第45話
ピンポーン!
一月三日。明日から仕事始めだからと、溜めこんでいた掃除や洗濯を片付けていたら、インターフォンが鳴った。
え……、誰?
お正月ということもあって血の気が引く。しかし実家の家族はここの住所を知らないはず。だから家族ではないのだ、落ち着け、私。
一息ついてからカメラを覗くと、来人だった。
(またー……)
緊張していた分、力が抜けた。そのまま壁に凭れて項垂れていると、二回目の呼び出しが鳴った。仕方ない、出るか。
「はい」
『明けましておめでとう!なんだ居た、良かった』
「あけましておめでとうございます。どういったご用件でしょう」
『何怒ってんだよ。あ、もしかしてトイレ中だったとか?』
違うわ!
「びっくりしたの、約束してなかったし」
『あれ、やっぱりスマホ見てないんだ。これから行くよってメッセしたのに。いいや、開けて』
何言ってるんだろうこいつ、と思いつつ、ここで拒否する正当な理由が無い。私はセキュリティを解除し、数分で上がってくるだろう来人のためにスリッパを用意した。
「明日から忙しくなるかなー、と思ってさ。今日のうちに一緒に過ごしたくて」
言いながら、車のキーを取り出す。
「少し遠出して食事しない?いつも千早の部屋に居座るのは、さすがに失礼かな、って思って」
「失礼だと思うならアポなしは止めてよ。誰か分からなくてびっくりした」
「ごめん、じゃあ最低でも前日にはアポ取るわ」
私が断ることは想定していないような明るい表情。私が苦手な分野の陽キャなのに、何故だろう、来人の強引さは受け入れられるようになってきている。私はため息をついて自分の部屋へ向かう。
「じゃ出掛ける準備するわ。座ってて」
来人は頷いて、既に勝手知ったる我が家のキッチンでお茶を淹れ始めた。なんだかなー。
「行き先、決まってるの?」
外は思いの外寒かった。走り出して少ししたら来人が暖房をつけてくれたので足元が温かくなってきて有難い。
「うん、お正月だからね、初詣客とかがいなそうなエリアでどうかな。俺もだけど、千早も人混み苦手でしょ?」
はい、ご明察。
「好き嫌いとかアレルギーとか無いといいけど、食べられないものとかある?」
「ブロッコリー」
正直に答えると、運転中なのに来人が大爆笑した。腹立つ。
「そんなに面白くないでしょ」
「……いや、だってブロッコリーって……。ぷぷぷ。いいよ、もし出たら俺が食ってやるから」
うっすら涙まで浮かべながら、片手でポンポンと私の頭を叩く。完全に子供扱いだ。
「やっぱり楽しいなぁ、千早といるのは」
ドキッとした。私が感じたのは『気安さ』だけど、もしかしたら来人も同じように感じているのかもしれない。私は話題を変えたくて話しかけた。
「お正月、来人はどこか行ったの?」
「どこかって?」
「ご実家とか?」
私は帰らないけどさ、普通は。
「帰らないよ、あんなところ」
しかし答えは、予想していなかったものだった。
声はいつも通りの来人。けれど振り返ると、見たことも無いほど厳しい顔をしていて、私は驚いた。と同時に、見てはいけないものを見てしまったような気がして、慌てて前へ視線を戻した。
「そっか」
私はそれ以上何も言えず、しかし彼に感じていた安心感の理由の一つが分かって、不思議と落ち着いた気分になった。
その後しばらく、来人は無言で車を走らせた。私も話しかけるきっかけがなく、無言が心地よかったこともあり、じっと前だけを見つめていた。
ブブ、ブブ、ブブ……。
しばらくすると、手の下にある私のバッグから小さな振動が伝わってきた。最近こういう時は大抵来人からのメッセージ着信なのだが、今彼は隣で車を運転している。と、言うことは?
「出ていいよ。矢崎さんでしょ」
別段怒ってる風でもない、いつもの来人の声と顔で促してくれた。まあ怒られる筋合いでもないのだが、誰かと一緒にいる時に第三者と連絡を取るのはマナー違反な気がする。
「いいよ。明日仕事始めだし。今日は出ない」
そう言ってスマホを仕舞うと、来人は嬉し気に笑って、私の手の上に自分の左手を重ねた。
「プライベートで連絡取り合う仲じゃないの?」
「矢崎さん?うーん、お互い仕事上で連絡先は交換してるけど、内容はほぼ業務連絡だよ。あとは遅刻や直行の連絡とか」
「なんだ……、焦って転職までしなくてよかったかな」
焦って、って……。
私の呆れたような視線を押し返すように、赤信号で停止しながらこっちを振り返る。
「矢崎さんの押しの強さ半端ないもん。一日の中で会社で過ごす時間が一番長いだろ。絶対水あけられると思ったら、居ても立っても居られなくなって佐々木のおじさんにねじ込んだ。でも仕事はちゃんとやるから安心して」
おっと青だ、というと再び車が動き出す。気が付けば高速道路を降りていた。目的地は近いのかもしれない。
再び前方を眺めつつ、私は考えた。
マックスコーポレーションも大手の優良企業だ。まだ入社して数年の来人が見切りをつけるような会社じゃない。しかしリスクを伴う未経験の他職種他業種への転職を強行してまで、来人は私のそばに居たかったということか。
それは、どうして?
単純だが、私にはどうしても分からない心境だった。聞いたところで来人から帰ってくる返事は分かり切っているのだが。
「さ、着いたよ。どうぞ」
エンジンを切って来人は先に車を降りる。助手席の扉を開け、ぼんやりしている私の手を取って下ろしてくれた。
普段なら自分からすぐ離してしまう手を、何故かずっと預けたままにして、二人で店に入って行った。
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