第50話

 年末に森から『話を聞いて欲しい』と言われていた件について、森と予定を合わせ、週末に飲みに行くことにした。

 プロジェクトが落ち着いてから、と言われたけど、大型案件ゆえいつ落ち着くか分からない。であれば多忙になる前に聞いてしまったほうがいい。恐縮しきりの森にそう伝えると、ホッとしたように頷いた。


 当日、定時を少し過ぎたところで帰宅準備を始めると、目ざとく来人が寄ってきた。

「成瀬さん、今日は早いんですね。デートですか?」

 ……はい?

 呆れて顔を上げれば、ニヤニヤと笑いながら通路に立ちふさがっている。納得できるまで通さないぞ、と言うことらしい。

 毎度ながら、なんであんたにそれを説明しなきゃいけないのさ、と思いながら、私が抗議したところで来人に口では敵わないことは分かっている。他の社員に聞かれないよう、フロアの端に移動した。


「野村君から、話を聞いて欲しいって前から言われてたから飲みに行ってくる。今のうちじゃないと時間取れなそうだから」

「……野村?まさか……」

 何よ。

「あいつまで千早に惚れてるんじゃないよね?」

 馬鹿じゃないの。

「そんなわけ無いでしょ。彼にはちゃんと彼女いるから。相談事があるらしいの。いつものことよ」

 そう、私は仕事上の先輩であるだけでなく、彼らのメンター役でもある。内容が仕事に関することだろうがプライベートなことだろうが、悩みがあるなら聞いてあげたい。


「なので今日は私と野村君はお先に失礼します。立花君、一週間お疲れ様」

 そう告げて、何か言いたそうな来人を置いて、森に声を掛ける。彼は既にいつでも出られる準備が出来ていた。

「ごめんね、お待たせ。行こうか」

「はい、お忙しいところすみません」

 また謝るー。気にするな、と言う意味を込めて軽く肩を叩き、私は先に立って歩き始めた。

 視界の端に、じっとこちらを見続ける佳代と真子の姿を認めていたが、あえて気づかないふりをした。


◇◆◇


「じゃ、とりあえず今日もお疲れ様」

「はい、お疲れ様です」


 二人で入ったのは、会社からタクシーでワンメーター程度離れた場所にある居酒屋。私も一度も来たことが無い店なので、少なくともうちの課員と遭遇することはないだろう。

 お互い飲み物が届いたところで乾杯した。がっつり働いた後だから、ビールの冷たい感触が喉に心地いい。


「立花さん、すごいですね。もうすっかりうちに馴染んでますよ。さすがヘッドハントされた人は違いますね」

 へ、ヘッドハント??

「誰かがそう言ってました。本人に聞いても否定しなかったので、そうなんでしょ?」

「いや、私はその辺知らないから……」

 大分都合のいい噂が出回っているようだ。常務の個人的な知り合いというよりは通りもいいだろう。どこまでも器用な奴。


「……で、その……、聞いていただきたいという件なんですが……」

「うん。大丈夫、何でも聞くから話して。といっても解決できるか、と言われると安請け合いは出来ないけどね」

 突き出しをつまみながらそう言うと、緊張しつつも笑って森は頷いた。


「あの……、俺の彼女、真子、じゃない及川さんだって言ったじゃないですか」

 うん。ていうかデート現場に遭遇したしね。

「三カ月くらい前に告られて……、配属された時から好きでした、って言われて。俺も彼女のことは仕事を通じていい子だなと思ってたし、彼女いなかったし、うちの会社、社内恋愛禁止してないし、いいかなぁ、って」

 ……うん、いいんじゃないかな。それが?

「付き合ってみても、真面目だし優しいし、目立とうとしないけど仕事出来ることは前から知ってるし、仕事の愚痴とかも聞いてくれて、本当にいい子なんです」

「そうね、及川さんは同性の目から見てもいい子だと思うよ」


 私は森の言い分に全面的に同意する。気の弱い面を見せることもあるが、私も同じくらい真子のことは評価している。しかし。

「及川さんがプライベートでどんな子なのかは十分納得できるけど……、それが?」


 私は疑問をそのままぶつけた。まさかあんな神妙な顔をして、ただ惚気たかったわけではあるまい。

 案の定、森は更に複雑な表情で、こちらを見上げる。なんですか、そんな捨て犬みたいな目は。


「いい子なんですけど、その……。俺、実はずっと……、鈴木さんのことが好きだったんです!」


 ……はあああ?!?!

 おい!今なんつった?!?!


「ちょ、ちょっと待って……。え?あれ?佳代ちゃん?だって、彼女……」

 あんたにフラれたっつって号泣したのよ、つい一カ月くらい前、私の目の前で。

 私は混乱しきった頭で、何故かお手拭きであちこち拭きながら、目線は森から外さなかった。なんであんたが泣きそうになるのよ!泣きたいのは佳代でしょ?!


「俺、鈴木さんは矢崎マネージャーか成瀬チーフのことが好きなんだと思って……。そんな、うちの会社で一番の出世頭になんて絶対敵わないって思って……」

「ちょっとちょっと待って。矢崎さんはまだしも、私って何よ?!」

「だってすごい懐いてるっていうか。雑談とかしてる時、鈴木さんが話すのってほとんどチーフのことなんすよ。めっちゃ仕事出来て格好いいとか、着てる服もセンスいいとか、女子力高いとか……」

「ただの雑談でしょ、そんなの……。矢崎さんとだって、それほど接点あるわけじゃないし」

「でもいつも見てました、矢崎さんのこと」

 そ、そうかなぁ……?そもそも矢崎さん、ほとんど社内にいない人だけど?


「だから、俺、告られた時本当に驚いて……。それに、真子と彼女、仲いいじゃないですか。真子から俺と付き合ってること聞いてるんだろうな、って思ってたら、知らなかったって……」

「……うん、正確には、野村君に付き合っている人がいることを知らなかった、よ。相手が真子だってことは、今も知らない、はず」


 森は手元のジョッキを持ち上げ、残りを一気に飲み干すと、ふっと息をついて吐き出すように呟いた。


「で、その……、チーフに聞きたいことなんですが」

 

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