第17話
今日はタクシーチケットは断って電車で家まで帰ってきた。意固地になって辞退したのは大人げなかったかもしれないが、やはりちょっと抵抗がある。
家に着いても、ぼーっとして何もする気が起きなかった。普段ならすぐにお風呂に入って、落ち着いたらゲームチャット開いてみやこたちとゲーム話して気分を変えて、そうやってリフレッシュしてからベッドに入る。
けれど今日は、思い通りに仕事を進めることが出来た満足感と、たら君とマックスの立花が同一人物だったという衝撃と、矢崎さんの告白とで、完全に私のメンタル面の処理能力を超えていた。
あれから、たらに返信してない。でもなんて言えばいいの?何を話すの?たらと?立花と?
矢崎さんは『本気』って言った。でもそんなこと言われても。私にとっては大学の先輩で会社の上司でしかない。矢崎さん云々以前にそもそもリアルな恋愛も結婚も、私にとっては異次元過ぎてついて行けない。
昨日も疲れてシャワーだけで済ませてしまったので、今日は何としても浴槽にじっくり浸かりたい。その分体力を消耗することは分かっているけれど、いつもの自分の手順を踏まないと、いつもの自分が帰ってこない気がした。たらがいる可能性があるからチャットルームへは行けないけど、少しでいい、ゲームをプレイして、自分を取り戻したい。
私は着替えを持って、這うように浴室へ向かった。
◇◆◇
疲れ果ててお風呂に入ったはずが、出てきたら急に体も心も軽くなっているように感じた。もしかしたら体が冷えて強張っていたのを、気が重いのと勘違いしていたのかもしれない。そうだ、そういうことにしておこう。
私は湯上りの飲み物を手にゲームの電源を入れる。エンディングだけ見たくて途中から再開した。
宝飾品と美術品に囲まれた煌びやかな宮殿の大広間で、普段の軍服ではなく礼装で現れたルキウスは、歩み寄ろうとする王妃を無視して侍女ロクサーヌの手を取る。驚くロクサーヌと周囲の貴族たち。顔を真っ赤にする王妃と、彼女を抑える国王。ルキウスはその全てをまるでいない物のように振る舞い、ロクサーヌだけに優しい笑顔を向け続ける。
ラストは戦へ向かう直前。もしかしたら命を落とすかもしれない激戦地へ、自ら志願して赴くルキウスに、ロクサーヌは涙を堪えて無事を祈る。そしてルキウスは、必ず戻るからその時は妻に、そう言い残して馬を駆って出立してしまう。
この後のストーリーは、エンディングの中のイラストだけだ。どうやら二人は無事結婚して幸せな家庭を築くらしい。ゲームというより完全に御伽噺レベルだが、それでいいと私は思う。現実なんてどこを探しても辛く苦しく泥臭いもので、それで当然だ。分かっているから私は現実では結婚などしたくないし、ゲームも綺麗な部分だけ見せてくれれば十分だ。
突然、矢崎の言葉が蘇る。
『俺と、結婚を前提に付き合ってくれないか』
今日の時点では、いつまでに返事を、ということは言われていないが、そうそう引っ張る話でもないだろう。
矢崎のことは尊敬している。信頼している。立派な先輩であり上司であり、人として目標にしている。私もいずれはあんな風になれたらと、いつも思っている。
でも、そこで止まってしまった。画面は折角のエンディングシーンなのに、私は全く違うことを考えていた。
ここで、自分がどう返事するかについての負担しか感じていないことに気が付いた。
もし私が少しでも矢崎さんを好きとか、気持ちに応える気があるなら、もっと幸せな気持ちになっているんじゃないだろうか。
でも私が考えていることは、断った時仕事をしづらくなったらどうしよう、とか、今までの関係が壊れるのでは、という心配ばかりだ。
先ほど見返したルキウスとロクサーヌのエンディングを思い出す。衆人環視の中二人が手を取り合ったのは、互いが愛し合っているからだ。そこまでは理解できる。
しかし、愛し合う、とは?
その疑問が、突然私の中に飛び込んできた。
ゲームやアニメ、小説、映画の中で、登場人物達は愛し合う。
それが必ずしも幸せな結末を迎えるとは限らないが、一人の人間が他人を好いて、受け入れて、自分を差し置いてでも相手のために尽くそうとする。場合によっては命を差し出すこともある。愛した人に自分を受け入れてもらいたくて、自分の気持ちを伝える。自分の家族や友人を紹介し合ったり、自分自身について語り合う。そうした中でよりつながりを強くしていく。
どうしても私は、それが異次元の出来事としか思えなかった。
例えば特別な乗り物で遠い過去や未来の世界へ飛んだり、宇宙のどこかの遠い星へ旅をしたりするのと同じように。
もう一度矢崎さんの言葉を思い出す。しかし彼の手を取る自分を無理矢理想像しても、違和感以外何も感じることが出来なかった。
もう寝なければいけない時間はとうに過ぎているのに眠気は全く訪れない。矢崎さんの一言で、ずっと蓋をしてきた記憶が次々と蘇る。
仕事とゲームに没頭する中で忘れていた。いや、考えずに済むテクニックを身に着けることが出来ていた。それなのに。
私は結局その夜ずっと、膝を抱えて座り込み、次々と襲い掛かる過去を追い払うことに終始し一睡もすることが出来なかった。
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