第19話

 自席へ戻ってパソコンを開くと、先ほど読んだだけで返事をしていなかった立花からのメールが目に入った。


『昨日はどうしたの?メッセージがまだ既読にならないんだけど』


 読み返してもため息が出るだけだ。しかしこっちから返事はしたくない。仕方なく自分のスマホを持って席を立った。

 朝見るに見られずにいたメッセージは、たらからのものだけで未読が10件近くあった。ちょっとこれは……、確かにずっと無視した私が悪いけど、多すぎる。


『ごめん、仕事に関係ないことはこっちでやりとりしていい?』


 自分の中で次々吹きあがってくる何かを押さえつけながら、一文だけ返すと、すぐに既読になり返事が返ってきた。


『よかった。ブロックされるかと思った』

 そんなことしないよ……。たらの返信を読んで、自分の中の何かが外れた。

『それはしないけど。出来れば触れて欲しくなかった』

『確信は無かったから』

『なんでわかったの』

『後輩さんの話とか、仕事の話聞いてたし。本当に半々だと思ってたんだよ』

『これからもチャットでは、ゆるり、として接したいんだけど』

『わかってる。もちろんあの二人にも言わない』

『そうしてくれる?私も立花さんとは言わないから』

『わかった』


 私がどれくらい衝撃を受けたか、今返事をするのだってどれだけ必死なのかなんてたらには伝わっていないだろう。それが悲しいような、しかし伝える気はないし伝わって欲しくない、というのも、どちらも本音だった。


『直に会いたいんだけど』


 もう会話は終わったと思っていたタイミングで再びたらからメッセージが来た。内容を見て、私の心はまた固くなる。


『打合せに御社に伺いますよ』

『そうじゃなくて』

『それは』

『今夜は空いてる?』


 こんなに強引な子だったのだろうか。大体仕事じゃないところで私と会って何を話すの?


『空いてるけど、会ってどうするの?仕事とプライベートは分けたいの』

『仕事の話なんてするつもりない。「たら」と「ゆるり」として会いたい』


 想定していたものとは違う一日になりそうで、急激な変化から恐怖が私を覆い始める。眩暈までしてきた気がする。やはりここでイエスとは言えない。


『ごめん、寝不足で体調悪いから』


 それだけ書いて送ると、私は画面をオフにして自分の席へ戻った。微かに着信のバイブの感触がしたが、朝同様見る勇気が無く、そのまま無視を決め込んだ。


◇◆◇


「チーフ、今大丈夫ですか?」

 昼前、珍しく森が声を掛けてきたので、私は頷いた。

「どうしたの?」

「マックスの立花さんから連絡あって、昨日提案してもらった資料の件で今日の夕方うちに来るっておっしゃってるんですけど……」

 ……は?

「立花さんが?」

 私が驚きと呆れの両方を含んだ表情で聞き返すと、森も戸惑ったように頷いた。

「クライアントからこっちに来てくださるなんて珍しいですよね。全員の予定表見たら空いてたんでとりあえず会議室と一緒に押さえちゃいました。OKの返事しても大丈夫ですか?」


 私は今一度自分のメールボックスを確認したが、朝のメール以降立花からの連絡はない。恐らく私が自分を避けていることに気づいて、森へ直接連絡を取ったのだろう。

 内心舌打ちをしたいくらいだったが、確かに森の言う通りクライアントから出向いてくれるというのは珍しく、急なアポではあるもののこちらとしても手間が省けるのは有難い。考えてこれを断る理由は無いのだ。


「そうだね、じゃあお手数だけどお越しいただけるよう返事してくれる?ご訪問以外に何か言ってた?」

「概ねあの内容で問題ないとのことでした。詳細は打ち合わせで、って」

 そこはホッとした。仕事は本当にトントン拍子にに進む。

「じゃあ全員に、と、矢崎さんはいないから後二人にも同じこと伝えておいて。来訪時間が確定したらすぐ全員に教えてね」

 森は、はい!と元気に返事をすると、すぐに自分のデスクへ戻って行った。


 そっと私用携帯を取り出して確認すると、

『俺がそっち行くよ』

 という返事が、私の送信の直後に来ていた。もう二時間以上前だ。私から何の返事も無いのでしびれを切らしたのかもしれない。

 昨日から気が付くと溜め息ばかりついている。どこかで気持ちか思考を切り替えないと、この状態がずっと続く。それでも仕事のパフォーマンスを落とさない自信はあるが、プライベートでは糸が切れた凧のようになるのは目に見えている。実際昨日がそうだったのだから。


 成瀬千早と、ゆるり。

 自分ではうまく使い分けられていると思っていたのに、どこかで気が緩んだのか。


 やっとの思いで作り上げた自分が息を出来る空間が、外側からものすごい力と勢いで破壊されてきているような不気味さを感じる。お願いだから入ってこないで欲しい。私の中に。どうせ大した人間じゃないんだから。


『あんたって変』

『変わってるね』

『何言ってるのかわかんない』

『え?あれのどこがいいの?』

『バカみたい』


 幼い頃から家族に、友人に、周囲の人から数えきれないくらい言われ続けた言葉が耳の中でこだまする。忙しそうに走り回る社員たちが、急に遠くにいるように見えた。いや、自分が遠ざかったのか、彼らがいる世界から。

 ここに居るようでここに居ない違和感に支配されていても、話しかけられれば答えてるし手も動いていることに、苦笑を禁じ得ないながら、仕事の有難みを改めて実感していた。

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