第23話

 カタン、と、遠くで扉が閉まったような音がして、目が覚めた。不思議なほど体が軽い。ゆっくりと目を開けた。

 あれ……、ここ、どこ……。

 薄暗い部屋の、天井やカーテンなど目に映るものを凝視するが、見覚えが無い。私の部屋じゃない……?

 えーと、昨日、私って……。


 仕事が終わったところまで記憶を巻き戻し、順番に思い出し始める。……そうだ、ロビーでたらに捕まって、タクシーに乗って……。

 ……あ!!


 私はがばっと起き上がって、その部屋から飛び出した。




「あ、成瀬さん、おはよう」

 部屋から出ると、まさに今シャワー浴びてきました状態の立花がいた。お、おはよう??

「良く寝てたから、起こさなかったんだ。飛び出して来れるほど回復したならよかったよ」

「……えーと、私……」

 ここはどこで、何をしてどうなってるんでしょうか……。

 まったく状況把握が出来ていない私を、笑いをこらえるような顔で見つめながら立花が答えてくれた。

「昨日うちまで連れて来ちゃって、俺が食事作ってる間に成瀬さんソファで寝ちゃったんだよ。寝不足とか体調悪いって言ってたから起こさないほうがいいかな、と思って。まさか朝まで起きないとは思わなかったけど」


 そうだ、話したら帰る、と言ったら、お腹が空いてるからと言って料理をし始めた立花を待ちながら、そこから……、記憶が無い。

「ご迷惑を……おかけしました」

 申し訳なさと恥ずかしさのショックでその場にへたり込んでしまった私の前に立花が回ってきて、そっと額に手を当てた。冷たくて気持ちいい。

「ちょっと熱いね。昨日は熱は無さそうだったけど……、体温測ろうか」

 そう言うと引き出しを開けてゴソゴソし始めた。私は慌てて引き留める。

「い、いいよ。本当にごめん。なんかベッドも占領しちゃったみたいで……」

「気分は?」

「え?うん……、すごくすっきりした。こんなに熟睡したの久しぶり」

 それは本当だった。昨日一日の体と気分の重苦しさが全部なくなっている。熱があると立花は言ったが、ただの寝過ぎかもしれない。

「本当にもう大丈夫。色々お世話になりました。ありがとうございました」

 私は慌てて立ち上がって深くお辞儀をする。振り向くとソファの横に自分のコートとバッグがあった。それらを手にもう一度頭を下げると、部屋を出て行こうとした。


「ちょっと待って!」

 うわ、いきなり引っ張られると転ぶって!

 後ろから思いっきり腕を引かれ、起きたての体は反応出来ずその方向へよろける。転ぶ!……と予想したが、立花に背中と肩を支えられて何とか立っていられた。

「ご、ごめ……」

「そんなに慌てて帰らないでよ。土曜日だし……、もしかして仕事?」

「ううん、休みだけど……」

「じゃあせめて朝飯くらい一緒に食おうよ。まだ時間も早いし」

 何故か困ったように笑う立花の後ろに見える壁掛け時計が示す時刻は、まだ七時前だった。

「座ってて。あ、洗面所とかは玄関の右横だから、好きに使って」

「でも……」

 あ、そうか。話があるって言ってたんだった。まだ聞いてなかった。

「そうだ、昨日言ってた話って、何?それ聞いたらおいとまするから……」

「話?」

 コーヒードリッパーに粉をセットしながら立花が聞き返してきた。

「昨日話があるって言ってたじゃない」

 私がそう言うと、暫く思い出すような表情を浮かべると、ああ、と言いながら振り向いた。

「それ、嘘」

 嘘?!

「成瀬さん呼び止めたくて。特に話とかは無いんだ」

「……あんたねぇ」

 思わず力が抜けて、会社で森達に呼び掛けるような言い方をしてしまったが、立花は笑って謝った。

「ごめん、でも話は無いけど一緒にいたかったんだ。こっちはホント」

 驚いて顔を上げると、微かに顔を赤くして背けた。一緒に、って。

「朝ご飯食べられる?と言ってもベーコンエッグくらいだけど」

「……じゃあ、お願いします。お手洗い借りるね」

 化粧ポーチを出しながらそう言うと、どうぞー、と言う声が聞こえてきた。私は洗面所に入り、ドアを閉めた。

 

◇◆◇


「いただきまーす……」

 着崩れとメイクを直してリビングへ戻ると、丁度立花が朝食を用意し終わっていた。淹れたてのコーヒーの香りが、まだ混乱していた頭を落ち着かせてくれた。立花に促されてダイニングテーブルにつくと、どうぞ、というように立花が食事を促してくれた。


 まずは温かな湯気の立つコーヒーに口を付ける。アフリカ系の豆だろうか、少し酸味が勝っているが朝には合う。鼻孔からたっぷりと香ばしい薫りを吸い込むと更に思考がクリアになっていく気がする。


「本当にコーヒーが好きなんだなぁ」

 立花は頬杖を突きながら、自分もコーヒーカップを持って、やけに嬉しそうにこっちを見ていた。

「うん、もうほとんどカフェイン中毒。一日に何杯飲んでるか分かんないくらい」

「うちのコーヒーは、いかがですか?」

「とっても美味しいです。ご馳走様です」

 心からそう思ったのでお礼を言うと、かしこまりすぎ、と言って笑った。


「こんなんじゃ嘘ついて家に連れ込んだお詫びにはならないけどね……。なんとなく、あそこで成瀬さんとの間に出来た壁を壊しておかないと、もう口きいてもらえなくなるんじゃないか、とか思っちゃって」

「壁?」

「あったでしょ。俺が、ゆるりは成瀬さんだよね、って言ってから」


 私は突然現実に引き戻されたような気がして、さっと血の気が引いた。そうだ、色々あって忘れかけてた。というか何故忘れていられたのだろう。

 

 目の前の立花が、急に遠い存在に見えてきた。私は彼を『たら』として見ればいいのか、『立花』として接すればいいのか分からなくなった。ついさっきまで、そんなこと意識しないで話していられたのに。

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