第十六滴 Gコードの救世主

 総長の身辺を守る、親衛隊員と呼ばれる人達に連れられ、緋呂とローザは合衆連盟本部に辿り着いた。まさか地中に対抗組織の根城があるとはエル王国も思うまい。実際、緋呂は度肝を抜かれた。祖父が地面を指さして、

「ここから合衆連盟本部に行ける」

 と言った時は、さすがに年齢を心配したものだ。だが地表にある微かな扉、それを引くと見えた地下通路が緋呂の目を丸くさせ、事の実在を認めさせた。道中、決まった間隔で地図が貼られてあった。アリの巣のように入り組んでおり、親衛隊員の案内が無ければどうなっていたことかと唾を飲んだ。

 そうして本部に来た直後、緋呂はローザとは別の部屋に呼ばれた。訳を正義に聞くと、

「新設する戦士団の隊長として活動してもらうから、詳しい説明をしようかとね」

 とのことらしい。漆の扉のついた一室で足を止める。扉を開けると、シックな部屋が広がっていた。白いカーペットを撫でるように歩き、机上の前で水晶に触れながら正義は口を開いた。

「早速本題に移ろう、流血騎君。あいや、二人きりの時は緋呂と呼ぼう。さて、エル王国が諸国に部隊を送り込んでいるのはもう聞いたね」

 緋呂は頷く。そうした事情があると知ったから、緋呂も祖父がローザに嘘をついたことを黙認したのだ。

「戦士団は彼等に対する抑止力なのは言うまでもないだろうね。で、ここからが本題なんだ」

 と、正義は水晶を捻り回した。すると、カーペットに紫の紋様が浮かび上がった。部屋の内装が徐々に変貌していく。気がつけば、周囲は寺院を彷彿とさせる部屋に変わっていた。不可思議な現象を前に、緋呂は辺りを見回す。正義は微笑みをこぼして言った。

「ここは神託の祠と言ってね。メシア探知機、と言った方が早いかな。君を見つけるために造ったんだよ」

 メシアという単語に緋呂は片眉を上げた。そういえばヴァキュアスが救世主と覇王の力がどうのと言っていたが、何か関係があるのだろうか。いや、そもそもどのような仕組みでそんな装置が機能しているのか。

「聞きたかったんですけど、メシアって何なんですか。世界を変える力がある、というのはわかりましたけど。もっと具体的な説明をください」

 正義は目の色を変えて語り始めた。

「私が死後の世界について研究をしていたのは知っているね。その研究の最中、私は偶然にも空想の世界に流れ着いた。代償に、君の祖母は亡くなってしまったがね」

「それがこの世界、と」

 父母に抗議した翌日、祖父母が行方不明になったことを思い出した。あれは本当に偶然の重なりだったのか。緋呂は唇を噛んだ。

 直後、緋呂の中で疑問が生じた。

「ではこの世界に生きている人間は全員空想の産物だと。そういうことですか」

 正義はまるで台本に書かれてあったかのように大仰な態度で否定した。

「確かに、我々の世界には無い組成の物質や文化に溢れているし、そのくせ言葉は通じるからそういう結論に至ったけど、私はこの世界を夢幻の箱庭とは思っていない。現に腹は減るし血も出る。むしろ、この世界こそが何よりも現実なんじゃないかとも考えているよ」

「理由があるんですか」

 活き活きと語る正義の姿に、緋呂は薄気味悪さを感じた。何故この人は次の瞬間にも命を奪われるような世界で笑っていられるのだろう。

「ほら、元の世界には余計な考えが多すぎただろう?例えば自由を掲げながら嫌いなものには規制をかけたがる集団だとか、差別の下で成り立たせている平等だとか。ここはそんな矛盾だらけの汚水みたいな考えなんて一つも無い。メイデンの教えというコードが頂点に君臨している」

 祖父の気性が記憶に甦った。そうだ、この人は昔からそうだった。規範や秩序を好み、絵画もルネサンス以外に価値を見出ださないような人だ。矛盾とか混濁とか、そういった言動を奈落よりも嫌っていた。急に緋呂は正義の振る舞いに合点がいった。

「楽園と言ってもいいこの聖域をエル王国が壊そうとしている。だから私は求めた。伝説のメシアを」

 ようやく本題か。緋呂も頭から抜け落ちかけていた。この癖も相変わらずだな。祖父は前置きがやたらと長い。なのにその前置きが無ければ成立しない要点を語るものだから、昔から随分と苦労した。緋呂は懐かしい呆れを抱き、改めて耳を傾けた。

「この世界──呼び方を決めよう。そうだな、仮に『理想世界(イデアコズモス)』と名付けようか──には伝説があって、救世主(メシア)が覇王(オーバーロード)の支配する世界を変えると言われているんだ。まさに、今の状況にピッタリじゃないか」

 メシアが自分で、オーバーロードがヴァキュアスということか。緋呂はヴァキュアスに言われたことと照らし合わせた。『救世主と覇王の力、合わされば森羅万象が手に入る』すると、緋呂は頭皮から熱が奪われたような感覚に陥った。

「つまり、エル王国が狙っているのは俺か」

 奴等はメシアの力を得たいがためにヴィ・マナファミリーはおろか無関係の村をも滅ぼした。怒りが沸々と煮立ってくる。許せない。憎い。引いた熱よりも頭皮が熱くなっていた。

「総長、任務を下さい。まず、どこの隊を潰しますか」

 緋呂が正義に詰め寄る。

「言うと思ったよ」

 正義が指を鳴らすと、部屋は元のシックな内装に戻った。そして正義は引き出しから地図を取り出し、赤い丸の付けられた部分を緋呂に見せた。

「君にはこれからここ、ナント国のアズマ地方に行ってもらう。後ろの仲間と共に、エル部隊を殲滅してくれ」

 振り向くと、いつの間にか二人の男女が立っていた。片方は筋骨隆々の僧侶、もう片方は両手に巨大なカッターを装備している金髪の女性だった。

「紹介しよう。男性の方がクウケン、女性の方がカットラスだ」

 正義の紹介を受け、クウケンが合掌して深々と頭を下げる。カットラスはただ、腕を力無く垂らして棒立ちのままだった。無礼を指摘され、クウケンに頭を下げさせられる。

「アズマ地方は某の故郷故、一層尽力させていただく」

 クウケンが声を張り上げる。まごうことなき熱血漢だ。

「…頑張る」

 カットラスが握り拳を作り、軽く掲げた。どう考えてもダウナーだ。いや、天然と呼ぶべきなのだろうか。何であれ、掴み所の無い部分はまざまざと感じ取れる。

 この面子で大丈夫だろうか。しかし、現場で指揮を執るならこれくらいわかりやすい方がいいのかもしれない。緋呂は自分に言い聞かせた。すると正義が緋呂の肩に手を置いて言った。

「頼む。君の力で、瑞乃が夢見た世界を実現してくれ」

「必ず」

 緋呂はドアノブを捻り、扉を開き、部屋の境を跨いで出撃用飛行船に駆けた。全ては、憎きエル王国を滅ぼすために。

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