第22話 -Rite side-

「お待たせー、って、あれ……」

 手早くチャーハンを作ってリビングへ運んで行ったら、彼女―成瀬千早―がソファで沈没していた。


「成瀬さん、成瀬さん……、おーい、ゆるりー」

 そっと肩を叩いて両方の名で呼びかけるがピクリともしない。

(ありゃりゃ、熟睡してるよ)

 熟睡というか爆睡というか。転寝なんてレベルではない。

 体調が悪いと言っていたのを無理させてしまったか。ああ、申し訳ないことをした。自分を避ける言い訳では、と、半分くらい疑っていたから。


 俺は寝室からブランケットを持ってきてゆるりに掛ける。一旦二人分の食事をリビングに持ってきたが、音を立てないようにもう一度ダイニングへ戻る。ゆるりの分にはラップをかけ、自分だけ音を立てないよう静かに食事を済ませた。




 食後のコーヒーを持って再びリビングに戻るが、ゆるりは絶賛爆睡中だ。近づくと、すーすーと気持ちよさそうに規則正しい寝息を立てている。

 俺は思わず、その滑らかな頬を指でさすった。微かに開いた唇も、長い睫毛も通った高い鼻筋も、思わず見とれてしまうほど整っている。あまりに無防備に熟睡されると、つい悪戯心が湧いてくるが、さすがにこの状況で手を出すのはルール違反だ。気づかれないように立ち上がり、ゆるりが寝転がっているソファから離れた場所に座った。


 しばらくしたら目を覚ますかと思っていたが、数時間経ってもまるで起きる気配がない。再度名前で呼びかけてみたが反応なし。

 困ったな……。いや俺は全然困らないんだけど、ゆるりがきっと困るんだろうな。いつになるか分からないけど、目が覚めた時に動揺するのは間違いない。

 かといってこんなに気持ちよさそうに寝ているのを起こすのも気が引けるし、正直。起こしたくない。


 いや、帰したくない。このままここに居て欲しいというのが、俺の本音だから。


 ゆるりに掛けていたブランケットを外し、そうっと抱き上げると、俺のベッドへ運んで行った。


◇◆◇


 始めは数人でゲームについて話すチャット仲間だった。平日は夜遅い時間しかログインしないので、自分同様社会人なのだろうと見当はついていた。

 次第に他の気が合うメンバーとだけ少数で話をするようになると、ゆるりは人一倍乙女チックな発言が目立った。この人もしかして年下か?と疑うほどに。ゲーム内の騎士キャラに夢中で、そのキャラの話になると止まらない。まるで初恋の相手を語るように延々と魅力を綴る。他のメンバーからの揶揄いのネタになっていたが、俺はそれを聞いているのが心地よかった。これっぽっちも悪意ある言葉を使わないし何かを卑下することも非難することもしないゆるりに、日々の生活でささくれ立っていた俺の心が少しずつ凪いでいくことに気づいていた。


 しかしそれもインターネット上の関係だからだろうと、半分は冷めた気持ちで見ていた。それはゆるりだけではない、自分だって、インターネットの中でだけの自分がいる。作ってるつもりはないがネットの中でだけそのように振舞える自分が。きっとこの女性もそういうことだろう、俺はネットの中でだけ現れる『ゆるり』しか知らない。


 生活リズムが一致するため、気が付けば二人だけで会話することも増えてきた。そうすると、複数人で話していた時には出てこなかったような、ゲーム以外の話題も交わすようになり、俺はそれを一日の締めくくりの儀式のように大切にするようになっていた。文字だけのやり取りではあるが、勝手に想像した『ゆるり』の声で脳内再生されていたことに自分で気づいて、これはちょっとやばいと青くなったこともある。


 まさか、仕事で対面することになるとは思わなかった。

 それも、全く想像した『ゆるり』とは違っていた。

 すらりと背が高く、シックなスーツに高めのハイヒールを履きこなし、俺の上司とも平気で渡り合う仕事姿は、一人のビジネスマンとして憧れるほど格好良かった。まさかその女性が、毎晩メッセージをやり取りしているチャット友達だとは。


 どうして『ゆるり』と『成瀬千早』が結びついたのか、自分でもよく分からない。有体ありていに言えば直感だった。前の日に後輩について悩んでいるとか聞いていたこともあったが、その後輩があの三人のうちの一人だとは露ほども思わなかった。

 だから、否定される可能性のほうが大きいと思いつつ、尋ねた。


『ゆるりだよ。じゃなくて成瀬さん?』


 否定も肯定もしなかった。ただ、『いきなり名前呼ばれたら怖い』と言われた。肯定だった。嘘をついて逃げるという選択肢を持たないところも、想像していた通りだったから、嬉しくて彼女の拒否感に気づかなかった。


 それでもまだ二人の人物が一致せず、わずかな違和感を感じ続けていたが、今日、それが全て吹き飛んだ。

 成瀬千早は、ゆるりだ。

 一見全く別人のように思える特徴を多数持ち合わせているのに、目の前で眠っている女性は、その二つが融合し、立体的な、リアルに存在する一人の女性になった。俺の中で。


 そして気が付いた。もうずっと前から、俺は彼女に恋をしていたのだ、ということに。


 これだけじっと見つめているのに、やはりピクリともしない。俺は絶対に気づかれないよう、千早の前髪をかき上げて、触れるか触れないかのキスをすると、電気を消して扉を閉めた。

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