第十三滴 もう、何もいらない

 緋呂とローザが即座に踵を返すと、村だった場所にはもう何も残っていなかった。塵が顔の前を舞う。この中に人の命だったものがある。緋呂は発狂しそうな思いだった。どうにか意識を保てたのは、眼前に犯人がいたからであった。物言わず、フードの向こうで澄ました顔をするあの女がいたから、緋呂は正気を失う暇もなく頭に血を昇らせたのだ。

「お前がやったのか」

「他に誰かいるとでも?」

 エルの連中は皆こうなのだろうか。人を殺しておいて、さも当然のように振る舞う。良心の呵責一つあり得ない連中なのだろうか。

 ローザが塵をかき集め、抱きしめながら涙を流した。それを見て、女は首を傾げる。

「どうして貴方達が泣くのでしょう。この方々に邪険にされていたではありませんか」

 泣き続けるローザの代わりに、緋呂が答えた。

「人が死んで、泣かない訳ないじゃないか」

 それに、邪険にされていた訳ではない。お互い、生きることに必死だっただけだ。たまたま食い違っただけなのだ。

「そういうものですかね。私は違いますが。邪険にする者は排斥します故」

 にこやかな表情を覗かせて女は言った。まるで相手を理解する気がない、ナルシシズムに満ちた朗らかさだった。

「奪ってばかりいるから、そんな考え方しかできないんだ」

「だって楽しいじゃないですか。奪うの」

 女は塵の山を見て言った。塵から金色が姿を見せる。目を凝らすと、女の周囲には塵に隠された金目の品々が積まれてあった。緋呂は悟った。エル王国はマッチポンプに及んだのだ。相手と友好的に接し、警戒心を解く。信頼が生まれたと見るや否や、襲撃して彼らの資源を全て奪う。要はより簡単な狩猟法を試みたということだ。

 緋呂の唇から血が垂れる。緋呂がクロスカリバーを手にしようとしたその時、ローザの声が耳を貫いた。

「ヒロ、剣を使うな」

 左を向く。ローザは目を腫らして訴えかけてきていた。朝の出来事を思い出す。緋呂が睡眠を失ったことに対して、ローザはいつになく取り乱していた。国や家族を失ったローザにとって、何かを失うことはこの上もなく恐ろしいことなのだろう。そんな恐怖を与えたら、今度はこちらが戦う意味を失ってしまう。それだけは絶対に避けたい。

 フードの女は手を合わせ、感心したように言った。

「ああ、貴方が噂の流血騎ですか。他の二人から話は聞いていますよ。なんでも亡国の姫を守ることにご執心だとか」

 他の二人、ということはつまり、このフードの女も三銃士なのか。

「そうそう、忘れておりました。私、カゲリと申します。流血騎様と是非手合わせ願いたいのですが、ダメでしょうか」

 ヒュブリスと同じく腰の低い口調だが、こちらからは軽薄さを微塵も感じられなかった。むしろ、その喋り方ゆえの不気味さと呼ぶべきか、掴み所の無さが漂っていた。ローザのいる手前、緋呂はクロスカリバーを出さずにいた。するとカゲリはため息をついた後、不穏な和やかさを含めて言った。

「お姫様に拒まれては剣を出すことも叶いませんか。でしたら、こうすればどうでしょう」

 と、カゲリはおもむろにローザの元に近づきしゃがんだかと思うと、今度は頭を掴み上げた。カゲリの手が筋張る。

「ちょっと我慢してくださいね」

 そう言ってカゲリはローザの顔面を地に叩きつけた。倒れ伏すローザの身体をすかさず踏みつける。何度も何度も、脚を上げてはローザめがけて勢いよく下ろした。緋呂はカゲリを羽交い締めにし、ローザから引き離そうとした。だが、カゲリの腕力に呆気なく吹き飛ばされた。這いつくばる緋呂に、カゲリは申し訳なさそうな声を出した。

「すみません、流血騎様。私とてこのような野蛮な行為をしたくはありません。ですがこの方がいけないのですよ。私は貴方と戦いたいのに、余計な口を挟むものですから。私、腹が立ちまして」

 表面的には謝罪の体裁を取りながらも、カゲリが脚を止める気配は無かった。激しい憎悪に駆られ、緋呂は血を流すべく手を噛もうとした。しかし、顔が傷だらけになっても尚、ローザはそれを拒んだ。

「やめてくれ、ヒロ。それだけはやめてくれ」

 何でだよ。そんなボロボロなのに、何で助けさせてくれないんだよ。緋呂は訴えかけたかった。だが、緋呂がやるせぬ問いを口にする前に、ローザは続けた。

「私のために自分を失わないでくれ。もう、誰かを失うのは嫌なんだ」

 あれだけ蹴られても泣かなかったローザが、この言葉を発する時だけは声を潤ませた。

「泣かせてくれますねぇ。亡国のお姫様のご演説、流石の私も感動しましたよ」

 わざとらしく涙を拭く素振りを見せながらも、カゲリは容赦なく蹴り続けた。緋呂は自分が情けなくなった。何もできない自分が。何も変えられない自分が。何より、失うことを恐れている自分が。瑞乃と瓜二つの少女、ローザを守りたい、泣かせたくないと言いながら、結局は自分が消えてしまうことが怖いだけの臆病者。それが九条緋呂の正体なのだ。元の世界にいた時と同じだ。だからヴィ・マナも、この村もみすみす壊滅させてしまった。そんな弱い自分が、緋呂には耐えられなかった。消えてしまえばいいと思った。

 その時、船長の言葉が心に甦った。今、やらなければならないことをやり抜く。そうだ。自責したところで一緒だ。足踏みしていても景色が変わることなどない。だからもう、いい。自分が消えても構わない。ローザを泣かせてしまうことになっても構わない。今はただ、そこにいる敵を倒す。それだけのために生きる。そのためなら、自分の全てをくれてやる。

──血を流す覚悟は出来たか?

 もう、何を失おうと歩みを止めない。涙を顧みない。目の前の敵を斬り伏す。命を尊べぬ者の命を刈り取る。それだけで十分だ。それ以外、何も望まない。

 緋呂は虚空に囁いた。

「ごめん、瑞乃。その約束、守れない。お前を泣かせてしまう。でも俺、決めたんだ。こいつらを全員倒す。お前を泣かせてでもお前を守り抜くって、決めたから」

 朱殷の激流が一陣の剣となる。クロスカリバーが緋呂の両手に顕現した。刀身に声を刻むように、詠唱を口ずさむ。クロスカリバーに血管が浮かび上がった。

「それですそれです。私はそれが見たかった!」

 興奮気味にカゲリは叫ぶ。刹那、ローザを踏みつけていた脚が音もなく消え去った。カゲリの血をも喰われ、飛沫が散ることはなかった。失われた脚のあった箇所を押さえ、カゲリは踞った。弱々しく言葉を吐く。

「お二方、話が違いますよ…噂よりも遥かに強いではありませんか。たった一撃でこんなことって…」

 地の上で丸くなるカゲリに、緋呂は刃を突き立てた。

「まだ死にたくない…カゲリ様…」

「いいから死ねよ」

 クロスカリバーがカゲリの身を貫こうとしたまさにその瞬間、マゼンタの閃光が緋呂の頬を横切った。顔を上げると、深紅の鎧を着た骸骨、スカルバーンが立っていた。

「逃げよ、影の者。流血騎は私がやる」

「外様の言うことなど聞けますか」

「だが上官だ」

 厳かな佇まいにカゲリも渋々了承し、スカルバーンの連れた兵士と共にその場を退いた。カゲリが戦線から引くのを見届け、スカルバーンは改めて緋呂の方を見た。

「また会えたな、少年。いや、流血騎よ」

 マゼンタに燃える剣を構え、スカルバーンは高揚を声に乗せた。

「お前も殺す。もう、誰も死なせないために」

 緋呂が唸るように言う。

「理想は消失の下でしか成り立たぬ。理解したようだな、お前も」

「能書きは興味ない。命も大事にできない奴等が持っていい命なんて無い、それだけだ」

 焦土の上に二人の戦士は立つ。灰が舞うと同時に、剣は振り上げられた。刃が交わる間一髪で、ローザが叫んだ。

「やめて」

 互いの剣の勢いが殺される。ローザはよろめきながら立ち上がり、スカルバーンに向かって言った。

「教えて。どうしてエル王国に味方しているの、『お母さん』!」

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