第十七滴 理想の前に慈悲は曇り

 格納庫まで昇り、『流血騎』に乗り込んだ。水を炊く音が轟く。エンジンが温まってきたようだ。けたたましいサイレンの音と同時に、南西行きの巨大な扉が開かれる。円筒状の道が伸ばされていた。

「流血騎、発進用意」

 正義の合図と共に『流血騎』は他二機を伴い、地中を飛んだ。その間、緋呂は格納庫に繋がる道の前で職員から受けた説明のことを思い出していた。

 出撃用の飛行船は小型で、個人使用のための構造となっている。それぞれの船の名前も使用者のコードネームが当てはめられており、例えば緋呂の場合は『流血騎』という名の飛行船に乗ることになる訳だ。型番呼称に対応する時間の省略、及び呼称の混乱を防ぐための措置らしい。緋呂からしてみれば、こちらの方がややこしくてならない。とはいえ、その程度のことでああだこうだと言うのもなんだと思い、緋呂は黙ることを選んだのであった。

 飛行船に取り付けられた無線にスイッチが入った。

「隊長。少し聞きたいことがあるのだが」

 クウケンは神妙な声音で尋ねてきた。

「あなたは何ゆえ戦うのか」

「妹のためだよ」

 座席のフロントガラスに、自分の顔が一点の曇りも無く反射される。

「妹が望んだ世界を実現する。それが俺の戦う理由なんだ」

 言われるまでもなかった。瑞乃の描いた理想、誰も不条理な目に遭わない世界を創り上げる意志が、どれだけ自己を喪失しようとクロスカリバーを握らせるのだ。

 クウケンは暫しの間を置いて、ようやく口を開いた。

「美しい心だ。しかし、同時に歪でもある」

「何故そう思う」

 緋呂には訳のわからない言い分だった。妹の望んだ世界を築くことのどこが歪んでいるのか、一滴たりとも理解が及ばなかった。

「確かに、家族の望みを叶えんとする行為は尊い。だが、元より絆とは枷を意味する言葉」

 回りくどい節回しに緋呂は痺れを切らした。

「何が言いたい」

「呪いと化してはいないか、ということだ」

 クウケンは無線が割れんばかりの音で言った。息継ぐ間もなく続ける。

「利他の行為は人間が根本。しかし、固執すれば生物としての利己が死ぬ。それは人としてあまりに歪ではないだろうか」

「別にいいよ」

 フロントガラスに、眉を潜めた自分が映る。

「俺はずっと無力だった。何も叶えられなくて、踠くこともできなくて、意味もなく生きていた。けど、今は違う。メシアの力が、瑞乃の夢見た世界を創れる力があるなら、死んだって構うものか」

 汗ばむ拳を握りしめる。フロントガラス越しに映る顔は、奮い立つ心とは裏腹に、苦虫を噛み潰したようだった。

「あくまで、望みという絆に縛られるか」

 クウケンの呟く声が無線に入る。顔も見えないのに、緋呂は頷いてみせた。

「メシアよ、どうか志半ばに命果てぬよう」

 最後の一言に、返事はしなかった。

 突然、フロントガラスが上がった。陽光が目に入る。いつの間にか目的地に着いていたようだ。『流血騎』から出る。そして飛行船は自動的に出入口の方へ戻っていった。見送りついでに視線を落とすと、辺り一面に砂利の敷き詰められた大地が広がっていた。石の擦れる小気味いい音と共に、両脇の出入口からクウケンとカットラスが現れた。

「作戦内容の確認をする。ここ、アズマ地方にエル部隊が侵入している。目的はアズマ地方の占領。奴等の手口から考えると、まずは交渉の体を装う可能性が高い。すなわち、狙うべきは」

「…中央の都市部」

 はるか遠くに建っている搭を眺めながら言葉を連ねていると、カットラスが口を挟んだ。無気力な表情からは想像できないが、相手の考えを先読みできるほどには思考力が高いということか。緋呂はカットラスに、ほんの一縷とはいえ頼もしさを覚えた。

「では、私がご案内しよう。隊長よりは道を知っている」

 クウケンは慣れた足取りで、先頭を切っていた。鳥居の向こうへ足を踏み入れる。辺りを見回す。アズマ地方はまるで昔の日本、正確には奈良時代のような街並みだった。絢爛な様子が、教科書で見た平城京の風景に酷似しているのだ。牛車が横を通り過ぎる。クウケンは運転手に声を呼び止め、搭の所まで乗せてくれるように頼んだ。客席に腰掛ける。三人乗りだと流石に窮屈で、片足が宙に晒された。牛の歩みに釣られて揺られる片足を何気なく見つめていると、

「しかし驚きましたなぁ。お客さんが噂の流血騎だとは」

 運転手が感嘆を露にした。

「知っていたんですか。俺の、流血騎のこと」

 人の口に戸は立てられぬとはよく言うが、予期せぬ情報の早さに、緋呂は意識を寄せずにはいられなかった。

「我々の希望と言われれば知らずにおけという方が無理でしょう。三銃士をも退ける力、伝説のメシアの生まれ変わりではなかろうかと」

「輪廻転生、ですか」

 緋呂は目を伏せた。『生まれ変わり』なんてこの世には存在しない。たった一つの命が明滅するから、人は生きることに執着するのではないのか。だから人は美しくも醜くもなれるのではないのか。何より、そんなものがあるならどうして瑞乃は傍にいてくれないんだ。

「俺は好きじゃないです、そういう考え。命が安くなる」

 失言したと気づいたのは、口から出た音が耳に入ってきた後だった。慌てて口を押さえる。だが、運転手は怒ることも悲しむこともしなかった。異端であることを理解しきったように、

「でしょうな。ま、信じるものの違いですよ」

 と、軽く返事した。かつて、同じようなことを言われ続けてきたのだろう。明るい物言いの中から、諦観が顔を覗かせていた。

 乗ってから一時間ほどで、搭の前に着いた。アズマ地方と寄り添ってきた跡が、傷だらけの柱に残されている。入り口の門を開こうとする緋呂の肩を、カットラスが掴んだ。

「…ダメ。…剣、出してから」

 確かに、先に侵入してきたのなら、搭の中にエル部隊の人間がいてもおかしくない。交渉役を一人に任せ、残りは邪魔立てを防ぐ役に徹させることも可能だ。武器は構えておいて損は無い。ここまで鋭い指摘をされれば、カットラスの認識を変えざるを得ない。彼女は文字通りの切れ者だと。

 緋呂はポケットに入れておいたカッターで手首を切った。クロスカリバーが顕現する。クウケンは目を丸くしていた。当然だろう。人の血が剣に変わっていく様子を目の当たりにすれば、誰でもこうなる。むしろ、さも当然の出来事のように見向きさえしないカットラスの方が異常と言えるのだ。カットラスにしても両腕にカッターが装着されているのだから、今更驚くこともないのだろうが。

「…おかしい。…気配、感じない」

 カットラスが門にカッターを挿して言った。

「それでわかるのか」

 と、緋呂がカッターを指さす。カットラスは頷く。門は漆塗りの木板を連ねており、所々に金属の装飾が施されている。カットラスが挿したのは装飾の部分。金属同士の共鳴で内部構造がわかる、ということなのか。

「…話せる。…金属(みんな)と」

 緋呂の予想を上回っていた。まさか金属と会話をしているとは。つくづく、イデアコズモスは不思議な場所である。一刻を争う中、緋呂は妙な感心をした。

 するとカットラスが目を見開き、無気力な様子からは到底考えられないほどの大きさで叫んだ。

「爆弾、たくさん。今すぐ離れて」

 声が轟くや否や、クウケンが緋呂とカットラスを門から引き離して覆い被さった。直後、爆音がアズマ地方の空に響き鳴った。粉塵に包まれる。

 視界が開ける。クウケンが眉間に皺を寄せていた。身を起こすと、クウケンの背中から血が滴っていた。

「隊長、無事か」

 気丈に振る舞おうとするクウケンが痛ましくて仕方なかった。

「どうして庇った。さっき、あんなこと言っていたのに」

 緋呂は焦点も合わぬまま口走った。ヴィ・マナやあの村の時と同じように、何もできずに人が死んでしまう。そう思うと、言葉を整理する時間も余裕も無かった。

 膝に手を乗せ、クウケンは身体を震わせた。

「わからん。咄嗟に動いていた。私もまた、歪なのやもしれん」

 力無く倒れかけるクウケンを支え、緋呂は言葉をぶつけた。

「死ぬな。頼むから」

 緋呂の甲に手を添え、クウケンは微笑んだ。

「了解した」

 その返事に安堵する暇もなく、カットラスが威嚇を始めた。カットラスの見つめる先には、先程の牛車の運転手が立っていた。

「残念。もう少しだったのに」

「…お前、何」

 睨むカットラスに怯む様子もなく、運転手は続けた。

「エルの奴等に言われたんだよ。お前らを殺せば家族の生活を保証するってな」

「果たされると思うか、そんな口約束」

 クウケンは唸るように声を絞り出した。

「嘘か本当かなんてどっちでもいい。ただな、居場所潰されたからには何してでも食い繋ぐしかないだろ」

「よく潰した張本人の言うことを信じる気になれるな」

 緋呂はクロスカリバーを構えて冷たく放った。人の命を平気で奪える連中の言うことを信じようとした時点で同罪なんだ。何も同情することはない。

「他に生きる道なんて無いだろ。他の国が俺達の生活を保証してくれるのか?無理だろ。そりゃそうだ、エル王国に潰されるかもしれないんだからな」

 緋呂の中で引かれていたボーダーラインを、完全に踏み越えられた。詠唱を呟く。クロスカリバーに血管が刻まれる。刃の一振りは、運転手の首をかすめた。衝撃に空気が揺れる。砂利は巻き上げられ、揺蕩う雲は形を変える。運転手は尻餅をついた。緋呂は運転手の額にクロスカリバーを突き立て、問い詰めた。

「部隊はどこにいる」

 歯を鳴らし、運転手はかろうじて答えた。

「もう、いない」

「シラを切るな」

「落とされたんだよ、ナント国そのものが。だからもう、用済みなんだ。俺はお前らがここに来るだろうから殺しておけって言われて。そうすれば家族の生活だけは保証してくれるって」

 こんな小心者のために瑞乃の望む世界が創れないところだったことを思い、緋呂は目元に渾身の力を込めた。クロスカリバーが運転手の額を捉える。あとは、押すだけだ。

「メシアの裁きを受けろ」

 押し込もうとした緋呂の腕を、クウケンが掴んだ。

「何をする」

「少し、時間を」

 運転手に目線を合わせてしゃがみ、クウケンは穏やかな口調で話した。

「命は生まれ変わりゆく、ナントに伝わる教理だ。異教として無視されてはいるが、私は信じている。故に、亡き妻子に恥じる行為はしたくないのだ。再び巡りあった時、胸を張っていたいからな」

 運転手の目から涙がこぼれ出した。妻子と思われる名前を繰り返し言葉にする。クウケンは背中をさすり、続けた。

「そなたの妻子はまだ、生きているのだろう?ならばどこまでも誇れる父であれ。悪に屈するな。その名、その身で巡り会える数など限られているのだから」

 クウケンは立ち上がり、緋呂の方に振り向く。そして、頭を下げて言った。

「隊長。どうか、この方々を合衆連盟にて保護してはくれないだろうか」

「ダメだ。こいつはあのエルに手を貸したんだぞ」

「百も承知。しかし、過ちを犯さぬ人間などこの世にはおるまい。ならば我々が与えるべきだろう。更正の道を。人の歪みを認め、救道へ導くもまたメシアの役目なのだ。どうか、ここは堪えてほしい」

 風に搭の欠片がさらわれる。

 自分達はエル王国を滅ぼすために戦っているはずだ。なのにどうして、諭されなければならないのか。荷担した相手を裁くのが、どうして咎められなければならないのか。何より、自分達のやっていることが後始末でしかないことを認めたくなかった。当の部隊は既に引き上げており、ナント国は陥落してしまった。やったことと言えば、残党を炙り出しただけだ。後始末よりも酷いかもしれない。こんなことで、瑞乃の願いが叶うとは思えなかった。メシアでなければならないのに。そんな苦悩に比べれば、目先の残党の処遇など、もうどうでもいいことだった。

 空を仰ぎ、緋呂は、

「勝手にしろ」

 とだけ答えた。溶けていくクロスカリバーの感触を手で確かめ、緋呂は歯を軋ませた。血が砂利の隙間を埋めていく。足に触れた花は枯れていた。

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