第80話 -Rite side-

「立花、昼メシ付き合え」


 翌日の午前の業務が終わったところで、思いもよらない人物から想定外の提案?命令?を受けて俺は仰天する。俺は驚いて半開きになった口のまま矢崎さんを振り仰ぐ。


「俺と……ですか」

「そうだ。話があるんだ。……そんなあからさまに嫌そうな顔するな」


 と言いつつ、矢崎さんも眉間に何本も深い皺が寄っている。嫌そうなのはどっちだよ。

 俺は思わず千早に助けを求めて視線を送るが、分かっていてだろう、一切こっちを見ないまま外へ出て行ってしまった。

 俺は観念して立ち上がる。


「じゃ……、ゴチになります」

「奢るなんて言ってねえぞ」

「なんでですか。上司から誘ったんすから奢りでしょ」

「まあいい……。いくぞ」


 そう言って矢崎さんは颯爽とフロアから出て行く。ああ、昼休みなのに休みにならない。後で千早に癒してもらおう。


◇◆◇


「何気に大食いだな、お前」

「若いんで」

 大盛ゆえに男に人気の中華料理屋の定食を、更に大盛にして注文し完食した俺に、矢崎さんは感嘆したような声を上げる。しかしこれくらい腹に入れておかなければ午後もたない。

「まあそうだな、二十代半ばじゃそんなもんか」

 言いながら矢崎さんは追加で注いでもらった茉莉花茶を飲む。その姿もムカつくほど格好いい。それは俺も認めざるを得ない。


「で……、話って、千早のことですよね」

「他にあるか」

「そうですね。で……?」

 催促する俺に、再度不快そうに顔を顰めながらやっと話を切り出す。

「付き合い始めたんだってな」

 俺は黙って頷いた。昨日矢崎さんに話したことは千早本人から聞いている。その上で矢崎さんは彼女を諦める気はないこと、俺に対してライバル宣言してきたことも。

「はい。千早が話した通りです」

「俺からの伝言も聞いたか」

「もちろん。まあそうなると思ってましたけど。どっちかというと千早が困ってましたよ」


 恐らく千早は、矢崎さんの気持ちが迷惑だとかではなく、他人から特別な感情を向けられているという状況を少しでも減らしたかったのだろう。世話になっている上司への礼儀も含めていの一番に報告したのに、期待した結果にならなかったことに呆然としていた。


「あいつが困るようなことはするつもりはない。ただ、ああそうですかと言って吹っ切れないだけだ」

「ベタ惚れですね」

「お前に言われたくない。……で、だな」

 改まったように話を区切り、俺に向き直る。


「二つ話がある。一つは社長の件だ。暫くの間はお前と成瀬が付き合っていることは社内ではクローズドにしてもらいたい。要は社長の耳に入らなければいいんだが、万が一お前が常務に話すようなことがあると社長に直結する。俺に勝手な事情だが、今となってはお前との関係が社長の耳に入ると、成瀬の立場も悪くなる」

 俺は頷く。

「そうですね。悪くすると、千早が二股掛けてた、みたいに言われかねないですね」

「それは避けたい。お前もそうだろう」

「もちろんです」


 千早を守る。それだけは、俺と矢崎さんの方向性は一致しているし、彼は信頼できると思っている。


「もう一つは、プロジェクトの……というより、彼女の親父さんについてだ。この件は聞いたか?」

 千早の、父親?

「いえ……、何も。千早のお父さんとプロジェクトが、どう関係しているんですか?」

「これは……、うん、成瀬に確認取ると変に隠しそうだから俺から話すか。……企業法務で有名な成瀬弁護士知ってるか?」

「ああ、たまに雑誌にも載ってる人ですよね。……え、まさか」

「そうだ、成瀬弁護士が成瀬の親父さんだ。しかも今は帝国管財の顧問弁護士だ」

 

 俺は率直に驚く。メディアで目にする人物が自分の恋人の父親だったとは。しかも今携わっているプロジェクトの主要人物だ。でも……。


「それ、矢崎さんが知ってるってことや千早も分かってるんですよね。先方の顧問弁護士が自分の父親だって」

「ああ。昨日先方のオフィスで顔合わせしたからな」

「だったら……」


 世間話にでも話してくれておかしくない。でも昨夜の千早は、矢崎さんとのやり取りは一部始終話してくれたが、父親の件はおろか帝国管財との顔合わせの件についても一言も話さなかった。


「ここからは成瀬のプライベートだ。本来なら俺がお前に話すことじゃないが、余計な手間を省いて彼女を守るためだから話す」

「随分勿体つけますね。何なんです?」


 俺は昼休みの残り時間を確認しながら矢崎さんをせっつく。ここまで重要そうな話を、時間切れを理由にお預けされるなんて御免だ。


「成瀬は親父さん含め家族と距離を取りたがっている。あまり大事にされてこなかったらしい。大学卒業後、一度も実家に帰っていないというんだ」


 俺は息を飲む。と同時に、正月に料亭で出くわした千早の姉を思い出した。

 あの時、千早が手洗いに行くと言って部屋を出てから何分も経っていなかったのにあの暴言だ。恐らく顔を見た途端つっかかってきたのだろう。

 まさか、父親も?


「俺、以前千早の姉貴を見たことあるんです。事情は聞いてませんが一方的に千早に暴言を投げつけていました。父親は……」

「いや、成瀬弁護士はそんなことはない。むしろ成瀬を気遣ってた。それでも彼女としてはダメらしいんだ」


 俺は心配になりつつも疑問を禁じ得ない。あの千早が無暗に人を避けるとは思えないが、矢崎さんが嘘を言うとも思えない。となると、自分を気遣ってくる父親を、なぜ避ける?しかし……。


「分かりました。プロジェクトでの二人の接触を極力避けるよう手を貸せってことですね」

「……お前は本当に察しがいいな。一を話して十を理解するって、実際にはあまりいないんだがな」

「矢崎さんだって似たようなものでしょう。それにしても……、この件、矢崎さんから聞いたって千早に話しても大丈夫ですか?」


 出来れば彼女の口から実態を聞きたい。矢崎さんはプロジェクト上の心配をしているが、俺はそれだけじゃない、プライベートも含めて丸ごと千早を守りたい。その為には本人から聞くしかない。


「ああ、構わない」

 拒否されるかと思ったが矢崎さんはすんなり頷いた。自分が千早にどう思われるかよりも、千早を守るほうを優先させたのだろう。


「分かりました」

 そして俺はテーブル越しに右手を差し出した。


「俺達で千早を守りましょう。傷一つつけさせない」


 一瞬驚いたように俺の手と俺を見比べたが、すぐに右手で握り返してきた。

 俺たちの協力体制が確立された。


 

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