第35話

 三日、いや土日を入れると五日ぶりの出勤は、初出社の日のように新鮮だ。裏を返せばちょっと緊張してる。あれこれ言われるのかなぁ、ああもう二度と体調崩したりするもんか。

 いつも朝食を食べているカフェに入る。馴染みの店員さんが驚いたような顔をして声を掛けてくれた。


「おはようございます!お久しぶりですよねー。ご注文はいつもと同じで大丈夫ですか?」

「おはようございます。はい、いつもので」

 あまり突っ込まれなくてホッとするが、それが当たり前だ。ただの客と店員さんなのだから。こんなところでまでビクビクしている自分が情けない。

 毎朝食べているミルクビスケットとホットコーヒーを持っていつもの席に座る。冷えた体に温かいコーヒーが染み入って頭も冴えてくる。いつも通りの行動が、少しずつ緊張をほぐしてくれることが分かる。


 緊張してる場合じゃないわ、三日の遅れを取り戻さないと。

 時計代わりにスマホを取り出すと、メッセージランプがついていた。来人だった。


『おはよう。五日ぶりの出社で固くなってるかもしれないけど無理しないでね。無理してぶり返したら意味ないよ』


 ギクリ。確かにその通りだ。つい忘れかけていた自分の体調にくぎを刺され一気に頭が回り始める。また先回りされて癪でもあるが、ここは素直に感謝しておこう。


『おはよう。うん、今日明日は定時退社目標にするよ。ありがとう』

『どういたしまして。看病のお礼は?』

『もちろん。何がいい?』

『え?いいの?てっきり金曜日拉致ったこと怒ってるのかと』

『ああ、あったねそんなこと』

『なんだ、言わなきゃよかったw』

『でもその後色々お世話になったしね。何か考えておいて』

『りょーかい!じゃあ頑張ってね。あ、成瀬さんにメール送ってありますのでご確認お願いします』


 最後だけ仕事モードの連絡でちょっと笑った。敬礼したウサギのスタンプを送って、画面を閉じた。ぬるくなり始めたコーヒーを流し込んで、普段より少しだけ早くオフィスへ向かった。


◇◆◇


「おはようございます」

 やはり社員はまだ誰もいず、いつも通り清掃担当の山本さんが黙々と掃除機を掛けていた。

「あらー、成瀬さん!久しぶりじゃない。風邪ひいてたんだって?」

 ありゃ、誰が言ったんだ。

「すみません、ご迷惑を……」

「やだねー、迷惑なんて。心配はしたけどね。もう大丈夫なの?」

「お陰様で。万全を期するために三日お休み頂きました」

 山本さんはバンバンと私の背を叩くと、また清掃に戻って行った。豪快な挨拶に息をするのが楽になる。


 自分のパソコンを取り出し、メールソフトを開く。メール受信が止まらない。きっと急ぎのものは誰かが返信してくれているだろうけど、状況把握のために全部目を通さなくては。せめてパソコンだけでも持ち帰っていれば……、しかしまさかの欠勤だったしなぁ。

 怒涛の新着メールの、一番上が来人からのものだった。先週の打ち合わせ内容でマックス社の最終決裁が下りたとの報告だった。内容を見ると、佳代達が数度やり取りしてくれていたらしい。やはり来人の言う通り、ちゃんと進めてくれていたことが分かって嬉しくなった。


 それと同時に、昨日の森・真子の手つなぎデートを思い出す。真子はもちろん佳代の気持ちは知らないだろうし、森は佳代が私に相談したこと、佳代が森に告白してフラれたと聞いているとは知らない。そして当然、佳代は森の彼女が真子だとは知らない……。

 何だこの見事な三角関係。そしてオミソで巻き込まれた私。

 人より早めに仕事に取り掛かるために早く来たのに、違うことに時間食われている状況にも、ため息が漏れてしまった。


◇◆◇


 ぽつぽつオフィスに人が入ってくる。関わりが多い社員は私の顔を見て驚いたように声を掛けてくれる。これが始業まで続いて、有難いのと同時に心苦しかった。早く終わってくれ。

 オオトリは矢崎さん。

「やあ、元気になったね。といっても二日ぶりだけどね」

 言わなくていいです。誰かに聞こえてると困るので。

「ご迷惑をおかけしました。もう完全に復調したので今日からまた頑張ります」

 余計なことは考えない思い出さない。しっかりと仕事の顔を取り戻しお辞儀をする。顔を上げると今までより五センチは近い場所にいる矢崎さんが笑っていた。

「いきなり無理しないで。マックスのほうは三人に任せておけばいいからね」

 ……何故か、今までとは違う意味を込めて三人に押し付けているよう聞こえる。私が察したことに気づいたらしい矢崎さんが、私にだけ聞こえるように言った。

「当然だろ。ライバルと君が関わる時間は少ないほうがいいからね」

 私は呆気にとられる。そりゃそうだろう。

「矢崎さん、私は公私混同するつもりないですよ」

「もちろん、成瀬さんのことは信用してるよ。でもあっちが混同してくるんだから、予防線は張るべきだろ」

 ああ、まあ……、来人はね。

「ということで、三人の成長促進のためにも、少し遠くから見守ってやって」

 そう言うことなら。私は頷いて、自席へ戻った。


◇◆◇


 進捗確認とマックス社案件についての打ち合わせで午前中が終わった。仕事していると時間が過ぎるのが本当にあっという間だ。特に午前中は。

 のんびりとした昼休憩のチャイムを聞きながら、視界を森達が横切る。会社では完全に『同期』としての距離感を保って二人きりにはならないようだ。それはやはり、森が佳代に配慮しているのかもしれない。基本、うちの会社は社内恋愛に対して寛容だ。


 佳代と真子がお弁当らしき手荷物を持って出て行くのを見届けると、私もランチへ行くために立ち上がった。ついため息を漏らしてしまったところで、矢崎さんに肩を叩かれた。


「これからランチ?一緒に行こうか」

 ……えー、一人がいいんですけど。でも、まさか上司の誘いは断れないよね。

 私の『えー』にはちっとも気づいていないのか気づかないふりをしているのか、矢崎さんはすぐに歩き始めた。仕方がない、ついて行こう。

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