第二十三滴 ペテン師の筋書(シナリオ)

 破られた特別保護室の壁を見て、正義は頬を緩めた。地下の風が肌を撫でる。本来、人を寄せつけぬはずの冷たさを孕んでいる。それを一身に受け、悦に入る。自らの足で踏破したのだと、理の内に嵌め込んだのだと思い知る。確実にシナリオは思惑に沿って進んでいる。

 初めてこの世界、イデアコズモスに来た時は歓喜に心踊ったものだ。死後の世界に至るべく死人の思念世界を辿ろうとしたところ、それが叶ったのだから。そもそも、死後の世界を研究したいと考えたのは、十七の時にスウェーデンボルグの存在を知ったからだ。彼は生きながらに死後の世界へ赴き、その様相を日記にまとめた。初めて読んだ時の衝撃といったら、現行の神が創った森羅万象では表現に悠久の時を費やすほどのものであった。同時に思った。魂をも居場所を求めるのなら、人を真に統一することは可能なのではないか、と。この世界を知り、統治が可能ならば、多様性に胡座をかき混沌を広めた人類史の怠慢に終止符を打てるのではないか、と。

 それからは死後の世界へ行くことだけを考えて生きた。設備を整え、理論を確立させるまでに何十年もの月日が経った。財閥の仕事や子の面倒もかなぐり捨て、理想に全てを注いだ。自分が世界を変えてやろう。その一心だった。

 積年の理想を否定したのは、皮肉にも身内であった。妻は夢物語に着いて行けないと老婆の身になって言い出し、息子は上背の伸びるのに伴い反駁が激しくなった。愚かな連中だ。どうしてこの素晴らしさを理解できないのだろう。理不尽に石を投げつける人間がいなくなる、思想の違いや心の凹凸といった争いの種が消滅する。こんなにも素晴らしいことが他にあるだろうか。

 人間など、何千年と時を重ねようが進化しない。ならば発想を変えればいい。誰もが理解の範疇にいられるように制限をかける、つまりは一つの規範の下に統治される世界を築けばいいのだ。そのために人を人たらしめる根源、死生観を掌握する必要がある。万人の心を飼い慣らせるなら、それが理想郷を実現することになる。

 こんな初歩的なことにも気づけない愚鈍なDNAの集積体共は無視し、孫の世代に期待を寄せた。果たして、彼等は実に利口だった。素直で、潔白なキャンパスだった。何色に染めるにも苦労しないほど純情であった。瑞乃など、まさに完璧な素材としか言いようがなかった。だが、彼の父の例もある。手綱を離されぬよう慎重に、それでいて積極的に接した。

 長年の苦労が報われる日が、ようやく来た。死後の世界へ赴く理論が確立されたのだ。思念を物質に変える術が形となった。遂に世界は水平となる機会を得られたのだ。一種のエクスタシーを堪能していたところに、更なる幸運が連なった。死後間もない死体が現れたのだ。死後の世界へ跳躍するには、理論に基づいた装置に加えて、いまだ思念の残っている死人が必要だったのだ。幸運は逃すものではない。早速、こちらに回すよう手を尽くした。

 が、死体の頭に装置を取り付けたまさにその時だった。後ろから靴の音がした。振り向くと、妻がピストルを持って立っていた。どのようにあの隠し扉を暴いたのかは不明だが、確実なのは目の前に最大の障害が立ち塞がっていることだった。

「あなたならこうするだろうと思った」

 妻が涙ながらに言った。それだ。一番除去すべきと感じていた心の凹凸は。あんな水滴一つで心が揺らぐのだから、つくづく人間は脆い生物である。

「だから葬儀を早めてもらったのに」

 皺だらけの顔を歪ませ、妻は続けた。

「あの子、凄く悲しそうでしたよ。あなたがこうするだろうって知っていたから我慢したと思いますけど、泣きたくて堪らなかったはずですよ。当然ですよね、愛する子供の葬儀を当日済ませろなんて普通あり得ませんもの」

「可哀想に」

「あなたが言いますか」

 銃声が鳴った。だが、弾丸は彼方に逸れ、バックファイアに妻は両腕を垂らした。

「銃なんて持ったこと無いのに無理するからだよ」

 忠告すると、更に瞳を鋭くさせて叫んだ。

「そうやって構ったこと、一度も無いくせに」

 大粒の涙をこぼす。不貞な妻というか、呆れ果てた。なんと情に影響されやすいことか。だから心を水平にしなくてはならないというのに。妻に近寄り、目の前に落ちた銃を拾って妻の額に付けた。先刻まで気丈であった妻の表情が強張っていくのがわかる。本当に、つまらない人間だ。

「いいかい、自由(みゆ)。銃はね、こう使うんだ」

 銃が口から火を吹いた。最期に何か言っていたようだが、倒れ伏す妻に興味は無かった。装置の方に足を向け、おもむろに起動させた。何十年も積もりつもった万感の想いを装置に乗せた。

 そうして、今に至る。このシナリオは完璧だ。一点の汚濁も無い。緋呂という嬉しい誤算もあった。彼がここにやって来たことで、欠けていたピースが埋まったのだから。

 さて、そろそろ緋呂を迎えに行こうか。ヴァキュアスが彼と再び接触する頃だろう。メシアとオーバーロードは惹かれ合う運命なのだから。その時、世界は崇めることとなるだろう。九条正義という現人神を。メシアとオーバーロードの力を兼ね備えし唯一絶対の規範に人間が統治される日は近い。だから頑張ってくれ、緋呂。愛する者の世界を駆ける、偽りのメシアよ。

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