第38話
のろのろと立ち上がって寝室へ行く。ジャケットを脱ぐのすら気合が要る。やっと部屋着に着替え終わったところで、インターフォンが鳴った。
「はい……、あれ?どうしたの?」
来人だった。
『行くって言ったじゃん。入れてくれる?』
いいけど……。私はセキュリティを解除して、玄関も開けた。
やってきた来人は、手に山ほどデパートの袋やら花束やら、果ては袋からはみ出るくらい大きなぬいぐるみまで抱えていた。
「……サンタさん?」
「いや……、なんか、何持っていけばいいか分かんなくってさ。パニクって手当たり次第買ってきた」
どんな基準で、ぬいぐるみ?
思わずじーっと見つめてしまったら、袋から出して渡してくれた。もふっとした手触りと可愛らしげな容姿に心が和む。
「ぬいぐるみなんて、小学生以来だよ」
「うん、だからいいかな、って。この前ここ来た時、そういう可愛い系グッズ何も無かったからさ」
「無かったら興味ないのかな、とは思わなかったの?」
ふわふわの頭を撫でながらそう問い返した時、ぬいぐるみごと来人に抱き寄せられた。
「興味が無いから置いてない、ってこともあるだろうけど、千早はそう言うタイプじゃないだろうなって思ってさ」
とても優しく引っ張られたから逃げようと思えば逃げられた。でもそれ以上力を入れる様子が無い来人に安心したのか、単に手の温かさが気持ち良かったからなのか、ぬいぐるみに顔を押し付けたまま私はそのまま動くことが出来なかった。
◇◆◇
「ほら、どんどん食べろ。なんか痩せたんじゃないか?目の下にクマ出来てるぞ。五日も寝まくったくせになんでクマ作ってんだよ」
来人は次から次へと料理を私の皿に乗せていく。その横でゴリゴリ生姜を下ろす。生姜紅茶を作り貯めすると言ってきかないのだ。
「あのー、そんなに食べられないんだけど」
「時間かけていいから食べろ。栄養不足なんだよ、体も心も」
そう言うと、今度はコップ一杯の青汁を差し出す。えー……、これも?と目で訴えたが、飲むまで見張ってる。仕方ない。
「何があったかは、千早が俺に話していいと思うまでは聞かない。だからその代わり全部食って、俺を安心させろ。じゃなきゃ泊りがけで面倒みるぞ。俺はそれでもいいんだけどな?」
食べかけのチンジャオロースが喉に詰まる。ちょっとまってそれは勘弁。
「……全部食べます」
既に腹十一分目くらいになってるんだけどな、でも色々栄養不足っていうのは自覚した。仕事に復帰したい、そればかり考えていて、自分の体を癒すことはほとんど眼中になかった五日間だったから。
「よしよし……。俺も食っていい?」
「もちろん!ていうかたくさん食べて!お願いだから!」
「じゃあ、食器借りるね。いただきます」
きちんと手を合わせてから手を付け始めた来人の仕草に、何故かホッとした。ごく自然な動きから、普段からそうしていることが伝わってくる。私もそうだから。
綺麗な箸使いで料理を口に運ぶ来人を見ていたら、姉と重なって見えてきて驚いた。何故だ。姉は、来人とは正反対の人間なのに。
思わず目を固く瞑って頭を振り、幻覚を振り払おうとする。その頭に、来人の大きな手が乗っかってきた。
「無理すんな。無理に考えなくてもいいし、無理に逃げなくていい。もし千早に危害を加える人間がいるなら、次からは俺が必ず守る。だから一人で戦おうとするな」
来人の言葉の、一言一句に絶句した。どうして……。
「なんで……」
そんなこと言うの?
それは全て、自分で自分に言い聞かせてきたことだった。そして、私なんかを守るって言ってくれる人なんているのだろうか、と落ち込んだりもした。結局自分は自分で守るしかないと結論付けて、今まで生きてきた。
あまりの衝撃に、久しぶりに姉に遭遇したショックも吹き飛んでしまった。気が付けば、箸を放り出して両手で顔を覆って大泣きしていた。
来人は、私の言葉には何も返さなかった。ただずっと、小さな子を宥めるように、テーブル越しに頭を撫で続けてくれた。
それ以上近づいてこない彼に安心して、私はやっと、一人で泣いたときの何倍も、心ゆくまで涙を吐き出し続けることが出来たのだった。
思う存分泣きつくすと、今度は自分史上最高の恥ずかしさが込み上げてきた。
ど、ど、どうしよう……。顔があげられない。恥ずかしい。みっともない。ていうかきっとすごい顔になってるはず。鼻水も……。ティッシュは、ああ、来人の横だ畜生。
泣き止んでいるにもかかわらず顔を上げようとしない私の心情にも気づいたらしい来人がくつくつと笑っているのが分かった。
「ずびばぜんがディッジュどっでぐだざい」
今は涙より鼻水が危機だ。息が出来ない、死ぬ。
ずびずび状態でティッシュを所望した私に、来人の爆笑が弾けた。
「あーっはっは、あはは……、やばい、千早が……」
笑い過ぎだっつの。
腹を抱えて大笑いしながら、真横にある箱ティッシュを渡してくれる。助かった……。来人に顔が見えないよう、箱を抱えたまま後ろを向いて、盛大に鼻をかむ。ぶびーっ!という音でまた来人が爆笑した。
「笑い過ぎ」
鼻水は止まったけど、真っ赤に腫れあがっているだろう目をしたまま来人を睨みつけるが、むしろ嬉しそうに笑ってじっとこっちを見つめてくる。
「ごめん、でも、すっきりした?鼻水じゃなくて」
そう言うと、何か思い出したのか、また大声で爆笑する。思い出し笑いは性格悪いぞ。
「……ごめん、止まらないや……。じゃ、とっとと食べたら、次は心の栄養補給しようか」
心の?
分からん、という私の顔を読み取ったのか、来人は自分のカバンから一枚のDVDを取り出した。
「非売品のOVA。千早、見たいって言ってたろ」
ニヤッと笑って、ほれほれ、と言いたげに左右にケースを振る。表紙のど真ん中にはルキウス様。私が来人の言いなりになったのは言うまでもない。
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