしまっていたので、通行人の邪魔にならないよう、本屋併設のカフェに二人を誘うと黙ってついてきた。
「えーっと、二人って、付き合ってるの?」
手を繋いで会社から離れた場所に二人でいるんだから他に関係性に見当がつかないが、念のため確認すると若干青ざめながら真子が頷いた。
「はい、あの……、秋くらいか、です。……ね?」
真子が森を振り向く。森は真子とは違い、どちらかというと恥ずかしそうに、しかし嬉しさを隠さずに頷いた。
「すいません、隠すつもりはなかったんですが、わざわざ言う必要もないかな、って二人で相談して……」
「あ、いやいや、付き合ってたことを責めてるわけじゃないから」
私は二人が勘違いしないうちに慌てて否定する。うちは特に社内恋愛は禁止していない。大体マネージャ職の矢崎さんがあの調子だし。
「ただちょっと、びっくりして……」
自分を落ち着かせるためコーヒーを一口飲む。薄めであまり美味しくない。
私は佳代のことを思い出しながら、二人を見ることが出来ずにいた。
「そうだ、チーフ、体調は大丈夫ですか?」
森が心から気遣うような声音で訪ねてきた。そうだわ、私体調不良で欠勤中だった。
「うん、もう大丈夫。今日も行こうと思えば行けたんだけど、矢崎さんから休むようにって言われて休養させてもらったの。明日からは出社するね」
すると森はホッとしたように笑った。
「良かった。やっぱりチーフがいないとちょっと不安で」
社交辞令か、しかし必要とされている気がして嬉しい。
「三人ならきっと問題なかったでしょ。でも明日改めて聞くね」
「はい、よろしくお願いします」
そこまで言うと、また沈黙が場を支配した。
これは……、とりあえず解散したほうがいいかな。佳代の件を私が知っているとは思っていないだろう。しかしこれだけは聞いておかなきゃ。
「あのね、社内恋愛はもちろん禁止じゃないから全然構わないんだけど、二人が付き合ってること、私以外に知ってる人、いる?」
すると真子が
「いえ、誰にも話していませんし、こうして外で知り合いに会うのも初めてです」
「そっか。分かった、ありがとう」
そこで二人とは別れた。
買ってきたグラタンを温めながら再び思案する。すぐに佳代の耳に入る恐れはないだろうが、明日にでも森にくぎを刺したほうがいいだろうか。それとも私は下手に介入しないほうがいいだろうか。
一度は手を離れたと思った悩みがまた戻ってきた。やっぱり慣れないこと(外出)はするもんじゃない。
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