第15話

 皆の昼休憩が終わったくらいの時間に、やっと私たちの作業が終わった。データを他の三人へメール転送し、自席へ戻った。真子がメールの件をメモに書いて佳代のデスクに置いている。そうそう、そういう小さい気遣い大事よね。


「じゃ、お昼いただきます」

 真子は可愛らしい袋に入ったお弁当を持って席を立った。私も自分のスケジュールに休憩時間を登録しオフィスを出る。会議室に籠っていたのは数時間だが、外の冷たい空気が心地いい。思いっきり伸びをしてランチへ向かった。




 レストランで席に着くと、実はずっと気になっていたことを解決したくてスマホを取り出す。朝一で受信した『たら』のメッセージを再び読み返し、軽く頭を押さえた。


『違うよー、ゆるりだよ。じゃなくて成瀬さん?』


 私、あの子達に本名名乗って無いよね。三人の名前も勿論知らないし。……じゃあ、どうして?

 いつ、どこで、どんな経路で分かった?知っているのは名前だけ?まさか仕事先とかまで知ってたりするの?

 次々と疑問が溢れだし、その次には不安が襲ってくる。まさか普段接している人とたら君が知り合いとか?私はあっちのこと、ハンドルネームしか知らないのに。


 朝は驚きと時間的余裕が無かったため返信していなかったが、今は出来る。どう返そうか散々悩んだ挙句、返信した。


『ごめん、いきなり名前呼ばれたら怖いんだけど、たら君は誰?』


 直球過ぎたかもしれない。しかしとぼけても意味は無いし、私の疑問は解決しない。もしやどこかで、という不安は時間を追って大きく強くなるばかりだろう。

 たら君のことは信用している。少なくともSNSとメッセージ上では。けれど。

 昔の小さな失敗が徐々に大きく蘇ってくる。私は恐怖で身震いした。


『ゲーム?!成瀬さんが?!』

『えーー、超似合わない!てかオタクだったんだー』

『オタクじゃないよね、腐女子って言うんだよね』

『じゃあ何、ずっと隠してたの?』

『もしかしてイベントとか行っちゃう人?コスプレとか?』


 キャッキャと可愛らしい笑い声と共に浴びせかけられた無邪気な感想と質問と共に、私は自分のアイデンティティが粉微塵に砕け散る音を聞いた。大切に守り育ててきたものを、遊び半分で踏みにじられたような、理解できない状況が目の前に繰り広げられていくのを、ただじっと見つめ、やり過ごすしかなかった。


 あの日から私は自分の公私を完全に分けた。では私自身が受け入れられることはない。出来ることなら外の人とは一切関わりたくなかったが、それでは生活していけない。それならば、と、必死に模索した結果身にまとったのが今の会社で振舞うような自分の姿だった。

 外にいる間の全てが仮の自分だとは言わない。仕事も大事だし誇りと責任を持って働いている。それだって大事な自分の一部だが、その私と接して受け入れてくれるような人が、を受け入れてくれるはずは無い。もう傷つきたくない。たとえほんのかすり傷であっても。


 それなりに内と外が上手く機能していると思っていたところで、先刻のたらのメッセージだ。自分のどこに落ち度があったのか、考えても思い浮かばなかった。


「おまたせいたしましたー」

 ハッと気づくとオーダーが供された。とりあえず食べようかとフォークに手を伸ばしたところで、メッセージ受信の音が鳴った。


『ごめん、デリカシー無かった。自分は名乗って無かったのに』


 食べようと思った手も意欲も完全に止まる。名乗っていないことを謝る、ということは、もしかしたら。震える私の元に、追加のメッセージが届いた。


『俺、立花来人らいと。マックスの立花です』


 息が止まる。目が画面にくぎ付けになる。出来れば時間も止まって欲しかった。


◇◆◇


「成瀬チーフ、出来ましたぁー!」

 嬉しそうな声と共に、佳代がプリントアウトしたプレゼン資料を持ってきた。私はゆっくり目を通し、うん、と頷く。

「オッケー、これで提案しましょう。お疲れ様!」

 時計を見るともうすぐ夕方の六時だった。森を呼びつけてすぐに先方にアポを取るよう伝える。朝の一言が効いているのか、すぐに電話に飛びついた。

 こっそり佳代を見ると、佳代もこちらを見て目で笑っている。私は小さく彼女を小突いた。


「アポ取れました。明日の十一時で、ってことで」

「ありがとう、じゃあ明日は再度マックスへ伺いましょう。三人ともよろしくね」

 はい!と元気な声が返ってきた。緊急の業務が入らなかったせいもあるが、想定より早く準備が整って私もホッとする。気持ちを切り替えて矢崎さんへメールで報告を入れた。


『マックス社の再提案の件ですが、資料がまとまったので明日午前中に再訪問します。結果は追って共有させていただきますのでよろしくお願いします』

 メールに佳代の資料を添付して送信完了。丁度そこで定時のチャイムが鳴った。


「チーフすごい!丁度定時ですよ!」

 一仕事やり終えた興奮からか、まだ隣で佳代が騒いでいる。こら、という意味を込めて軽くお尻を叩く。私ならセクハラにならない……よね?

「仕事は時間じゃなくて中身!あの内容に達してなかったら当然残業だったんだからね、次からもこうやって進めるんだよ」

 ペロッと舌を出して、はぁーいと返事をし席へ戻る。半分呆れながら、完全に元の佳代に戻ったようで嬉しかった。


 自分はまだやることが残っている。残業用のカフェオレを買ってくると別のフォルダを開いて作業に取り掛かった。


◇◆◇


 一時間ほどして、さすがに肩が凝ったように感じて立ち上がる。トイレで軽くストレッチをしているとスマホが鳴った。


『まだ会社に居るの?』


 たら、いや、マックスの立花からだった。どう返事をするべきか、ゆるりとして返事をするのか、成瀬千早として返事をするのか。

 本来ならすぐ返すべきなのだろうが、内容が思いつかない。いわゆる既読スルーと言う状況なのだけど、私は何もしないでスマホの画面を消した。


 自席へ戻ると、丁度帰社したらしい矢崎さんがいた。

「あれ、お疲れ様です。今日こそ直帰かと」

「お疲れ。うん、どうせまた成瀬さん一人で残業してるんだろうなと思ったから見に来た」


 見に来た、って……。パンダか。

「今日はマックスの件にかかりきりだったんで、それ以外を処理してただけです。もう終わりますので」

「そう?じゃあ一緒に帰ろうか」

「いや、矢崎さん仕事は?」

「終わってるよ?」

「じゃあどうして」

「言ったでしょ、成瀬さんに逢いに来たの」

 昨日の帰り際の、おかしなやり取りを思い出して私は身を固くする。どうしてもこういう流れは上手く処理できない。苦手だ。


「逢いに来ても何もないですよー。じゃあとっとと帰りましょう」

 そう言いつつ、デスク周りの片づけを始めた。モタモタしているうちに帰ってくれても構わないのだが、その素振りは無い。本当に一緒に帰るつもりみたいだ。


 無理に拒否するのも不自然だ。どうせ地下鉄改札までの数分だからと、私は諦めた。


「お待たせしました」

「うん、じゃ、どこ行こうか」


 ……はい?

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