第二十四滴 騙られた救世主

 今更どうしろと言うんだ。緋呂は思った。失うことを美徳としておきながら、今度は失ってはいけなかったと言う。身勝手にも程がある。

 なら初めから言ってほしかった。自分がローザの兄だと。それ以上に、自分が妹を護るべきだったのだ。なぜ他人に任せた。大切な妹なら、たった一人の家族なら尚更うち明けるのが筋というものだろう。

 緋呂の胸の中は、敵に失望された自分への情けなさと、兄という立場からアドラへの怒りが綯交ぜになっていた。放っておけば涙がこぼれ落ちる。認めたくないから、振り払うようにアドラの顔を殴り続けた。

 わかっている。形ないものを失うことは、形あるものを失う虚しさに勝る。けれど緋呂はもう疲れたのだ。自分がどう生きたいとか、何をしなくてはならないとか、瑞乃のいない世界で自分の存在はどこにあるのだろうとか、とにかく痛みを感じることに疲れ果てたのだ。『自分』を意識して生きることが、死ぬほど嫌になったのだ。

「俺はどうすればよかったんだ」

 口にした途端、緋呂の拳は止まった。腕が力なく垂れる。眼球がひりつくために、前を見ることはかなわない。強烈な圧迫感が鼻腔を突いた。いっそ消えてしまいたい。何で生かされているのだろう。何でこの世に生を受けてしまったのだろう。できるなら瑞乃に命を寄越したい。自分が残っても意味なんて無いのに。

 緋呂の重心が後ろに傾く。アドラに肩を掴まれ、揺すられる。

「痛みは共に背負ってやる。だから真実を知れ。この世界と、お前自身の」

 緋呂は何故か親近感を覚えた。鏡写しの顔だからだけではない。もっと深い部分で、共鳴するものを感じたのだ。けれど、やはり頭では許せなかった。アドラは妹のローザに真実を告げることをしなかった。果てに、敵国のエルに下った。そんな奴にあれこれ言う資格は無い。

 錯綜した思いは緋呂の口から咄嗟に言葉をつつかせた。

「お前に何がわかるっていうんだ」

 すると、アドラは微かな躊躇いを見せてから言った。

「わかる。何故なら俺とお前は──」

 次の言葉が飛び出るまさに直前だった。アドラは緋呂の肩から手を離し、向こうを見据えて剣を手に取った。振り向くと、総長が親衛隊を引き連れてやって来ていた。

「トリックスターか」

 アドラの身体から憎悪の気配がはみ出す。身の毛がよだつ。

「やぁ、闘鬼のスカルバーン君。いや、アドラ君」

 緋呂は激しい疑念を抱いた。どうしてアドラという名を知っている?

 途端に、様々な引っかかりが濁流となって脳内を襲った。神託の間、メシア探索機。そんな技術力がどこにあるというのか。

 合衆連合もそうだ。あんな施設、普通造るには数十年以上のスパンをかける必要がある。その場合、総長はとっくにこの世からいなくなっていないとおかしい。どうして数千年も流血すら御法度だった世界で、新興の武力国家に対抗しうる戦力を整えられた?そもそもだ。なぜ総長以外の国家の重鎮が合衆連合本部にいなかった?

 動揺に固まる緋呂の耳に、アドラと正義の会話は入ってこなかった。しかし、背中に無機質な感触があるのは理解できた。

「何をしている、やめろ」

 ローザの叫ぶ声でようやく我に返った頃には遅かった。

「お疲れ、化け物」

 祖父の皮肉を塊とした一言と共に、背筋に一点の熱が灯った。そして、血が流れた。力が抜けていく。傷は無理矢理癒されるものだと思い、しばらくは伏せたままだった。だが、治る気配は全く無い。緋呂は、

「どうして」

 と呻いた。

「クロスカリバーをほったらかしにするからだよ。あれ抜きじゃあ君は単なる人間に過ぎない」

 まただ。祖父がクロスカリバーの名前を知らないはずなのに。戦っている姿は見ていても、詠唱のことは話した記憶が無い。それなのに、どうしてあの十字の朱殷に刻まれた名前を知っている?

「一足遅れたか」

 いつの間にか、ヴァキュアスもいた。森羅万象が理解できなかった。世界が自分だけ置き去りにして流れているような感覚だった。だから世界は容赦なく、祖父とヴァキュアスに語らせるのだろう。

「やはり惹かれるものなんだね。メシアとオーバーロードは」

「配下の眼より、此の世界を滅する輩を見かけたのみ」

「聞こえているかい、緋呂。カゲリは死んでいなかったみたいだ。結局、君が成し遂げたものなんて一つも無かったね」

 嘲笑を含んでいた。ああ、そうか。緋呂は解した。任務の時の、後始末にすらなっていない最悪のタイミング。あれは意図されていたのか。こうして上から見下ろして、嘲るために。

「それにしても皮肉だね。救世主である君は世界を恐怖に陥れ、怪物がメシア気取りで君を打ち倒そうとしているんだから」

「闘争、其れが我が名を刻む手段であると貴公が申した」

「まぁそれはそうだ。覚えてくれるよ。忘れたい最悪の思い出としてね」

 祖父は淡々と述べた。祖父がヴァキュアスと繋がりがあったこと以上に、緋呂はヴァキュアスが救世主と呼ばれていることに衝撃を受けた。蚊の鳴く声で、かろうじて緋呂は言った。

「ヴァキュアスがメシア…?」

 マスコットではなかった銃を撫で、祖父は緋呂を見ることすらせず話した。

「そうなるね。だって君はオーバーロード、つまり悪者の力を持っているんだから」

 緋呂の中で、僅かにあった何かが消え去った。前触れも無く、音も無く。闇の中に溶ける寸前、緋呂は悟った。これで全てを失ったのだと。そうして、二度と覚めることのない暗闇に、その身を委ねたのだった。

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