第三十三滴 エルの地へ

 姫がさらわれた。騎士としてあるまじき失態に、オルキデアは悔しさを滲ませた。焦りが募る。一刻も早く、姫を救わねば。

 扉を出て、情報管理局に足を運ぶ。機械だらけの部屋から空席を探す。見つけるや否や、コンピューターの前に座った。ぎこちない手つきで電報を打つ。係員の一人がオルキデアに尋ねる。

「エルの飛行船が突如撤退していきましたが、何が起きたのですか」

 オルキデアの首筋から冷や汗が垂れる。

「姫が奴等に捕まりました」

 情報管理局にどよめきが起きる。

「すみません、僕がいながら」

 さっきオルキデアに質問した係員は席を立って言った。

「あなた一人の責任ではありません。エルの動向に気づけなかった我々にも落ち度はあります。それより、今はできることを考えましょう。そのために他国の騎士に連絡を取ったのでしょう?」

 宥めるような口ぶりはきっと、自分だけに向けた言葉ではないのだろう。オルキデアはそう思った。機械が素早く光を点滅させる。いま刻まれている心臓のリズムとよく似ていた。

 電報を送ってから時計が何周かした頃、各国の騎士達が王城サング・エ・サクリフィーチオの門前に集まってきた。オルキデアが直に出迎える。

「ようこそ、いらしてくださいました」

 手を差し出す。ナント国の騎士クウケンが強く握りしめた。

「ローザ姫がエル王国に捕らわれたと聞いた」

 オルキデアはクウケンの滾った目を見て頷けなかった。非難を受けることは覚悟していたが、いざ時が来ると吐きそうな圧を感じずにはいられない。

 だが、オルキデアの耳に入った言葉は予想とは異なっていた。

「申し訳ない。また、姫様の力になれなんだことを許してほしい」

 手を合わせ、頭を下げるクウケンの姿を見て、オルキデアは目を丸くした。なぜこの人が謝る必要があるのかわからない。

「『また』って、十年前の英雄が何を仰るのですか」

「違う!」

 驚いて背筋が伸びる。クウケンとは少ししか顔を合わせたことがない。だが、平時こんな大声を張る人間ではないとオルキデアは認識していた。今のように、俯き身を震わせる光景が微塵たりとも連想されない人間だと思っていた。

「私は英雄などではない。メシア殿の力添えすら叶わなかった。本当に、何もできなかったのだよ」

 その声は後悔というより、虚しさとか無情といった表現が似つかわしかった。はるか向こうに焼け野原となった街が見える。オルキデアは毛の穴が塞がる気分になった。クウケンが漏らした言葉が、あの街が、これから自分は戦争をするのだと突きつけてくるようだった。

 十年前の思い出が甦る。あの頃は幼かったから、さほど実感が湧かなかった。自分が当事者になるとは考えていなかった。メシアが平和をもたらすと信じていたから。事実、メシアは命と引き換えに世界を救った。本当に命を絶ったのか、その是非はさておき、伝承の通りになった。メシアがオーバーロードから世界を救ったのだ。

 だが、実際に戦いを経験した人物はそのことを語りたがらなかった。姫も含めて。理由をようやく理解した。伝承ほど綺麗ではなかったからだ。生活に窮した記憶が無いのも、その背景で血を流す人々がいたからだろう。簡単な、しかし誰も直視したがらない道理である。

 オルキデアは声が出なかった。自分の憧れたメシアが歩んだ世界の片鱗は、こんなにも苦しいものだったのか。

 すると、コーグ国の騎士カットラスがクウケンに言った。

「…悔やむより、今はやれることをやろう」

 カットラスはサング・エ・サクリフィーチオの門境に足を踏み入れた。両手の巨大なカッターが鈍く光る。オルキデアは振り向いてカットラスの乱雑な髪を見つめた。

 あの人もメシアと共に戦った一人と聞いている。気丈な人だと思う。クウケンは騎士の中でもきわめて強い精神力の持ち主である。そんな人でも参る戦いを掘り起こされて、尚もあれだけの冷静さを保てるのは凄すぎる。

 そう思っていた。カッターの先端が揺れているのを見るまでは。


 騎士達は王城中央に位置する円卓に集まった。十年前、諸国に地獄を与えたエル王国が復活を果たした。これについては満場一致で共戦態勢をとる姿勢である。問題は手段だ。武装のおおよそが廃棄された現在、ローゼンメイデン王国で極秘に製造していた少量の剣で立ち向かうしかない。至急、突撃隊の選抜が行われた。

 結果、オルキデアとクウケン、そしてカットラスが中心となり、計三十名がローザ姫救出作戦の前線に立つこととなった。彼等は九枚の花弁が描かれた腕章の紋様から『白光草(はっこうそう)の三十人』の総称を得た。

 大層な総称はともかく、たかが三十人では歯が立たないことなど誰もが承知していた。ただ一人、若いオルキデアを除いて。確かに万全のエル王国ならば脅威だ。しかし、十年程度で相応の戦力が揃うはずもない。怨敵であるメシアと対峙した当時は別として、三銃士が先頭に立つこと自体、エル王国の戦力が手薄であると明かしているようなもの。オルキデアはそこに勝算を賭けていた。

 エル王国までの移動はシューターと呼ばれる乗り物が使われる。十年前、クジョウマサヨシが造った小型飛行船の改良版である。速度は従来の数倍は出る。乗員も白光草の三十人を収容できるほどの余裕を持っている。

 オルキデアはシューターに腰かける際、妙な緊張感を覚えた。この躊躇いの正体がわからない。踏みとどまれと囁いてくるようだった。

 大丈夫。こちらには十分な勝算があるではないか。何を踏みとどまる必要があるというのだ。

「怖いか」

 前の座席からクウケンが呼びかけてきた。喉が渇く。言葉が出ない。オルキデアは重い頭で精一杯頷くことしかできなかった。

「それでいい」

 クウケンは静かにそれだけ言った。

 シューターは白光草の三十人を乗せ、高速でエル王国の領土に辿り着いた。荒れ果てた土を踏みしめる。化学物質に染められているのが一目でわかった。草木が育つ見込みは無い。薄汚れた雲が空を覆う。歩けど民家は見当たらず、武器の製造工場と思われる建物が林立していた。敵を狩るためだけの領地。

「ここが、エル…」

 しんがりを務めるオルキデアは凄惨な光景を前に声を漏らした。淀んだ空気が息を詰まらせようとしてくる。

 突然、雲が割れた。視線の先には巨大な影があった。王城で姫を連れ去った巨人、ゼーレンだ。ゼーレンは迅速に高度を落とす。

「総員、衝撃に備えよ」

 オルキデアが叫んだわずか数秒の後、ゼーレンが汚れきった大地に降り立った。激烈な震動を前に、白光草の三十人は膝をつかざるを得なかった。

 はるか遠くから大声が聞こえる。

「そっちから来てくれるとは光栄ッスねぇ。思いっきり歓迎するッスよ、この千人隊で!」

 すると、千もの兵士が足音を立てて迫ってきた。圧倒的な光景を目の当たりにしたカットラスの言葉に、オルキデアは自分の抱いていた予想がどれほど甘かったか思い知らされた。

「…これ、勝てないかも」

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