第四十一滴 存在証明─レゾン・デートル─
緋呂はわからなかった。自分がしてきたことは何だったのか。目の前で少女が苦しんでいた。それを助けたのが始まりで、今度はイデアコズモスを救おうと力を振るったはずだった。やっと出来た生きる意味、そのためなら何を失おうとも構わなかった。
自己満足だった。瑞乃が組み換えたあの世でお節介に陶酔、やったことといえば先祖の魂を斬ったぐらい。
全ては九条正義の手の平の上だった。奴はこの世界を手中におさめるために死後の世界に訪れた。そこで素材をかき集め、体のいい武器を造りたかったのだ。胡座をかいている間に国を平伏させてしまうような、夢のような秘密兵器を。緋呂がしてきたのは、怠惰な神が手から落とした素材(ヴァキュアス)を回収することだけ。用が済めば、武器としてリサイクルするかしないかはご勝手に、だ。神の気まぐれで使われ、神の気まぐれで切り捨てられた。なんて下らない顛末だろうか。
緋呂は思った。何のためにここにいるのか。なぜイデアコズモスに行こうとしていたのか。声が聞こえた。瑞乃の、アドラが神と呼ぶ声に拒絶された。意味など無い。自分の存在する意味が見当たらない。
もう、どうでもよくなってしまった。
「緋呂様!」
誰かが呼ぶ。放っておいてほしい。消えてしまいたい。瑞乃に拒まれた。この人生は何だったんだ。
「突拍子も無い状況で、頭の整理もつきませんが、ですが最初に言いたいことがあります。ごめんなさい」
どうして謝る?俺のせいか。そうだろうな。知らない内に先祖を斬り伏せていた人間だ、誰を傷つけていてもおかしくない。
「一番おつらい時に言葉を尽くせませんでした。どう声をかければ良いか、わかりませんでした。ですが後になり私は恥じました。それは甘えだったと。あなたに寄り添えぬ自分を守る詭弁でしかありませんでした」
今更謝ることでもない。人なんて皆そうさ。あの時だって、そうだった。
「だから今度は後悔せぬよう伝えます。──目を背けないでください。自分の心から」
緋呂の虚ろな目が微かに揺らいだ。
「瑞乃様が亡くなられた後、逃げましたね?苦しい、悲しい、怖い。あの日から七年間、ずっと聞かぬお言葉です。なぜ言ってくださらないのです?そんなにお独りで在られたいのですか?」
初めてだった。誰かに咎められるのは。ずっと君は悪くない、そんな言葉ばかりかけられてきた。その度に思っていた。欲しい言葉はそれじゃない。
「どうか仰ってください。あなたの心を。私達が傍におります。受け止めます。だから偽らないで、強がらないで。そうでなければ、あなたを見失う」
けれど、緋呂は答えられなかった。今更できなかった。吐き出せば消えてしまう。イデアコズモスの時のように。あの時、弱音を吐いたから九条正義につけ込まれた。だからローザと引き離された。守ると誓ったのに。
すると、今度は別の声がした。さっきよりも歳の近い声だった。
「昔、一度だけ話したことあるって言ったじゃん。覚えてないかもだけどさ」
そんなこともあったかな。あまり思い出したくないけど。
「アタシ、ちょっと変わってるっぽくてさ、あの時魚の写真ばっか見てた。大好きだったからね。で、皆言うの。おかしいとか、変とか。何好きだっていいのにね」
笑いながら言う女の声は寂しさを隠しきれていなかった。余程つらかっただろう。自分の支えを否定されるのは。
世界は残酷だ。好きなだけ宝物を用意しておいて、持っていて褒めそやされるのはほんの少しだけだなんて。しかも、時には誰かに宝物を踏みにじられる。実に残酷だ。
「九条君だけだったな。綺麗だって言ってくれたの。海と光と魚の組み合わせがどうたらって、難しい言葉ばっか使って褒めるんだもん。笑っちゃった。──だから、思っちゃったよね。世界って綺麗だなぁ、って」
釣り堀が脳裏をよぎった。自分の外に広がる世界があんなに綺麗に映ったのは久しぶりだった。瑞乃がいなくなってから、ずっと灰色だった。それが虹色になったように見えた。
「だから俯いてちゃもったいないよ。今、戦ってくれてる人もそう思ってるんじゃない?もっと見ようよ、世界の綺麗なトコ。今度はアタシが見せるから」
緋呂の瞳に一筋の光が射し込んだ。それと、自分によく似た声が耳に入ってきた。
「全く、そうすぐに折れてもらっては困るぞ。流血騎の名付け親の立場が無くなる」
そういえば知らない。どうして流血騎なんだ?血を流すのはわかる。が、剣を持っていただけで、騎馬はしていない。ましてや騎士道精神なんて呼べるほど高潔な心は持っていない。何故?
「血を流すことの意味を知るからだ」
イデアコズモスにおいて、血は生命の記憶を司り、存在証明となる。だからメイデンは血の巫女に全生命の血を受け継ぐことや、血を流す行為の禁止を命じた。だが、緋呂はイデアコズモスの住人ではない。意味を知るよしもなかった。
「そして、その身に血を流していたからだ。何よりも崇高な精神、献身という真なる正義を」
「…無いよ、そんなの」
ただ、勝手にやっただけだよ。身体が先に、心が先に動いただけなんだよ。
「いや。俺は問うてきた。その度にお前は言った。出来ていると。撤回はさせない。させてなるものか。お前を否定することは、たとえお前自身だろうと許さない」
緋呂はおもむろに顔を上げた。景色のピントが合っていく。焦点が定まった時、目に飛び込んだのは残骸のように砕けたヴァキュアスの姿だった。クロスカリバーが背中から貫いている。
「何で…」
「貴公に似たのさ」
正義がクロスカリバーを引き抜き、ヴァキュアスを斬りつけようとする。間に合わない。しかし間一髪、春島の銃弾がクロスカリバーの軌道を逸らした。
「ずっと見てきた。貴公生まれ出づる日より。忘却という存在として。思えば、我が救世主とは皮肉だ。忘れてこそ人は前進できる。真理であろう」
無機質に喋る度、ヴァキュアスの身体は崩れていった。溶け始めた雪のように。
「そんなわけ、ないだろ…」
「貴公ならばそう返すと思った。故に我は思う。真の救世主とは、貴公のような者だと」
あり得ない。散々周りを傷つけて、失ってきた。人も、心も。メシアと呼ばれ踊らされ、挙げ句誰も守れなかった。俺じゃダメなんだよ。
「失う重みを知る者は強い。神を気取りし老害よりも遥かにな」
「随分言ってくれるね、ブリキ人形!」
正義のクロスカリバーがヴァキュアスの胴を二分しかけたが、かろうじてコクーンセイバーの刃が受け止めた。それでも、朱殷の刀身の勢いは止まらない。じきに砕ける。
「刻め、流血騎。騎士にも勝りし血を身に流す者。失いしもの総てを。歩め、九条緋呂。己が信ずる道を。たとえ愛する者に拒まれようと瞳を曇らすな。我が過ちを繰り返してはならぬ。最早、一度しか問わぬぞ」
遂に、クロスカリバーがコクーンセイバーに競り勝ち、ヴァキュアスの胴が二つに裂かれた。その刹那、斬られる音でも砕ける音でもなく、一言のみが緋呂の耳を、心をとらえた。
「血を流す覚悟は出来たか?」
そうだ。多くを失った。目を背けたかった。けれど、無理だった。消えていったものの命が道を作ってきた。野良犬、ヴィ・マナファミリー、村の人々、アズマ地方の街、瑞乃。残ったものの想いが背中を押している。春島、芽吹、アドラ、ヴァキュアス。そして果たすべき約束が足を動かす。ローザを守る。イデアコズモスを救う。
──お兄ちゃんは薔薇の騎士様そっくり。悪い王様が来たら守ってね。
お兄ちゃんな、そんなにカッコいい人間じゃないんだ。色んな人間に迷惑かけて、瑞乃にまで拒まれて。
「痛い、苦しい。でも、覚悟ぐらい、」
でも、お願いだ。カッコつけさせてくれ。瑞乃が創った綺麗な世界、また見たいんだ。生きて、この目で確かめたいんだ。
もう見失わないよ。どんなに否定されても曲げない。だって俺は騎士だから。皆を守る。それが俺の、存在証明─レゾン・デートル─なんだ。
「ずっと前から出来ている」
宙に舞っていたコクーンセイバーを掴み、緋呂は構えた。それから一点の曇りも無い目で、偽りのない声で問いかけた。
「九条正義!お前に聞く。血を流す覚悟は出来たか?」
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