第60話
『週末、空いてる?』
矢崎さんから送られてきたメッセージはその一言で、意味が分からず暫く凝視してしまった。
空いていると言えば空いている。明確な予定や約束はない。
でも先週末も一緒に出掛けてますよね。来人付きだけど。
で、今度の週末も?
予定を聞かれた内容が分からないながらも、一緒に過ごさなければいけないことなのだとしたら気が重い。相手が矢崎さんだからではなく、何某かの予定が入ることそのものに憂鬱になる。
しかし、矢崎さんは上司だ。新規プロジェクトが始動したばかりでもある。……スルーは無理だ。
私はスマホを操作し始めた。
『特に予定はありませんが、土日のどちらになりますか?それから、どんなご用件か伺っていいですか?』
送信して顔を上げると、当の矢崎さんと目が合った。なんか笑ってる……?可笑しくてというより、苦笑に見えるのはなんでだ。と思っていると再び手元でスマホが鳴った。
『まるで仕事用の文面だな。例の件で社長に呼ばれてるんだ。出来たら同行してほしいんだが、ダメか?』
例の件。
そうだった。矢崎さんが社長に見合い話を持ち掛けられてて、断る口実に協力することになっていたのをすっかり忘れていた。
しまった、そっちだと分かってたら、空いてないって言ったのに……。でももう無理だ。嫌なことは早く済ませるに限る。
『かしこまりました。では土曜日は如何でしょうか?』
『思いっきり仕事モードだな(笑) 分かった、じゃあ土曜日空けておいてくれ。時間や場所が決まったらまた連絡する』
『よろしくお願いいたします』
送信し終わると、そのままスマホを伏せてデスクへ置き、パソコンへ向き直った。顔を上げればまた矢崎さんと目が合いそうで、何となく嫌だった。
あちこちから届いているメールを確認し、必要なものへ返信していると、目の前にショートサイズの紙コップが差し出された。驚いて顔を上げれば、来人だった。
「何コソコソ私用メールしてるですか?成瀬チーフ」
口元は笑っているが目が怖い。コソコソなんかしてないわ。ていうかずっと見てたのね、この子。
私は礼を言いながらカップを受け取り、しかし来人の言葉を否定した。
「私用じゃないわ、仕事のメールよ。コーヒーありがとう。でも立花君も仕事に戻って。業務中よ」
プライベートでは最近来人の言いなりになっているが、会社ではそうは行くもんかとばかりに指示的な言い方をする。しかし来人には効き目はないらしい。
「チーフに質問があって。今よろしいですか?」
書類を持ち上げながら通路を目で指す。あっちで話したいということか。私は頷き、立ち上がった。
「明らかに不審だったから、二人とも。気を付けたほうがいいよ」
会議室に入った途端、来人はあからさまに不機嫌な声を出した。不審?気を付ける?
何のことやら、という顔をしている私が癪に障ったのか、イラっとしたように眉根を寄せて言い募る。
「二人で同時にスマホ見て、目線合わせて笑い合って。あんなの、知らない奴が見たら付き合ってるって思われても仕方がないぞ」
ああ、さっきの矢崎さんの。……て、笑い合ってるって。笑ったのはあっちだけだし。
「だから本当に仕事関連のメールで……。ていうか誰も見てないでしょ」
あんただけよ、そんなの。ていうか声大きいんだけど。
やけにケンカ腰の来人に私までイライラしてきた。そもそもこんな風に『怒られる』筋合いではない。
しかし私の声が尖ったことで来人は更にヒートアップしたようだった。力任せに腕を掴まれ、ドアの影になる場所まで引っ張られた。
「ちょっと、痛いってば」
「自覚無さすぎ。あんたも、矢崎さんも」
抗議してるのに腕を離してくれない。それどころか至近距離から睨んでくる。少しずつ来人の怒気が尋常ではないことが私にも伝わってきた。
「あんた達は会社中から注目されてるんだよ。若いのにポジション就いてて上からの期待も厚くて、独身で見た目も良くて。俺、転職してきてから二人の噂たくさん聞いたよ。矢崎さんも多かったけど、千早、あんたかなり有名人だぞ。それ分かってるのか?」
来人が何を言っているのか、そんな話を持ち出して何が言いたいのかさっぱりわからなかった。私が?有名人?
恐らく相当間抜けな顔をしていたのだろう。来人は腕を離してくれた代わりに、壁に私を押し付ける。私より背が高い来人が覆いかぶさるように接近してくるから、まるで逃げ場がない。
「来人……、もしかして怒ってるの?」
確認のため聞いたら、呆れかえったようにため息を吐きながら頭を振る。
「千早、鈍すぎ……。そして俺を舐めすぎ」
そう言うと、片腕で私の腰を攫い、もう片方の手で私の頬に手を当てると、更に顔を近づけてきた。
「ちょ……」
待て待て待て会社だしここ!
慌てて逃げようとしたところで、ふっと気配が遠くなる。と思った瞬間、すぐ近くで大きな音がした。
ドカッ! ガシャガシャン!
何かが倒れて椅子とテーブルがぶつかり合う音がした。
「いい加減にしろ」
目を開けると、来人は床に倒れ、私と彼の間に矢崎さんが立ち塞がっていた。
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