第8話

 帰社後も、佳代からチラチラ見られているようで落ち着かなかった。

 もー、言いたいことがあるなら(あるんだろうし予想はつくけど)いっそのことこの前みたいに直接切り出してほしい……。どうも最近の私の態度に納得がいかないようなんだけど、別に佳代を評価していないわけでも、真子のほうを高く評価してるわけでもないんだけどなぁ。人事考課もまだ先だし……。


 ランチの間も、森の彼女とのデートの話しかしていない。仕事には一切触れていないから、私が認識している以上のは起きてないと思うんだけどなぁ。

 ああ、考えていたら胃がチクチクしてきた。普段からブラックコーヒーばかり飲んでるのがいけないんだ。そうだ、これはコーヒーのせいだ……。


 無理やり考えないようにしていたら、そっと肩をを叩かれて、振り向くと矢崎マネージャーがいた。


「成瀬さん、今少し大丈夫?」

 え、な、なんだろう??なんかやった?

 だんだん心がビクビクしてきて、ネガティブな想定しか出来なくなってきた。

「はい……。あの」

「ああ、そんな重大な話じゃないから。……そうだな、会議室っていうのもあれだから、1階のカフェに行こうか」

 にっこり爽やかに微笑まれては断れない。私は財布とスマホだけ持って矢崎マネージャーの後ろに従った。




「今日はマックス社訪問、ご苦労様」

「いえ。初回ですので、先日目を通していただいた資料についてご説明してご検討を依頼したところまでで終わりました」

「うん、先方からのメールでもとても満足していらっしゃったね」

 そのメールは私にも届いていたので目を通している。たまに重箱の隅をつつくようなクライエントもいるが、今回のクライエントはそういう感じでは無さそうなので助かる。


「で、呼び出したのはこの件じゃないんだ」

 矢崎さんは持っていたカップを戻して、私に向き直った。急に緊張してきたぞ、ああ、また胃が……。

「成瀬さん、何か、あった?」

 ……へ?

「な、何かと申しますと……」

 胃が痛い件かな?でもそんなのついさっきからだし。

「うん、最近ちょっと元気なさそうだから。週明けくらいからかな、もしプライベートなことだったら聞くのも申し訳ないかと思って黙ってたけど……。さすがに心配になってね」


 週明け、と言われてピンときた。というかなんでさっき思い当たらなかったんだろう。佳代のことに決まってるじゃん。

 よく見てるよなぁ……。普段の仕事っぷりだけじゃない、尊敬するところだらけだわ。そして佳代のほうじゃなくてこっちに確認してくれたのも有難い。

 後輩の要望一つ満足に捌けないなんて情けない話だが、もしこれが矢崎さんだったら、と思ったら、急に頼りたくなって、つい話始めてしまった。


「今回のマックス社の件、事前にご相談した通りの担当割をしたんですが、あるメンバーから不服申し立てがありまして……。ただこちらとしても万遍なく経験を積んで欲しいから、というのと、全体統括は私がやるのでプロジェクト自体への不安はないことを伝えたのですが、どうにも、納得してもらえないようで」


 今日もなぁ、クライエントの前で真子を褒めちゃったもんな。あれもまた気にしてるんだろうな。

 “思い出し溜め息”をついていると、矢崎さんが小さく苦笑する様子が分かった。

「なるほど……。まあ大体誰かは想像つくけどね」

 ですよねー、あの三人ならそういうこと言いそうなの一人しかいないもん。

「で?その話をした後は?」

「直接こっちへ言ってくることはないです。メンバー間の関係性に変化も無さそうだし、あえて私からは声かけしていません。自分で解決策を考えてくれることを期待して」

 矢崎さんはうんうんと頷きながら聞いてくれる。

 

「あの、もし矢崎さんだったら、どうしますか?」

「え?俺だったら?」

 私の質問に、うーん、と唸りながら腕組みをして、暫し考え込んでいたが、すぐ話始めてくれた。

「俺でもやっぱり同じようにするかなぁ。子供じゃないんだしね。これで業務に支障が出るならこっちから指導なりアドバイスなり入れるけど、それは大丈夫なんだろ?」

「はい」

「じゃあ、理由も説明してあるんだし、現時点では出来ることはないよ。信じて見守ってあげよう」

 ああ、良かった……。もし自分じゃなければ、という可能性を、無意識に気にし続けていたらしく、矢崎さんの言葉を聞いてやっと安心出来た。


「そう言っていただけて良かったです。今日もちょっと……、気になることがあったので」

「どんなこと?」

「あ、いえいえ、本当に些細なことで、直接その人から私に何か言って来たわけではありませんから、私の考えすぎかもしれないですが」

「……そうか。まあ、成瀬さんも忙しいんだし、あまり抱え込み過ぎないで。何かあればいつでも話は聞くし、直接言いづらいことは俺が言ってもいいんだし」


 矢崎さんの申し出は、とてもありがたいが言葉通りに受け取るわけにはいかない。どんなに胃が痛くなろうが、言うべきことは私が言わねばならない。でも感謝は伝えないと。

「万が一その時はよろしくお願いします。いつもすみません」

「すみません、じゃなくて、そういう時はありがとう、って言って欲しいな」

 矢崎さんはそう言うと、長い脚を組みかえてより一層優しく笑った。

「確かに役職は違うけど、ずっと一緒にやってきた仲間だし、大学の同窓でもあるんだから、もっと頼ってくれていいんだよ」


 ここまで言ってもらったら、もう矢崎さんが神に見えてくる。頭頂部はふさふさなのに光って見てきたわ。

「十分頼ってます。矢崎さんこそめちゃくちゃ忙しいのに、業務時間中にこんなお時間取らせちゃってすみません」

「ん?じゃあ今度は業務時間外にしようか」

 悩み相談なら残業とも言わないだろう。そのほうが迷惑度が下がりそうな気がして、大きく頷く。

「よろしくお願いします」

 そういう機会があれば、だけど。この件も含めて、もうそうそう情けない姿は見せられない。


「じゃあ、いつにする?」

 は?

「今週末でいいか。成瀬さんいつも定時になるととっとと帰っちゃうけど、この日は帰らないで待っててね」

 ……なんのことでしょう?

「店は俺が手配するから、食事でも行こうよ。もちろん成瀬さんに相応しい店を選ぶから心配しないで」

 ……はいー?!

 

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