第四十滴 メシアの矜持

 真空のケースに入れられた少女の死体。そこから飛び出し、朱殷の剣を携える老人から虚ろな少年を庇ったものがいた。名はヴァキュアス。救世主の運命を背負い、狂わされたもの。

「なぜ君がここにいる」

 クジョウマサヨシは数歩離れた所から、当惑を露にして叫んだ。

 流血騎とスカルバーン、もといヒロとアドラがローザによって向こうの世界へ飛ばされた後、ヴァキュアスは姿を消した。長年練っていたであろう計画が頓挫したクジョウマサヨシを追って、ではない。突然に消えたのだ。


 いや、訂正しよう。途中までは追っていた。ある条件が満たされたからである。向こうの世界では消えてしまったもの。忘却。ヴァキュアスの前世だ。向こうの世界は忘れることを忘れた。記憶を留める術をいくつも生み出し、世界から忘却を消し去った。だからヴァキュアスは流れ着いたのだ、死後の世界へ。

 しかし、ヴァキュアスは役を与えられなかった。元が概念である、無くて当然と言えば当然だ。そんなヴァキュアスに形を与えた者がいた。クジョウマサヨシ。彼は無色の霧にただ一言、

「光あれ」

 と言った。おそらく、世界を俯瞰している時に理解したのだろう。ヴァキュアスの真の役を。メシアという黄泉の鍵の一端であることを見抜いたのだろう。そして本人に気づかせた。こうしてヴァキュアスはこの世に生まれた。

 次に、クジョウマサヨシは頼み事をした。

「この世界を一つにしてくれ」

 ヴァキュアスが意味を尋ねると、クジョウマサヨシは頬を微かに緩ませてから応じた。

「君の力で支配するのさ。それが君のやるべきことなんだから」

 ほんのわずかに残ったメシアの誇りが、クジョウマサヨシを遠ざけようとしていた。だが、白紙のような存在であったヴァキュアスは悪意を書き込まれてしまった。純然たる武力と意志で世界を統一する、純粋な悪に堕ちた。

 いま思えば、ヴァキュアスはクジョウマサヨシが最初に目をつけた傀儡だったのだろう。教えれば素直に吸収する。親衛隊の意識を奪い、駒使いしていた男にとって打ってつけにも程がある。

 だが、自分の孫が、流血騎が現れた。きっと腫れ物のように思ったはずだ。向こうの世界で見てきたからわかる。ヒロという人間はクジョウマサヨシと相性が決定的に悪い。エゴを切り捨てる男とエゴに生きる男。同じ血筋なのかさえ疑わしいほど真逆だ。

 いつからそうなったのかはヴァキュアスの預かり知らないことだったが、少なくともヒロがイデアコズモスに来訪した頃には疎ましく思っていたのではないだろうか。だからこそ駒にしたかった。尊厳を踏みにじり、無力さを思い知らせて服従させたかった。今ならわかる。


「何しに来た」

 クジョウマサヨシが問う。クロスカリバーが襲いかかる。

「貴公を止めに」

 間髪入れず答えた。コクーンセイバーで受け止める。

「今さら正義の味方のつもりかい?」

 すかさず連擊。

「再び消える為だ。此の世界から」

 刃をいなし、ほんの一瞬で詠唱を呟く。コクーンセイバーが繭を纏い、細長い刀身が分厚くなった。

「誰なんだ、君は。九条家の者じゃないのか」

「ならば刻め」

 クロスカリバーが舞い、コンクリートの天井に突き刺さる。後ろに倒れたクジョウマサヨシの喉笛に、コクーンセイバーの切っ先が突きつけられた。

「我は空虚(ヴァキュアス)。忘却を司る者」

 淀んだ空気が辺りを漂う。ヒロはいまだ我に返れずにいる。存在証明を失ってしまったのだ、やむを得ない。だが、ヴァキュアスは呼びかけた。ヒロではなく、彼の使用人に。

「其処の女、後方の仲間を連れよ」

 使用人は当惑を隠せずにいたが、有事と判断してかすぐさま奥の通路へ戻った。

 するとヴァキュアスの足元で、クジョウマサヨシが不敵に笑った。

「それで脅した気でいるなら、本当にバカなメシアだよ。君は」

 クロスカリバーが落ち、ヴァキュアスの半身をとらえた。わずかな隙だった。油断云々で片づけられないほどの周到さ。ヴァキュアスは悟った。嘘か。わざとヴァキュアスに優位な体勢に持ち込んだうえで、一撃を与えやすい距離まで詰め寄らせた。

 ヴァキュアスは生まれて初めて、地面に膝をつけた。

「君は僕を傷つけられない。でも、僕はできるんだよ。武器が武器だけにね」

 今度はクジョウマサヨシがクロスカリバーをヴァキュアスに突きつけた。呆気なく逆転。

「諦めなよ。生まれたてと僕とじゃ、積み重ねが違いすぎる」

 ヴァキュアスの額に刃の圧がかかる。ヒビが入った。頭が砕けるのも時間の問題だ。

「バイバイ、空っぽの救世主さん」

 その時、一筋の弾丸がクジョウマサヨシの手首を貫いた。老体が悶え苦しむ。ヴァキュアスが入口に目を向けると、使用人とアドラ、それと栗色の毛の女が立っていた。

「ヴァキュアス、何故ここに…」

 アドラが呆気にとられている。

 しかし、事情を話している場合ではない。執念深さは何よりも恐ろしい。手首の痛みさえ忘れさせてしまうほどに。クロスカリバーがヴァキュアスの下半身を潰そうと襲ってきた。間一髪、受け止める。

「何度も奇襲は喰らわん」

「妙なことはさせないよ」

 半身から力を感じられない。それでも、ヴァキュアスは力いっぱいクジョウマサヨシを吹き飛ばした。クジョウマサヨシの身体がコンクリートの壁に打ちつけられる。

「今の内に此方へ来い」

 アドラが尋ねた。

「何をしようというんだ」

「言葉をかけろ」

 次は三人とも絶句した。

「想い想いの言葉を、心からの言葉をかけろ。奴の忘れた心を取り戻させろ」

 ヴァキュアスは胸をざわつかせながら、こんな状況で不謹慎極まりないながら、どこか高揚を覚えていた。ああ、これが焦りか。初めて感じた。

「猶予は無い。来い」

 アドラ達三人は何かを決心し、ヒロの方へ走り出した。

「させるか」

 血相を変えたクジョウマサヨシが三人の進路方向へ迫る。半身の動かないヴァキュアスは、片側の力だけでどうにか地面を蹴り、全身で阻んだ。

「相手なら我がしてやる」

「いい加減鬱陶しいんだよ、君」

 クジョウマサヨシは足を引きずり、溜めの姿勢をとる。コクーンセイバーの繭がほどけた。どちらもそう体力は残っていない、ということか。

「野暮な事を吐くな。付き合ってもらおう、最期まで」

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