第44話

 年末は、期待通り忙しく過ぎていった。

 来人がマックス社を退社し、先方の担当者が交替する件については、佳代達はとても驚いていたし、更に私が帝国管財のプロジェクトに入ることもあって不安も大きかったらしい。

 ただ、不安がったり驚いている暇はなかった。次から次へとやらなければいけない仕事がやってくる。年末へ向けての顧客挨拶回りもあり、あっという間に仕事納めの日がやってきた。




「お疲れ様ー」

「おつかれー」


 終業時間を過ぎる頃を見計らって納会が始まる。普段は書類が溢れかえり皆のパソコンが並んでいるスペースに、おつまみやお菓子、ピザやお寿司、ビールやジュースが並べられる。全員に飲み物が渡ったことを確認して、佐々木常務が音頭を取って乾杯をした。

 常務も矢崎さんも、普段は中々話す機会が無い若い社員に囲まれている。若手から見たら憧れの存在なのだろう。行列をして挨拶されている様子を、私は少し離れたところから微笑ましく眺めていた。


「成瀬チーフ、どうぞ」

 突然声を掛けられたほうを見ると、しんだった。手に持った紙皿には、唐揚げや握り寿司が乗っている。

「さっきから全然食べてないっぽかったんで。嫌いじゃなければ」

「ありがとう。うん、もらうね」

 ジュースを近くのテーブルへ置いて森が持ってきた皿を受け取る。気遣い屋の彼らしく、割り箸だけでなくおしぼりも持ってきてくれていて助かる。


 すぐにまた別の人のところへ行くかと思った森は、しかしそのまま私の隣で飲み始めた。

 これは……。


「どうしたの?年末のご挨拶かな?」

 わざとはぐらかして話しかけると、森が困ったように笑って頭をかいた。

「すんません、その……、この前、外でばったり会ったときのことで……」

 やっぱり。

 私は頷き、他の人に見つからないよう目を配らせつつ、森を連れて会議室へ移動した。




「えと、その……。あの時は」

「うん、私も驚いた。……付き合ってたんだね、二人」

 はい、と声は出さず口だけ動かして森が頷いた。

「最近から、なんですけど……」

「全然いいのよ。前も言ったけどうちは社内恋愛に対してオープンだし。ただ、ね……」

 しかし一つだけ気がかりなことがある。この機会だ、思い切って釘を刺しておこう。

「私、実は聞いてたんだよね、鈴木さんから」


 佳代の名前が出たことで、森があからさまにギクリとした。そしてしっかりと頷く。

「彼女、チーフのことめっちゃ尊敬してるし頼ってますもんね。チーフは知ってると思ってました」

「あの、私は野村君を責めてるわけじゃないよ。彼女がいるなら仕方無いし。ただ……、やっと吹っ切れ始めてるから、出来れば相手が及川さんだってことはしばらく知られないように出来るかな」

 森は頼りなさげな目を上げる。私は困ったように頷いた。

「私が口出す筋合いじゃないのは分かってる。もし何も知らなければこんなことも言わなかったと思うけど」

「……鈴木さん、なんて言ってました?」

 え?そっち?

「なんて、って……。えーと、すごく好きだったって。彼女がいるなんて知らなかったから驚いた、って」


 そう言うと、何故か森も驚いたような表情をした。

「知らなかったんですか……」

「うん?そう言ってたよ。だからきっと、二人のことは気づいていなかったと思う。少なくとも私が話を聞いた時点では」

 まああれから1か月近く経ってるから今はどうなのか……。ただ、私が見ている限り佳代と真子の関係性に異変は無いから、森の彼女が真子だ、ということは恐らく気づいていないだろう。


「来年からは本当に三人でマックス社の案件を回してもらわないといけないし、先方の担当者も交替になったばかりで、ここでコミュニケーション取りづらくなると仕事しづらくなっちゃうと思うんだよね」

「ああ、はい、仕事のことは……、はい」

 ん?


 森は何か言いたげに横を向いて考え込む。何を、考えている?

「あの……、年明けでいいんで、そうだ、新プロジェクトが落ちついてからでいいんで、俺の話も聞いてもらっていいですか?」

 へ?森も?……い、いいけど。

「もちろん構わないけど……、もしかして今の話に関して?」

 森は力なく頷く。普段の勢いの良さや明るさが微塵も感じられない。

「恋愛事は、私きっと役に立てないよ?それでもいい?」

「全然。俺達のことを一番知ってくれてるのはチーフなんで。チーフの意見聞きたいんです」


 俺達、ですか。

「分かった。じゃあ、また来月になってから相談しよう。……まああまり思いつめずに、ね」

 手に持っていたジュースの紙コップを目の高さまで上げる。森も、ビールが入ったカップを上げ、静かに乾杯した。


 一気に中身を飲み干すと、森は会議室から出て行った。私はそのまま残り、何気なく窓の外を眺める。

 今日はほとんどの会社で仕事納めだろう。あちこちのオフィスに灯る光は、普段なら残業中の証拠だろうが、今日はその全ての窓の奥で『お疲れ様会』が行われているのかもしれないと想像したら、心が和んだ。


 そう、こんな風に一日が終わると良い。

 仕事のことで頭を悩ませるのは少しも苦じゃない。今の森の相談は純粋な業務相談ではないにしろ、裏には『潤滑に業務を進めるための下相談』という意味もある。そういう拠り所があれば考えすぎることなく受け入れられる。


 来年は、出来ればただの一度も心をかき乱されず過ごしたい。

 来人が同僚になることを考えれば、そうはいかないことは明白なのだが。

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