第47話
店を出る前に一度化粧室へ行くと来人へ断って個室を出る。近所に大きな神社がないとはいえ、三が日だからかどの部屋も埋まっているようだった。
用を済ませて化粧室を出たところで、脚が止まった。いや、脚どころか、鼓動も時間も何もかも止まった気がした。
どうして……。
「やだー、また千早じゃん。何やってんのこんなとこで」
冬らしからぬパステルカラーのワンピースを着た姉・百花だった。しかしこの季節には珍しいからこそ目を引く。そういうことを常に意識している彼女らしい装いだ。反対に黒いニットワンピースの私は、姉の視界から逃れるように更に陰に隠れる。が、当然意味はなかった。
「また真っ黒な服着てる。相変わらずよねー。でも陰キャ?なあんたにはぴったりの色よね。目立たなくて地味で野暮ったくて。自分に似合う色を選ぶセンスはあるのね、キモオタのくせに」
言いながらどんどん目つきが変わっていく。獲物を見つけた爬虫類のようだ。姉は私より十センチは背が低く顔も目も小さい。その小さな目が吊り上がりながらこっちを睨みつけてくる顔が、子どもの頃から怪談の妖怪より怖かった。それは、今も、だ。
背が高い私から見下ろされるのが不快なのか、小柄な体からは想像できないようなものすごい力で肩を押さえつけられた。震えていた私の脚は突然の加重に耐えられず、そのままストン、と座り込んでしまった。
「昔っからムカついてたのよねー、なんであんた妹の癖に私より背高いの?なんかいつも見下ろされてて不愉快なのよね」
何も言葉を発せずにいる私に、どんどん暴言を投げつけてくるが、何も言い返せない。言い返したところで意味がないこと、この姉を黙らせるほどの言葉はそもそも私には思いつかないこと。子どもの頃からの失敗体験が私を無力化させていく。
「大体なんでこんなとこいるの?ぼっちの引きこもりが、まさか一人飯?だっさー!家でカップラーメンでも食べてればいいのよ、ダメ人間の癖に!」
私の肩を掴んでいた姉の手が肩から離れる。ぶたれる!と思い強く目を瞑った瞬間、私に覆いかぶさっていた姉の影が消えた。
「俺の千早に何してんだよババア」
声に驚いて目を開けると、予想通り私に振り下ろそうとしていた姉の手をねじり上げている来人がいた。
「いっ、痛い!ちょっと!離しなさいよ!!」
金切り声を上げる姉を、来人はあっさり離す。というより、片手で放り投げた。勢い余った姉はたたらを踏んで私とは反対側の廊下へひっくり返った。
「ちょっと!あんた何なの?!」
「何なの、は、てめえだろ」
来人の声も顔も語気も、まるで別人のように荒々しく、怒りが籠っていることに更に驚いた。
「千早がどこで誰と飯食おうが関係ねーだろ。ちんちくりんのドブスが似合わないワンピース着てイキがってんじゃねーよ。二度と千早の前に現れるな、ゴミが」
え、ええ?何これ、来人なの?ほんとに?
まるでテレビに出てくるチンピラだ。あれ、もしかしてそういう過去持ち?とか思っちゃうじゃん。
姉の登場だけでも腰が抜けてたのに、来人の乱入と別人のような豹変ぶり、そして見たことが無いほど狼狽している姉の様子に完全に混乱していた。
しかしそんな私達をよそに、来人は私へ振り返って手を差し伸べる。その顔は、いつもの来人だった。へたり込んだ私の両手を取って、ゆっくり立ち上がらせてくれる。
「大丈夫?あーあ、お尻、埃ついちゃってる。はたいていい?」
黒い服だから些細な塵も拾ってしまうのだろう、来人は丁寧に汚れを払ってくれた。そして私の肩を優しく抱くと、姉との間に壁のように立ちはだかって横を通り過ぎる。私は生まれたての仔鹿状態でカクカクしながら、それでも必死に自力で歩いて来人についていった。
「ちょっと!勝手に帰るじゃないわよ!」
しかし後ろから姉に呼び止められ、再び私の全神経が姉に向けられた。でも姉のターゲットは私ではなかった。大股でどかどかと近づいてくると、来人の腕を引っ張って自分のほうへ振り向かせる。
「私は千早の姉なのよ!何か挨拶とか無いわけ?!」
そのセリフに思わず(さすがお姉ちゃん)と感心してしまう。この状況で自分に挨拶しろとか思うか普通。
唖然とする私とは反対に、再びチンピラモードに切り替わった来人が私を背に庇いながら言い返した。
「あんたが千早の姉貴?」
上から下まで姉をじっくり眺める。何度も。合計三往復くらい。そしてブホッっと吹き出した。
「まじで?!どこが?全然似てねーじゃん。笑えるわー。あ、親が違うとか?実は血繋がってねーだろ、だって同じ遺伝子どこからも感じないわ」
そう言うとまた大爆笑。さすがに騒ぎ過ぎたのか、仲居さんらしき和服姿の女性が様子を見ている。お店に迷惑をかけるわけにはいかない。そして、来人にも。
私はそっと彼の服の裾を引っ張る。もう行こう、という合図のつもりで。しかし来人は私のその手をそっと握って、もう一度姉に向き直った。
「どう見ても姉妹なんかじゃないね。千早が月の女神なら、あんた鼻毛だよ。それくらい違うわ。立場弁えろよ、オネーチャン」
そう言い捨てると、青くなったり赤くなったりして震えている姉を無視して、私の手を引いて外へ連れ出してくれた。
私は来人の手を、離すことが出来なかった。離すどころか、まるで命綱に縋るように、彼よりももっと強い力で、その大きな手を握りしめていた。
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