第72話
私の心がどんどん暗くなっていくのとは反対に、グラスを重ね続ける来人はやけに楽しそうにしている。余程いいことがあったのだろう。
何故かイライラが止まらない私は、来人が食べないのをいいことにガツガツと料理に手を付け続けている。
「千早は明日、何してるの?」
唐突な質問に箸が止まる。なんでそんなこと聞くんだろう。
「別に、何もしないけど」
「じゃあ、昼メシくらい一緒に食べない? 外でもいいけど、千早が嫌なら俺が何か作るよ」
「別に、良いけど……」
するっと出てきた自分の返事に自分で驚く。今OKした、私?
「やった!じゃあどうしようかな、千早ん家、オーブンあったよね」
「私は良いけど、来人は? 何か予定入ったりしてないの?」
私は慌てて来人を制する。てっきり私が知らないうちにいいことが起きたのではないか、だとしたらそれ関係の予定が入ったりしていないのか、と、勝手に想像していたから。
無理に私に合わせて予定を変えさせるわけにはいかない。
「私とはしょっちゅう会ってるるじゃん。だから……」
「しょっちゅうどころじゃなくて、毎日会いたいんだけど」
「……なんで?」
なんで?
毎日会いたいって言われて、心が急に軽くなる。なんで?
◇◆◇
店を出たところで、ごく自然に来人に手を繋がれた。驚いて来人を見ると、目で『いいよね?』と言ってくる。いつもみたいに振り払うことも出来たはずなのに、私はされるがままになっていた。
「さっきの、千早の質問だけど」
なんだっけ。
「毎日会いたい、って言ったら、なんでって聞いて来たじゃん」
「うん……、どうして?」
「千早も同じ気持ちでいてくれてるって思ってるんだけど、俺の勘違い?」
私は驚いて、人混みの中なのに立ち止まってしまった。通り過ぎる人にぶつかりそうになった私を、来人は慌てて肩を抱いて避難させてくれた。
「同じ、って」
「食事しながら言ってくれたこと、あれが千早の本心だよね?」
自分が話した内容を反芻する。でも私は結局来人に対して何も言ってない気がするんだけど。散々考え込んでただけで。
「何も言ってないよね」
「言った。俺、めちゃくちゃ嬉しかった。だから忘れない」
私の肩を抱く来人の力がどんどん強くなる。それが気になりつつも、来人の言っていることが私の何を指しているのかが皆目見当がつかない。
「もう一軒行きたい。じゃなかったら千早ん家行きたい」
「え、じゃ別の店行こう」
「じゃ、千早の家はその後?」
「なんでウチくるの?」
「離れたくないから」
今度こそ思考も呼吸も停止した。音も聞こえない。週末の繁華街のど真ん中のはずなのに。
「なんで固まってるの」
やけに嬉しそうな来人が、もう片方の手を私の腰に回す。
「こんなこと、今までだって何度も言って来たよ。その度に華麗にスルーされたけどね……。でも今は違うね、逃げない。どうして?」
ほんとだ。なんで?
「さっき手を繋いだ時も振り払わなかった。それが俺への答だって思ってもいいよね?」
馬鹿なこと言うなと否定すればいいと、どこか遠くで自分が喋っている声が聞こえるのに、私は何も言い返すことが出来なかった。
そしてもう一軒行こうと言っていたはずの来人は、私の手を取ったまま、私の家のほうへ向かって歩き始めた。
◇◆◇
一言も話さず、手は繋いだまま歩き続ける。
途中のコンビニ前で『追加の酒買ってっていい?』というので、私も一緒に店内へ入った。
来人はまっすぐ酒類の棚へ向かったが、私はこれ以上思考停止したくないので飲まないことにする。やっぱりコーヒーが飲みたい。
入口で待っていると、袋を下げて来人が戻ってきた。
「お待たせ。ごめんね、行こうか」
私は黙って頷いて、再び手を繋いでくる来人を避けることなく、また二人で歩き始めた。
マンションへ着くと、まだ夜の九時だった。待ち合わせの時間が早かったせいだろうか。でも感覚としてはもっと長い時間が経っているような気もする。
「千早、疲れた?」
家に着いて早々にソファに座り込んだ私に、隣に腰掛けながら来人が心配そうに除きこんでくる。
「ちょっと……、色々考えちゃって」
「ああ、俺のことどう思ってるか言って、って言ったやつ?」
「それもあるけど……」
私の中で今もぐるぐる渦巻いているのは、来人が短時間で変化した理由への予想。そして何故かそこに、自分以外の女性の存在を想像していた。
(彼女とか、そんなんじゃないとしても私以外にも女友達が居ても不思議じゃない。今まで考えもしなかったけど)
そしてその想像がどうして私をイライラさせるのか。まだ酔いが残っていたことも、何故か至近距離に座って動こうとしない来人の思考が読めずに不安が高まっていったこともあって、思い切って聞いてみた。
「来人、何かいいことあった?」
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