第61話

「お前はプロジェクトから外す。席も変える。一旦はマックスの案件に入れ。異動先が決まったら伝える」


 会議室に、聞いたことが無いほど重く無感情な矢崎さんの声が響く。矢崎さんは私のほうなど見もせず、来人から目を離さない。

 そして来人も、さっき私へ向けていたのより遥かに鋭く強い目線で、矢崎さんを睨み返している。立ち上がって、そして笑った。


「なるほど、権限使って俺を遠ざけますか。賢いですね。いいですよ、あなたのを認めましょう」

 怒っているはずなのにやけに楽しそうな来人の声に私は驚く。しかし矢崎さんは違う反応をしたらしい。私からは広い背中しか見えないが、緊張したように背広の下の体が動いた気がした。


「……なんだと?」

「そうでしょう?俺は仕事上の失態は何も犯していない。でもプロジェクトから外す。それって千早……、成瀬チーフから俺を引き離したいだけですよね。私情で人事に口出すなんて、職権乱用ですよね。つまり俺に勝てないと思ったから禁じ手を使ったわけだ」


 一回り近く年上で職位も数段上の矢崎さんを前に、来人は一歩も引かない。言葉の激しさに私は驚くばかりで全く状況についていけない。ただ、二人の緊張がどんどん高まっていっていることだけは分かった。


「あなたがどれだけ千早と親しいかは知りませんが、それでも俺のほうが近いと断言できますから、いいですよ、職場では。俺はマックスの案件に入ればいいんですね?成瀬チーフ」


 最後だけ私に目を向けて確認してくる。しかし私が頷くわけにはいかない。言い出したのは矢崎さんだし、唐突な配置変更は周囲も訝しむ。何より佐々木常務の肝いりで入ったのだから勝手に決めていいはずはない。


 私は矢崎さんに声を掛ける。

「常務のご指示もありますし……、プロジェクトへの配置はそのままのほうがよろしいかと」

 すると、矢崎さんは私を振り向く。少し困ったような、でもいつもの矢崎さんだ。

「君が心配なんだ……。今襲われかけてたって、分かってる?」

 襲われ……って、ああ、なんかされかけてましたね、そう言えば。

「すみません、会社だからと油断してました。でも大丈夫です。もうこんなミスしませんので」


 そうだ、私がちゃんと来人を警戒していれば、矢崎さんの手を煩わせることも、こんなもめ事を起こすこともない。この二人がもめるのは私が何か気を抜いたり逃げたりした時だ。今までも。


「お気遣いありがとうございます。でもプロジェクトも動き出してますし、今まで通りでお願いします」


 原因と対処法が分かって、私は落ち着きを取り戻す。二人に向かってそう言うと、何故かにらみ合っていたはずの矢崎さんと来人が顔を見合わせる。

 あれ、似たような場面、ついこの間もあった気がする……。


「……分かった、成瀬がそう言うなら配置変更はしない。ただし、くれぐれも気を付けてくれ、二人とも」

 私は大きく頷き、頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。以後重々気を付けます」

 ほれあんたも、と言うように来人を見るが、あっちは寧ろふんぞり返って矢崎さんを睨み返していた。


「そもそもどうしてこうなったのか考えないんですか?」

 あかん、全然反省してない。

「フロアで二人で見つめ合ってメール送りっこしてるからでしょう。誰が見てるかも分からないのに。気を付けるべきは矢崎さんでは?」

 ふん、と鼻を鳴らすと、そのまま自分の荷物を持って会議室を出て行こうとする。一言も謝ってないし。


 来人が扉に手を掛けたところで矢崎さんが口を開いた。

「なんだ、やきもちが原因か。可愛いところあるな、お前」

 ちょっと……、矢崎さん。火に油注がないで。


「俺は成瀬とどんな風に見られても構わないから気にしない。むしろ好都合だ。俺達が社内でどう見られるかを心配してるのはお前だけだろう。残念だな、わざわざコネ使ってまで転職してきたのに阻止できなくて」


 会議室の扉を再び閉め、来人はこちらへ戻ってくる。やけにゆっくりとした足取りに威圧感が漂う。

「あんたの迷惑なんか気にしてない。千早に迷惑かけるなって言ってんだよ」

 こら、口の利き方!上司だから相手は!

「上司で先輩だから気を使われるってこと、忘れるなよ」


 そう言うと、今度こそ会議室を出て行った。去り際にやっと頭を下げたが、あれは反省ではなく『失礼します』って意味なんだろうな。


 来人が出て行って、やっと呼吸が楽になった。しかしどうして私がこんなに気を張らなければいけないのか。


「……大丈夫か?」

 ふう、と深呼吸をしていると、矢崎さんが優しく声を掛けてくれる。

「はい、もう大丈夫です」

「じゃ、なくて……。さっき、本当に何もされなかった?奴から」

 さっき……、ああ、あれか。

「大丈夫です。特に何も」

 私の返事を聞いて、今度は矢崎さんが深くため息を吐いた。

「良かった……。本当に油断も隙も無いな。成瀬も、立花に心開いてるのは分かるが、会社では気を付けたほうがいい」

「そうですね、でも大丈夫ですよ、きっと」

 相手は来人だし。

 そう思って軽く頷くと、再び矢崎さんの溜息が漏れる。


「奴は君に惚れてるんだぞ。矢も楯もたまらず会社を移るくらいに。それがどういうことか、ちゃんと考えたほうがいい。もちろん、俺のことも」


 外から見えていないことを確認するように少し周囲に目を配ると、両手を握られた。


「社長の件、俺は利用する気満々だから」


 ぎょっとした私を置いて、矢崎さんは先に会議室から出て行った。

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