第三十六滴 もう一つの三銃士

 晴天の霹靂とはよく言ったものだ。晴れ間に雷音が聞こえてくるように突然飛び込んでくる事件を、昔の人々はそう表現した。昼間の日差しに煌めき、廃れきった空き家に向けられた銃口を目にして、緋呂はそんな言葉を頭によぎらせた。人通りは無い。立ち入り禁止の柵を挟んで、老人が孫に銃を突きつけていた。

 九条正義。心優しい祖父だった。会える回数は限られていたものの、子を顧みなかった両親に代わって面倒を見てくれた。親よりも親に近かった。

 だが、イデアコズモスでの一件で、その思い出が仮初めであったと気づいた。緋呂を騙し、自分こそが世界の覇者になろうとした男。私利私欲のためなら平気で嘘をつける、他人の信用を失うことに何の躊躇いも無い、緋呂の一番嫌いな人種だった。

「何でここにいる」

 問いかけると、正義は銃弾を緋呂のこめかみめがけて飛ばした。髪の毛に熱の感触を覚える。壁の弾痕が二つに増えた。緋呂は固唾を飲んで正義の方に向き直った。

「喋ると思うかい?」

 平静を保とうと努めているつもりだろうが、明らかに声は殺気立っている。焦燥を抱いているのは間違いない。でなければ、消音だからといって昼間から銃を放つ訳がない。

「随分焦っているようだな、クジョウマサヨシ」

 アドラが挑発する。銃口が一瞬揺らいだが、

「君に撃っても仕方ないな」

 と、正義はわざとらしく鼻で笑った。刹那、笑いを止めて呟いた。

「私も同じだった。違う世界の生命は交わらない。そう、生命だけなんだよ。干渉できないのは」

 徐々に語気が強まり、早口になる。

「なのに、あの剣まで同じってどういうことなんだよ!」

 突如激昂した正義は引き金を二度続けて引いた。デスクトップパソコンの背面が撃ち抜かれ、鈍い音を立ててカビだらけの床に落ちる。子供のような癇癪を前に、緋呂は悟った。

「お前、使えないんだな?クロスカリバーを。だから焦って俺達を殺そうとしている。そうなんだろ」

 言いきった直後、横から強い力がかかって床に倒れた。カビや埃の混ざった空気が鼻を刺激する。咳き込みながら顔を上げると、深紅の鎧を纏ったアドラが緋呂を覆うようにして庇っていた。

 正義が銃を地面に叩きつけた。そしてさっきまでの理性で踏みとどまっていた様子を完全に消し去ったとばかりに、空疎な通りの上で捲し立てた。

「そんな訳ないだろ、君じゃあるまいし。欲しかったよ、干渉なんて無視してしまうほど強いあの力を。メシアの方も欲しかったけど、あのお姫様に邪魔されて。手に入れたはいいけど誰もあの剣の力を継げない。刺しても刺してもすり抜ける。世界が違うからかなぁ?」

「一応聞くぞ。その人達、どうした」

「死んだよ。多分、事故か何かで処理されるんじゃないかな。グチャグチャにしてしまったしね、色々やって」

 景色が真っ赤に見えた。緋呂の血管は人生最上級の速度で血を送り出している。全身が力む。

 身を乗り出しかけた緋呂の前を、アドラが手を伸ばす。制止のジェスチャー。そのまま慎重にアドラは立ち上がった。目線はどこか遠かった。

「血は生命の記憶だ。存在そのものだ。どこの誰ともわからない奴が持てるほど安くない。渡したいなら互いに強い繋がりが無ければ譲渡は不可能だ。それこそ、オーバーロードほど強くなければな」

 微笑みながら緋呂に目をやる。あの時、心の底から託したかったのだと伝わった。やり方は杜撰だったが、アドラなりに考えた結果があれなのだ。そんな真剣な想いを疑った自分を恥じ、同時に今は彼が味方であることが頼もしく思えた。

 緋呂は微笑み返した。すると、銃を拾い直した正義が三度(みたび)緋呂に銃口を向けた。

「もう牽制はナシだ。君の怯えた顔よりも、血が見たくなったよ」

 澄みきった景色に大きな音が鳴った。だが、硝煙は上がっていない。正義の身体は細腕にはね飛ばされ、地面に倒れ込んでいた。細腕の正体に緋呂は息を呑んだ。

「芽吹…!?」

 栗色の髪をした女性が、迫真の顔で柵を飛び越えた。窓際から手を伸ばし、

「急いで、早く」

 と、緋呂が差し出した手を握り引っ張った。その力を利用して、緋呂は窓から飛び降りる。デスクトップパソコンの本体を抱えたアドラが自力で飛び越えるのを待ち、三人は一目散に走り出した。とにかく逃げる。生き延びる。それしか頭になかった。

 しばらく走っていると、繁華街に出た。ここなら人通りが多い。

「ひとまず助かった、かな」

 息を切らしながらも、緋呂と芽吹は安堵のため息を漏らした。アドラは尚も警戒を解こうとしない。見慣れない光景というのもあるだろう。ともあれ、正義の凶弾に倒れることは無さそうだ。

 正義が歳を食っていたのは幸運だった。イデアコズモスでは猛威を振るったかもしれないが、元の世界に来ればただの老獪な人物に過ぎない。やりようは十分にある。

「ところで、何であそこにいたんだ?」

 緋呂は芽吹の方に顔を向けて尋ねた。芽吹は口を尖らせ、

「笑わないでよ?」

 と釘を刺した。それから、息を整えて言った。

「昨日、久しぶりに会えてさ。一度しか喋ったこと無かったような間柄で言うのも変な話だって思うかもだけどさ、運命、感じちゃって。会いたくなったの。で、偶然出会っちゃったってわけ。ギリギリの九条君にね」

 緋呂は胸が熱くなった。頬の緩みと涙を堪えるので精一杯だった。本当なら注意すべきだろう。あんな危ない事しないで、警察に通報しろと言うべきだと思う。けれど、今は道理以上に嬉しさを噛みしめていたい。

 イデアコズモスに来る前まで与えられなかった言葉。メシアと呼ばれるようになってから久しく見失っていた渇望。純粋に会いたいと言ってくれたことが、『九条緋呂』を求めてくれたことが、何よりも嬉しかった。

 ひとしきり喜びを享受した後、アドラがデスクトップパソコンを掲げて言った。

「中を調べないのか?」

 すると、

「九条君がもう一人…」

 思い出したように芽吹が戸惑いを見せる。

「言っていなかったっけ。双子だ」

 緋呂は咄嗟に誤魔化す。が、立場が悪かった。あちらこちらのブランドショップが目に入る。どれも九条財閥を後ろ楯にした企業である。身元を誤魔化すには大きすぎるのだ。謝恩会などで撮られた家族写真も、きっとインターネットのどこかに掲載されていることだろう。誤魔化しきれない。

 気まずさを抱えつつ、緋呂は何とか言葉を捻り出した。

「ちょっと待ってくれ。あいつと話すから」

 アドラを捕まえ、小声で話しかける。

「教えるべきかな」

「巻き込むことになるぞ」

「この場をやりきれると思うか?それに、」

 言葉を切り、緋呂は芽吹の行動を思い出した。怖かったに違いない。老人とはいえ銃を持っていた。それでも助けようとしてくれた。並大抵の精神力じゃない。

「芽吹なら大丈夫だよ、きっと」

 アドラは腕を組んで考え込む姿勢をとった。しかし、堪えきれないとばかりにすぐ吹き出した。

「やはり自分同士というのは馬が合う。俺も初めからその腹づもりだった。あの少女、しばらく隙を窺っていたんだよ。息を潜めて、好機を狙っていた。あの行動が勇気の産物である証拠だ。大丈夫に違いないさ、彼女なら」

 意見が合致した。やることは決まった。緋呂は芽吹に向き合う形で立ち、全てを話した。信じてくれるかどうか、そんな根本的なことを考える必要も無かった。何故か確信があった。

「──そっか。大変だったんだ」

 芽吹は深く呼吸してから、言葉を続けた。

「もしよかったらさ、アタシにも背負わせてよ。その大変さ」

 確信は事実となった。やはり芽吹は強い。

「ありがとう。頼りにさせてもらうよ、芽吹」

 二人の戦いが、三人の戦いになった。

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