第三十二滴 穿たれた平和
絶望は空から襲ってきた。エル王国の誇る幹部、三銃士。その一人である驟雪のヒュブリスが、王者ヴァキュアスのいない間にエル王国の支配者となっていた。そして今、ヒュブリスはローザのいる城の上空に飛行船を構えている。空襲に遭った街を見下ろしながら。
「そんなキツい顔しなくてもいいじゃないスか。せっかく嬲られるんだし、もっと情(なっさ)けない顔しないと盛り上がらないッスよ?」
裕に数百メートルは離れている位置からヒュブリスは言った。モニターが搭載されているのか。従来の飛行船には無かったもの。技術が漏れたのなら、すぐに情報管理局に信号が伝わっているはず。横領したのか、他国から。それが意味するものをローザは知っていた。エル王国は復興している。
「君主無きエル王国は滅びたはず。それが何故、今になって姿を現した」
飛行船から鼻で笑った音がする。それからヒュブリスはたいそう愉快に言った。
「いや~苦労したッスよホント。表向きエル王国は潰れておかなくちゃいけないから雑魚共オトリにして~の身の上隠して~の…ってもうヤバかったッスわ。つっても、根暗女使ったから割と楽だったんスけどね~。千里眼マジ便利」
千里眼、その単語にローザは反応した。
「カゲリが生きているのか」
「アンタら殺したの召し使いの方ッスよ。勘違いしちゃってた系ッスね。にしても笑える~。あの根暗女、勝手に殺されてやんの」
ローザには自分の仲間をああも蔑める神経がわからなかった。だが、そういう人間がいかに邪悪なのかはわかっていた。したり顔で信頼を受けていた人間を傷つける、そういう人間を知っているから。
堪忍袋の緒が切れたのか、オルキデアは窓から顔を出して叫んだ。
「テメー、さっきからピーピーうるせぇんだよ。要は逃げてたらタナボタ当てたってだけだろ。恥を知れバカが!」
驚愕もあるが、何よりローザは呆気にとられた。騎士に着任してからの三年間、オルキデアがこのような姿を見せたことは一度も無かったから。
しかし、すぐにローザは危惧した。飛行船を見上げる。怒りで息を荒くしているのが伝わってきた。
「んな口利いていいんスか、このオレに。じんわり脅そうと思ったけど作戦変更ッスわ。もう完全キレた。お姫様ごとぶっ殺してやんよ!」
ヒュブリスの乗る飛行船から数多のミサイルが飛び出した。ミサイルは城めがけて高速で向かってくる。ローザが死を想起したその時、オルキデアがローザの身体を引っ張った。
「爆風に備えてください」
それからオルキデアはローザに覆い被さる形で床に伏した。ミサイル着弾。音が轟く。だが、空気が震える以外何も起きない。ローザは顔を上げた。窓に近づく。城は崩壊するばかりか、白銀の塗装一つ汚れさえしなかった。太陽の光が城を囲む薄い膜を顕にした。
「バリアの装着、技術顧問に言って正解でした」
オルキデアはいつもの人懐こい笑顔で言った。ヒュブリスの性格を把握し、バリアで防げると判断した上で挑発したということか。人民への被害を避けつつ、相手の武器を減らすために。
そのしたたかさからローザは頼もしさよりも気味の悪さを感じた。
「どこで学んだ、その立ち回り」
オルキデアの方を振り向いて問いかけた。おかしいだろう、戦いを経験したことが無い人間がこんな場馴れした動きをとれるなんて。
だが、オルキデアは柔和な様子を崩さないまま窓の向こうを見据えた。
「エル王国といってもこんな程度かよ。ガッカリさせてくれるぜ全く」
涼しい顔で挑発を続ける。その声音には僅かに嬉しさや翳りが含まれている気がした。
再びミサイルが向けられる。ヒュブリスはよほど挑発に弱いらしい。三銃士の地位から成り上がった故の驕りばかりが理由ではなさそうだ。恐らく気性だろう生まれた時から染み着いて、生涯取れないものがヒュブリスの自尊心なのだ。
「潮時だな」
オルキデアはそう呟くと、左耳のピアスに手を当てて、
「こちらオルキデア。城員(じょういん)の皆さん、特殊配置、お願いします」
聞いたことのない号令を発した。ローザは悟った。武装。秘密裏に組み立てられていた防衛手段が機能した。
同時に、どうしようもない情けなさが胸を襲った。平和が完全に戻ったと思っていた。争いの轍すら見えなかったこの十年を信じすぎていた。知っていたのに。平和なんて、日常なんて、簡単に崩れ去ると。目を背けてしまっていた。自分が平和であると思い込みたかったがために。
城が微かに揺れる。窓からクジョウマサヨシが持っていた武器を大きくしたようなものが飛び出した。煙を伴って飛んでいった塊は、ヒュブリスの乗る飛行船に直撃した。
かに見えた。
「何だあれは」
オルキデアが叫ぶ。ローザは声を出せなかった。煙が晴れたその先には、飛行船の前に立ち塞がっていたのは、
「鉄の、巨人…?」
淡い紫の巨人は光沢を放ち、塊を投げ返した。バリアが受け止め、塊が塵となる。
──あれはロボットって言うんだよ
『誰か』の声がした。気を取られそうになるが、目の前の危機を前にしてそんな余裕を持つことはできない。
「ゼーレン…カゲリか。テメー、助けたつもりかコラ。邪魔すんじゃねぇ!」
飛行船から怒鳴り声がする。ゼーレンは軽く振り向いた後、城めがけて突っ込んできた。
「わざわざバリアの餌食になるなんてな」
意気揚々としていたオルキデアの顔は、ゼーレンが膜を引きちぎったことで愕然に変わった。
「あの一瞬、あの一撃で見抜いたっていうのか、バリアのほつれを」
バリアのほつれ。ローザも愚かではない。それが何を示唆しているかは理解できた。通常の盾もそうだが、どのような物にも脆い部分はある。バリアのほつれとはつまり、そこを指す言葉なのだろう。ミサイルをも退けた盾が、ああも容易く破られたことが推測を裏付けている。
ローザが状況を呑み込んだその時、ゼーレンの手が窓に伸びてきた。
「危ない!」
オルキデアがローザを押しのけようとするが、巨大な手の風圧に身体が吹き飛ばされる。淡い紫の手はローザの胴体を握りしめた。動くことすらままならない。
ローザは軽々と宙に浮かされ、城の外へ運び出された。オルキデアの姿が遠くなっていく。
「姫!」
「おっと、妙なことはしちゃダメッスよ。撃てばお姫様はどうなることやら」
月並みの脅し文句も、講じることのできる手段が著しく減った現状では真っ当な脅威と化していた。
「いい人質になるモンッスねぇ、お姫様ってのはさ」
下品な笑いと共に、飛行船とゼーレンは踵を返した。
景色が遠のいていく。黒煙が尚も立ち込める我が国から離される。今度は殺される側、か。生まれて初めて見る黒い靄(もや)が、空を隠そうとしていた。
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