第13話
「さすが、仕事早いねー。うちのチームがいつも業績いいのは成瀬さんのおかげだね」
「いいえ、そんな。こんな時間になっちゃってすみません」
八時の時点で『あと一時間』と言っていたのに、休憩を取ったこともあるが気が付けば時計は夜の十時近くなっていた。
椅子から立ち上がってコキコキ関節を鳴らしながら、矢崎さんは自分のデスクを片付け始める。私は二人のコーヒーカップを持って給湯室へ行く。エレベーターホールとトイレ以外は真っ暗だ。うちの会社は本当に皆帰宅が早い。同業他社は24時間不夜城のように電気が付いているオフィスだって多いのだが。
カップを洗い終わって戻ると、矢崎さんは帰り支度を済ませていた。
「お付き合いさせてしまってすみませんでした。お疲れ様でした」
見送るために頭を下げると、矢崎さんは怪訝な顔をした。
「まさか成瀬さんまだ残るつもり?」
「いいえ、私も片付けて帰りますけど」
「じゃあ待ってるよ。送るから、一緒に帰ろう」
「え?!いえ、そんな!大体矢崎さんとうちって反対方向じゃないですか」
あ、最寄り駅までってこと?でも地下鉄の入口なんて1,2分で着きますが……。
「こんな時間まで働いたんだ。満員電車で帰るなんて疲れるよ。ここはマネージャー特権でタクシー使おう。ほらほら、早く片付けよう」
あわあわする私をよそに、書類を片付けたりパソコンのケーブルをまとめたりし始めたので、私は慌てて自分のデスクを片付け始めた。
「なんか本当に、何もかもすみません……」
この間愚痴をこぼしたことで心配をかけたのか、もしかしたらリーダーの資質として不安を感じさせてしまったかもしれない。そう考えると落ち込むが、自分の力量不足なのだから仕方がない、か……。
「ほら、また謝った。そこはお礼を言って欲しいって、この前も言ったよな?」
私の懸念をよそに、ん?と確認するように覗き込んでくる矢崎さんに、突然ドキッとする。な、なんか最近やけに優しい、っていうか、矢崎さんってこんな人だったっけ?
「あ、あの……、アリガトウゴザイマス」
急に緊張して、子どもの棒読みみたいな言い方でお礼を言った。しまった、全然心籠ってるように聞こえない。めっちゃ感謝してるんですけど!
しかし私の棒読みも気にしないのか、矢崎さんはさっきよりもっと嬉しそうに笑って、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「よくできました。じゃあ、帰ろう」
気が付くと私のコートを持っていて、後ろに回って着せかけてくれた。
「成瀬さん、いつもおしゃれだよね。若い子たちが皆噂してるよ」
「いえ、そんな……。買い物に行くのが面倒で、実はほぼネット通販で……。って、褒めてくれる人に暴露しないほうがいいですかね」
自分に似合う色やデザインがよく分からず、以前デパートで薦められたものとよく似たデザインを買い続けているだけだ。そりゃ褒められるだろう、プロのセンスだもん。
「アハハ、本当に正直だなぁ。それが成瀬さんのいいところだね」
でも、と、エレベーターを降りながら続ける。
「そういう成瀬さんの素の顔を知ってるのは、俺だけだと嬉しいんだけどな」
珍しく緊張したような顔をした矢崎さんはそれだけ言うと、私にタクシーチケットを渡して、自分は地下鉄の階段を降りて行った。
◇◆◇
……あれって、やっぱり……。
私は家に帰ってからも、ぼんやりと矢崎さんとのやり取りを思い出していた。
やっぱり、後輩兼部下とは少し違う目で見られてる、ってこと、だよね……。いくら私が唐変木でも、気が付かないわけはない。
うーん、と唸りながら、私はベッドに倒れ込んだ。
しかし、と、矢崎さんの言葉を反芻する。『成瀬さんの素の顔』と言っていた。
私の、素の顔、は。
むくりと起き上がり、昨日出来なかったゲームに手を伸ばす。電源を入れディスプレイもつけると、聞き慣れた音楽とスタート画面が表示される。オープニングにはルキウス様をはじめ攻略対象のキャラが次々現れる。騎士、貴族、司祭、商人、海賊、吟遊詩人。現代には無い優雅な衣装に身を包んだ長身のイケメンキャラばかりだ。
私はこの世界の中で、現実には存在しない人物と恋をする。好きになって、近づいて、好きになってもらって、想いが成就する。その過程で様々なイベントが起こり、主人公も笑ったり泣いたり落ち込んだり怒ったり。まるで本当にその世界で生きているかのように色んな感情を味わいながら、違う人生を『生きる』。それが楽しいし、楽しいのを通り越して自分の生活の半分はゲームの世界で出来ている。
それが、私なのだ。それが『素の成瀬千早』だ。
会社では格好つけて後輩にアドバイスしたり、クライアントの前で背伸びして要求を請け負ったり、好きでもないファッションを鎧のように纏って防御しているけれど、本当は……。
その先は、あえて考えないことにした。ゲームもオープニングだけでプレイはせず止めてしまう。ベッドサイドのランプを消し、今日一日にエンドマークを付けて目を閉じた。スマホのメッセージ受信ランプがついていることに、気が付く余裕はなかった。
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