第31話

「うーん、多分ウィルス性の感冒と、後は疲労じゃないですかね。ちょっと貧血気味ですし。一週間分お薬出しておきますから、それで様子見ましょう」

 診察してくれた医者がパソコンの画面を見たり私の首を触りながら答える。


 私は頷く。ちゃんと医師の指示通りにしておけばとりあえず間違いはないだろう。しかし疲労か……。精神的なものだろうなぁ。

「他に、眠れないとか食欲落ちたとかはないですか?」

 続けて質問されて、意味が分からないながら『無い』と答えると、医者は満足げに頷き、私は診察室を出た。


 待合室では矢崎さんが雑誌をめくりながら待ってくれていた。

「すみませんお待たせして。終わりました」

「ああ、お疲れ様。先生なんだって?」

「感冒と、疲労じゃないかって。貧血気味なので薬出してくれるそうです」

「……やっぱり働かせすぎたか。ごめん、俺のせいだ」

 え?いやいやいや、仕事は全然!ていうか入社以来ずっとこんな感じだし。どちらかと言うと……。

「そんな時にプロポーズまがいな告白して、余計疲れさせちゃったよね」

 苦笑気味でそう続ける。はい、恐らくどう考えてもそっちだと。

「明日も休もうか。で、木金二日出社くらいなら復帰に丁度いいし、本当は一週間休んで欲しいけどそれは拒否しそうだよね」

「当然です。ていうか明日も行きますよ」

「ダメ。いや、来て欲しいけどダメ」

「来て欲しいって、何か急ぎの案件が?」

「いや?俺が会いたいだけ」

 私は唖然とする。先週末から色々と遠慮が無くなってきた。

「矢崎さん、なんか別人みたいですよ」

 私が何を指してそう言っているかは分かったらしい。ニヤッと笑う。

「そう?ライバル宣言されたからなー、負けたくないから遠慮してる余裕が無くなったんじゃないかな」

「ライバル?」

「立花」


 ざっと話してくれたところによると、昨日うちから出た後二人で何やらやり取りがあったらしい。そこで来人が余計なことを二、三言ったようで、矢崎さんがそこに過剰反応している、ということが分かった。


「すみません、後で私から文句言っておきます」

「どうして?水面下で動かれるより、はっきり言ってくれて助かったよ。今までのんびりしすぎたな、俺」

 その時会計のカウンターから『成瀬さーん』と呼ばわる声が聞こえて、慌てて向かった。まだ把握しきれていない居心地の悪さがが沸いてきて、一刻も早く一人になりたかったが、すぐにはそう出来そうもないのがまた心を重くさせた。


◇◆◇


「体調はどう?」

「昨日よりは。変な病気じゃなかったので安心した分楽になりました」

「良かった。じゃあ何か軽く食べて帰ろうか。その元気はある?」

 大丈夫、という意味を含めて頷くと、矢崎さんは嬉しそうに笑って車を発進させた。


 都心は平日日中でも道が混んでいる。トラック、商用車、タクシー、一般の乗用車らしき車。色んな人がそれぞれの目的を持ってどこかへ向かっている。当たり前のことだがそれがやけに新鮮に感じた。


「メニュー、リクエストは?」

「いえ、特に。外食とかあまりしないので店とかも分からないですし」

 休日ヒッキーなんで。一緒に出掛ける友達もいないし。

「え?そうなんだ、意外。色んなところ知ってそうなのに」

 やけに驚いたように、こっちを振り返る。あの、前見てください、運転中ですから。

「そうですか?基本自炊ですね。と言っても簡単なものばかりですが」

「余計安心した。彼氏がいないのは本当みたいだね」

 疑われていたんだろうか。昨日来てくれて、色気もそっけもない部屋をがっつり見られてるはずだけど。

「じゃあ俺が適当に見繕っていいかな。もちろん成瀬さんを連れていくのに相応しい店にするからね」

 ……私に相応しいって、何だろう。病人でもOKってことかな。


 愛想笑いに疲れ始めた私とは反対に、矢崎さんはやけにルンルンとナビを操作し始めた。

 再びそっと窓の外を見ると、やけに青い空が目に入った。そう言えばもうずっと昼間の空をゆっくり見ることなんてなかった。東京の遅い紅葉が始まりかけている。青い空に黄色い銀杏が映えて、東京の自然も捨てたもんじゃないなと、やけに年寄臭いことを感じていた。


◇◆◇


 車はゆっくりと我が家の前に停まった。

「じゃあ、ゆっくり休むんだよ」

「はい。今日は本当にありがとうございました」

「どういたしまして。明日は休みで処理しておくからね。でも俺への連絡は大歓迎だからね」

「……多分目覚ましも掛けずに寝てると思うので」

「仕事がらみじゃなくてもいいのに」

「仕事以外の、何の話をするんですか。私と矢崎さんで」

 そう、そうなのだ。食事中も結局ずっと仕事か同僚たちの話だったし。

「ん?俺の女性の好みとか知りたくない?」

 何言ってるんだろうこの人。

「すみません、今のところ興味ないです」

「……はぁ、本当に正直だね。そう言うところが好きなんだけど……。まあいいか。じゃ、お疲れ様。また木曜日にね」


 私はお礼と挨拶両方の意味を込めて深く頭を下げる。とっとと車に乗り込むかと思ったのに、何故か私が頭をあげるまでそこに居続けた。

 矢崎さんは首を傾げる私に一歩近づくと、手を伸ばして首を攫う。引き寄せられたことに驚いて顔を上げた瞬間、キスされていた。前回よりも少しだけ長く、少しだけ強く。


 ほんの数秒。そして離れると、何も言わずに運転席に乗り込み、走り去っていった。驚いてその場から動けずに見送っていると、手を振る代わりだろうか、二度ほどハザードを点滅させて車は左折していった。

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