第69話

「もしもし」

『答え出た?』

 せっかちか。まだあれから数時間しか経ってないよ。

「無理」

『無理って言うか、考えたくないんじゃないの?千早は』


 私は来人の言葉にため息を吐く。逃げてるのはやはり感づかれていたか。


「矢崎さんの言うことも分かるけど、今考えたくない。無理に答え出すと、間違えそうで怖い」

『そうだね……そのまま矢崎さんに言えば?それが千早の答えでしょ』

「……それでいいと思う?問題を棚上げしてるだけな気がしてモヤモヤする」

『それは仕方ないよ。急ぎたくないならそのモヤモヤと一緒にいるしかないよ』


 心が疲れている時には結構しんどいことを言われているようにも感じたが、私は何故か電話を終わらせたくなかった。ずっと来人と話していたくなった。

 そしてそれに気が付いた時、驚いて声が出そうになった。


『……どうしたの?』

「な、何が……?」

『なんか今びっくりしてた? お客さん?』

「ううん、誰も来てないよ。大丈夫」


 電話越しなのに、私の挙動にどうして気が付くんだろう。声は出していないのに。


「なんで分かるの」

『うん?』

「私が今驚いた、って」

『全集中?』

 聞いたことあるね。

『好きな人と電話してるんだよ、一つの言葉も気配も漏らさないように耳を澄ませるのは当然だよ』


 好きな人。

 昼間も似たようなことを言われて、居心地が悪くなったのを思い出す。だけど今は。


「来人、もうご飯食べた?」

『いや、これから』


 私はすう、と静かに息を吸って、吐く息と一緒に一気に言った。


「これから一緒に食べに行かない?」


◇◆◇


 お酒が飲みたいから、と、来人は電車で来ると言い出した。私たちは駅前で待ち合わせをする。

 土曜日の夜だからか駅前には平日の五割増しで人が多かった。休日の夜にここに来るのはほぼないので、まるで知らない街にいるようだ。


 でも私はここで待ち合わせをしている。自分から誘って。ついさっき思いついて。

 その何もかもが自分らしくなくて落ち着かない。

 早く来人来ないかな。

 必要ない時に突然現れるくせにこういう時はギリギリかい。


 所在なく用もないスマホをいじって時間を潰していたところへ、来人が走ってやってきた。

「ご、ごめ……ん、おそくなっ……た」

 どれくらいの距離を走ってきたのか、この季節に汗びっしょりで肩で息をしている。

「大丈夫?全力疾走してきたみたいだよ」

「いや……、みたいじゃなくて、はしっ、て、きた……途中、から……」

 なんでまた。遅れるなら連絡くれればいいだけなのに。

「いやだよ、だってせっか、く……、千早が、誘って、くれた、のに……」

 変な子。まいいや。

「外でご飯食べようかと思ったけど……、そのままじゃ風邪ひきそうね。ウチでシャワーでも浴びる?つっても着替えは無いけど」


 シャツで額の汗をぬぐいながら、驚いたような顔で来人がこちらを見つめる。でも笑って首を振った。

「大丈夫だよ、これくらい。ふう……。あ、近くに良さそうな店があったから予約してあるんだ、行こう」

 そう言うと、周囲は厚手のコート姿ばかりの中、体から湯気を立ち上らせながらシャツ一枚になった来人は、私の手を引いて歩き出した。


 手もびっしょりだ。


◇◆◇


「千早は個室のほうが落ち着くかなって」


 来人が連れてきてくれたのは、新しく出来た商業ビルの最上階にあるビストロだった。個室ではないが、四人掛けくらいのテーブルが全てブース形式になっているので他の客の目線を感じなくて済む、私には気楽な店だった。


「一度帰ってもらったのに、また呼びだしてごめんね」

 来人が選んだワインで乾杯しながら一応詫びておく。

「全然構わない。むしろ一日に二回会えたことが嬉しい。千早ならアポなしの呼び出し大歓迎だよ」

 掛け値なしの全開の笑顔でグラスを傾けながら話す来人に圧倒される。誤魔化し紛れにさっき『みやこ』にしたのと同じ質問をしたくなった。


「来人にとって、友達や同僚と恋人って、どう違うの?」

 みやこは『唯一の人』みたいなことを言っていたのを思い浮かべながら、切り出してみた。

 来人はグラスを置いて、こちらに身を乗り出すように腕を組みながら覗き込んできた。

「千早はまずそこからか。うん、ずっと考えてたんだね」

「……初歩的ですみません」

「謝ることじゃ……。でも俺も答えられるほど恋愛経験ないんだよね」

「……そうなの?」

 まさか来人も? いやいや、でも私レベルであるはずはない。

「そうだよ。今だって絶賛片想い中だしね」

 生ウィンクなんて初めて見た。エスパーだけじゃなくて外国人かい。

「俺が言えるのは、今の千早に対する気持ちだけかな。ダチや同僚は、好きだけど自分とは別個の人間。一緒にいる時はもちろん相手に配慮するけどそこまで。でも千早は違う」

 

 私は?

 ずるい。私の名前を出してから、何故か来人は黙ってしまった。


「私は、どう違うの?」

「……知りたい?」

「勉強中の身なので」

「色気ねぇなぁ……。まだダメ」

 は?

「ずっと俺ばっか告ってるもん。千早は俺のことどう思ってるの?何でもいいよ、一言でもいい、今の気持ちを教えて欲しい。そしたら言うよ」


 ずるい。

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