第三十七滴 死闘、九条邸にて
意気込みと実際は噛み合わないことの方が多い。たとえば受験。受かってやると意気込んで、望み通りの形で合格できた人間が果たして何人いるだろうか。
緋呂もそんなギャップに苦しんでいた。デスクトップパソコンを解析してやると意気込んだはいいものの、困ったことに随分昔の型で、取り扱っている電器店はどこにも無かった。
夜分、足取り重く緋呂とアドラ、そして芽吹は家路についた。芽吹が門前まで着いてくるので、緋呂は振り向き、
「お前、家はどうするんだよ」
「泊めてもらおっかなって。家には友達の所でって言っとく予定」
緋呂は眉を潜めた。他人を自宅にあげるのが嫌という訳ではない。そんな経験は財閥関係者で嫌というほどしている。いまさら嫌う理由が無い。そこではない。
「何で泊まろうとするんだよ」
すると、今度は芽吹が眉を潜ませた。
「女一人、夜道を歩かせようっての?」
何故ムキになる。頭を掻き、緋呂はため息をついた。
「エスコートはしてやるから」
「そうじゃなくて」
一転、芽吹は少しばかり目を伏せてから口を開いた。
「どうせ二人で色々やってくれるんでしょ?」
緋呂は反射的に仰け反ってしまった。図星。
「ダメだよ。そんなの悪いよ」
悪いってことは無いだろう、命懸けなんだから。言葉にする前に、芽吹は続けた。
「ほら、三人で戦うってことになったじゃん?だからさ、アタシもできるだけ頑張りたいなって。それでも、ダメ?」
危うく卑怯な人間になるところだった。力を貸してほしいと言いながら仲間外れにする、それは九条正義と変わらない。私欲のために都合良く人を使う、そんな奴を討つために今こうして集まっているのだ。
緋呂は組んだ腕を解き、軽く首に手を当てて言った。
「じゃあ、っていうのも変だけどお願いするよ、泊まっていってくれ」
「やった!ありがとね、九条君」
芽吹は栗色の毛を揺らしながら跳ねた。昼時の一件を考えると軽々しいものだが、芽吹の腕に指の跡が出来ているのが見えてしまった。
パソコンを運ぶ間、緋呂は芽吹の様子を見る余裕が無かった。イデアコズモスへ行かねば。その一心のみで、周りを確認する余裕が失せていた。その間、芽吹が何を感じていたか。銃を持った老人がいつこの場所に来るかわからない、そんな状況を想像できていなかった。
指紋認証式の鍵が解除され、門が開かれる。およそ10mはある玄関までを歩く中、アドラが緋呂に近寄った。
「言っただろう、心配しなくても平気だと」
己の無理解に辟易しながら、緋呂は自嘲気味に呟く。
「まだ人に慣れていないな、俺」
それを聞いて、アドラは肩に手を置いた。
「気持ちはわかる。誰も傷ついてほしくない。素直なだけだ、お前は」
そして多分、緋呂には聞かせないつもりで小さく付け足した。
「羨ましいよ、そういう所」
アドラがスカルバーンとなったのは、自我を失わないため。妹を守る、その想いを掻き消されたくなかったから悪を演じた。負の感情がどれほどの強さを誇るか、緋呂はこの七年間で痛感していた。
だから、緋呂は思った。俺は素直でいよう。色々あったけど、俺は俺の感じるままに突き進もう。アドラがそれを羨んだ。芽吹はそれに応えようとしてくれる。躊躇う方が失礼だろう。必ずローザを助け出す。俺はそのことに素直でいればいい。
「ところで」
アドラが再び緋呂に寄り、耳打ちした。
「顔はどうする」
硬直。しばらく考え、緋呂はドアノブに手をかけながら、半ばヤケクソ気味に吐き捨てた。
「仮面、被ればいいんじゃないか?」
玄関の扉を開けると、春島たち四人の使用人が赤いカーペットに沿って横に並び立っていた。
「お帰りなさいませ」
一縷のズレもなく揃う声。深々と下げられる頭。正直なところ、緋呂はこの慣習が好きではない。春島、夏原、秋村、冬田の誰もが使用人の礼節と言い張って聞かなかったものの、十年以上経った今でもこの扱いを認めた訳ではない。人に優劣を求めているようで嫌になる。
「そちらのご客人は?」
春島が芽吹の方に手を差し向ける。
「木陰芽吹。小学生の頃の同級生」
春島は笑顔を誇張させた。作り笑いではないだろう。表情が出来上がるまでに拍が無かった。ただ、大袈裟な雰囲気が伝わってきた。
「変わられましたね、緋呂様」
「そうかな」
「ええ、とても良いことだと思います」
声色もわざとらしいぐらい明るい。本音と嘘が混ざり合った様子。原因は大体わかる。深紅の骸骨の仮面を被った、不恰好な客人を無視したいらしい。比較的歴の若い冬田の目が泳いでいる。やはり、流石に違和感が凄まじいか。
と、このまま無視するのも忍びないと思ったのか、春島がアドラに指をさして言った。
「その、あちらのご客人は何故パソコンを抱えてらっしゃるのでしょうか。それも本体ごと」
指先が震えている。本体ごとパソコンを抱えた骸骨仮面の男。改めて思うが、確かに怪しさ全開である。
気を取り直し、緋呂は答えた。
「実はちょっと調べたいことがあって。あれ、お祖父ちゃんの使っていた型と同じなんだよ。でも古すぎるからマトモに動かせなくてさ。だから、春島達なら知っているかなって」
春島は怪訝な表情でアドラを見つめていたが、少ししていつもの穏やかな顔つきに戻った。
「ええ、構いませんよ。ではパソコンをこちらに」
春島に言われるまま、アドラはパソコンを渡した。画面を春島が、本体を夏原が持つ。そしてそのまま一階の書斎に入っていった。緋呂達も後からついていく。
ほのかな明かりの中で、四人の使用人達がそれぞれ作業に取りかかっていた。緋呂が記憶する限り、全員理工学部卒だったと思われる。これからの時代、エンジニアはいくらいても困らないという九条家の方針だ。はっきり言ってアンバランスな思想である。とはいえ、この四人を無下にしたくないので、これに関する談判はしていない。
それに割と助かっている。今だってそうだ。彼女達がいなければ、この古びたパソコンがこうして起動までこぎ着くことは無かっただろう。
「正義様の使っていらっしゃったものと同じ型だったからでしょうか、存外早く終われました」
春島があっさりと言ってのける。緋呂は呆気にとられて身体が動かなかった。反対に、芽吹は興奮気味に机と向き合った。
「凄い!ホントに動くよ、これ」
我に返った緋呂は春島たち四人の使用人に頭を下げた。
「ありがとう。本当に助かったよ」
「いえいえ、当然の行いです。そういえば、」
春島がスカートのポケットに入れていた紙切れを緋呂に渡す。紙は黄ばみ、形も不恰好に崩れている。
「このようなものがパソコンの中にございました」
受け取った紙切れを広げると、アルファベットや記号の羅列が数個書かれてあった。それぞれの用途が上記されている。ID、パスワード、特殊ファイルの解凍コード。中でも目を惹いたのは解凍コードにある文字。『32No=Q.o.M.』隣には下書きの跡が残っていた。
痕跡を指でなぞる。瑞乃、32No(ミズノ)。現人神、Qualia of Mankind、Q.o.M。
「瑞乃は、現人神」
頭で呟いた言葉が音になって漏れ出た。夏の夜だというのに、鳥肌が止まらなかった。これ以上覗くのはまずいんじゃないか。本能が逃避を薦めてくる。
だが、芽吹が震える緋呂の手を握りしめて言った。
「早く調べて、助けに行こっ」
不思議と震えが止まった。いや、これは必然だ。弱気になりそうな時、背中を押してくれる。これほど心強いことがあるだろうか。
早速、緋呂は正義のパソコンから特殊ファイルを開いた。画面に浮かび上がった文字をアドラが呟く。
「『クオリアが繋ぐ生と死』…」
大方、このようなことが書かれていた。
クオリア、人の意識と霊感の仲介者、それが現世と死後の世界を物理的に結びつける可能性がある。輪廻転生は死後の世界の住人が現世に迷い込み質量を得るという点で、現象の代表例として挙げられる。
これを意図的に行うには、死後の世界にある鍵を得なければならない。普通は鍵を得るどころか死後の世界に行くことすら不可能なことだが、例外がある。新鮮な死体、つまり肉体の生と精神の死を両立させている者の意識を基盤にするのだ。
新鮮な死体は物理的なやり取りをまだ覚えている状態にある。これを媒体とすれば、死後の世界は理解可能な世界に置き換わる。ちょうどパソコンのデータのように、こちらの都合に合わせて変換されるわけだ。
死後の世界へ移動するための装置は、新鮮な死体と移動する者の双方が着けることで起動可能となる。便利なことに、死後の世界に旅行している間は肉体が老化することはない。意識が消えるということは、肉体がただの物と化すこと。外的要因さえ無ければ、不老の置き物となる。
だから正義は作った。真空状態を生み出せる装置起動用の空間を。
「このダイヤルを回した先、九条邸地下に」
緋呂、アドラ、芽吹は黒電話を前に立つ。緋呂がパソコンに書かれてあった順番通りに、黒電話のダイヤルを逆方向に回す。8、1、2、3、3、5、2、3。
黒電話の左隣の床がスライドし、穴が姿を現した。階段が下まで伸びている。緋呂は固唾をのみ、一歩を踏み出す。一人分の幅しかない狭い道を降りていく。
途中、芽吹の手が震えているのが見えた。緋呂は前を向いたまま、その手を握った。先刻、そうしてくれたように。勇気を分けたかった。
階段が終わった。やっと幅が三人分程度には広くなった。奥がほのかに明るい。コンクリートで作られた地面と壁は尚も続く。
「クロスカリバーが無いのはわかっているな?」
アドラが後ろから声をかけてくる。
「戦うなって言いたいのか?」
「そうじゃない」
と、アドラは緋呂の前に立ち、そして──
遂に、ここまで来た。装置を囲う真空空間を背に、正義が立ち塞がっていた。一騎討ち。
正義は右手のクロスカリバーを緋呂めがけて振った。緋呂の頬から血が流れる。
「知っていたかな。実は君をこれで傷つけられるんだ。源が君自身だからだろうね」
手で拭い、ふらつく足を踏ん張って体勢を立て直す。
「能書きはどうでもいい。助けなきゃいけないんだ。だから、お前を倒す!」
そうして、緋呂は頬の血から銀の剣を生み出し、マゼンタ色の焔で灯した。
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