第四十四滴 姫を起こすな

 戸惑いが無いと言えば嘘になる。装置を起動させイデアコズモスに来訪したが、様変わりどころではなかった。降り立った地は最後にいた森の中ではなく、禍々しい城がそびえ立つ血生臭い荒野だった。

「どこなんだ、ここ」

 緋呂は着いて早々、辺りを見回した。

「エル王国だ」

 アドラが答える。緋呂は身体をこわばらせた。冷や汗が流れる。意図せず相手の本拠地にたどり着いた。腹を括ったとはいえ、実際に異様な光景を前にすると、どうしても動揺は生まれてしまう。早くローザの下に行かないといけないのに。

「ふと思ったんだが」

 アドラが切り出す。

「今、エルを治めているのは誰だと思う?」

 そういえばそうだ。緋呂はヴァキュアスのことを思い出した。彼は元の世界に訪れ、正義と戦った。そして、コクーンセイバーを遺して消えた。つまり、イデアコズモスにいないのだ。支配者が椅子を空けていれば、国内の混乱は免れないだろう。

「一番ヴァキュアスに近い奴、かもな」

 だが、これらの憶測が成立するには一定の期間が必要となる。一日程度なら捜索隊を出すだけで済む。しかし、緋呂の目の前に広がる荒れ地はどうやら、事がそう穏やかではないことを告げていた。

 それに、アドラの体内にはイデアコズモスの歴史を司る生命の記憶がある。無意味な質問はしないだろう。

 緋呂はある推察を述べた。

「時差があるのか?この世とあの世で」

 世界規模のアーカイブを持つ男が、一定の期間が必要な話題を切り出した。その期間はこの世で費やした時間と符合しない。そして、死の臭いが充満する大地が、アドラの言わんとする事を暗に示している。

 すなわち、アドラが言いたいのは、緋呂達が一日を過ごす内にイデアコズモスではかなりの時が過ぎたのではないか、その間にエル王国の支配構造が変わったのではないか、ということだろう。

 案の定、アドラは頷いた。緋呂は固唾を呑んだ。

「じゃあ、ローザはどうなったんだ?」

 緋呂が尋ねると、アドラは押し黙ってしまった。心の音が強くなる。どれほどの時差があるのかわからないが、アドラが沈黙するほどの時間が流れたのは確かなのだ。

 呼吸を一つ挟み、緋呂は言った。

「エル城を攻略しよう。今がチャンスだ」

 国内が混沌に包まれている時が最善の攻め時だ。靖康の変がそうであったように。

「俺が前に立つ。アドラは芽吹を頼む」

 二人よりも数歩先で、緋呂は双剣を取り出した。

 身構えたまましばらく進むと、エル城の近くで巨大な影が見えた。

「アドラ、この世界に巨人はいるのか?」

「いいや。基本、ここに生きる命はお前達の世界のものと大差ない。物語を基盤としているから、多少の誇張はされているがな」

 多少の誇張の内に巨人が入らないなら、考えられる線は一つ。

「ていうかあれ、ロボットっぽくない?何となくカクカクしてるし」

 緋呂が言い出す前に、芽吹が声を上げた。そのロボットが拳を勢い良く振り下ろした。遥か彼方から大きな震動が伝わってくる。ロボットが土煙に覆われた。

 緋呂の頭は瞬発的に物事を繋いだ。国が荒れていて、城の前でロボットが拳を振り下ろした。争いだ。反乱軍か何かを潰すために。

「二人とも、肩に捕まれ」

 緋呂は咄嗟に叫んだ。それから詠唱を呟いた。クロスカリバーとコクーンセイバーが眩く光る。閃きと共に、緋呂達は土煙の中に突入し、ゼーレンの真下までやって来た。双剣を繰り出そうと中腰になった緋呂の視界に、満身創痍のカットラスの姿が入った。カッターは粉々、脚は血まみれ。何があった、と聞く暇などない。

「アドラ、芽吹!あの人をどこか遠くへ!」

 緋呂が指示するや否や、二人はカットラスの所まで走っていった。あとは自分でどうにかするしかない。

 コクーンセイバーが記憶を刻み込む。緋呂がイデアコズモスを離れてから今に至るまでの、エル王国の記憶。ロボットを造るまでに至った発展と、その影で流されてきたいくつもの血。

 そしてクロスカリバーが刻まれた記憶を喰う。一人で背負うには重すぎる数多の感情を糧に、クロスカリバーは輝きを増した。

 緋呂は高く跳び、双剣を振るった。衝撃で両手が千切れそうな感覚になる。軌道がずれる。空振り。しかし、ゼーレンの片腕が斬り落とされ、風圧が本体を墜落に追いやった。

 重力が無くなったかのように緋呂は宙で方向転換し、高速で着地した。

「とんでもなさすぎるだろ」

 息を切らし、緋呂は呟く。

 近くの裂け目から、アドラと芽吹が顔を出した。緋呂に近寄り、芽吹がゼーレンを指さして言った。

「強すぎない!?あのロボット瞬殺って…」

 語気から、驚嘆よりも畏怖の雰囲気が漂ってくる。実際、無闇に使えるものじゃない。一振りで出る被害が大きすぎる。

「メシアとオーバーロードの力は併せるべきだとヴァキュアスが再三言っていたが、まさかこれほどとは」

 アドラさえ、唸るように言葉を捻り出した。無惨なゼーレンの残骸を見て、緋呂はヴィ・マナの一件を思い出した。できるだけ、この力は併せないようにしよう。

「あなたはメシアか?」

 緋呂の耳に若い男の声が聞こえてきた。その方に向くと、傷だらけの男が二人いた。あの二人にとって、自分はメシアなのだ。カットラスの顔が脳内に浮かぶ。希望が必要なのだ。緋呂は頷いた。

「姫があの中にいる!助けてくれ!」

 誰のことか、すぐにわかった。孤独の身であったカットラスがこの場にいて戦っている。そのカットラスがいた合衆連盟はローザが幹となっていた。ローザだ。

 しかし、足を踏み出そうとした瞬間、緋呂の中に違和感が生まれた。

「さっき」

 立ち止まって言葉を続ける。

「コクーンセイバーでエル王国の記憶を見た。でも、その記憶にローザはいなかった」

 クロスカリバーは自分にとって重要性が低い、もしくは接点が薄いものを優先的に、無意識の内に糧とする性質を持つ。ローザの記憶が流れ込んでいたなら、残っていないとおかしい。間違っても失うわけのない記憶なのだから。

「まさか、な」

 アドラが深刻に呟く。

「何か心当たりが」

「あるにはある。が、今は救出に向かおう。話はそれからだ」

 アドラは踵を返し、先に向かった。胸中にしこりが残る緋呂に対して芽吹は、

「アドラさんの言うとおりだよ。まずはやることやらなきゃ。その後、一緒に考えよ」

 と、緋呂の胸に拳を合わせた。華奢な手と腕を見つめる。そして顔を上げ緋呂は頷き、門の向こうへ入っていった。

 ほの暗い大広間に踏み入る。間取りといい、どこか自宅を彷彿とさせた。途端、周囲から氷の粒が舞い散った。ヴィ・マナファミリーがやられたウイルス。

「芽吹、あれ吸うなよ。死ぬから」

 背後の芽吹を庇うようにして、緋呂はコクーンセイバーを体内にしまい、クロスカリバーを両手で握りしめた。

 すると天井から、

「オイオイ流血騎さんよぉ、カゲリには本気出しといてオレには手抜きか!?」

 眉間に皺を寄せながらヒュブリスが降りてきた。端麗だった顔つきは顔面の片側が焼け爛れ、醜悪な見た目になってしまっている。

 ヒュブリスは瞼の無い左目をギョロつかせ、アドラの方を見た。

「スカルバーンか?お前。そんな匂いがするぜ」

「だったらどうした」

 アドラが返事すると、

「あれ、何だ」

 ヒュブリスは頭上を指さした。見上げると、ローザが両手を広げた姿で錆びた鎖に縛られていた。記憶よりもはるかに大きくなっていたが、確かにローザだった。ローザはほんの少しでも揺れれば落ちてしまいそうなほど、脆く結ばれていた。

「ローザ!」

 アドラが狼狽しながら叫ぶ。それを見て、ヒュブリスは大仰に手を叩いた。

「良いッスねぇその反応!サイコー!でさでさ、遠いから見えないと思うんスけど、実はあんまり血が無いんスよねぇー。生意気なもんだから、ちょっと殴りすぎちゃって」

 刹那、緋呂はクロスカリバーを振った。間一髪、ヒュブリスは避ける。

「おっとっと、危ないッスよ?落ちちゃうかも」

 緋呂は硬直した。すかさず、ヒュブリスが緋呂の脚を氷で固め、顔や胴体を殴った。まるでサンドバッグのように。

「ほらほらほら!頑張りましょうねぇー流血騎さん!」

 殴打されながら、緋呂は迷っていた。ローザを助ける。ヒュブリスを倒す。両方達成するのは至難の業だ。唯一、コクーンセイバーとの併用を除いて。あの速度を出せばヒュブリスを倒しても、ローザが落ちる前に救出できる。だが、衝撃にエル城がもつかどうか。博打だ。

「九条君、戦って!」

 その時、芽吹が呼びかけた。

「心配しないで、アタシがキャッチするから!」

 緋呂は薄く笑い、

「信じるからな、芽吹」

 と、クロスカリバーを握りしめ、ヒュブリスが振りかぶったわずかな隙を使って、途切れ途切れ詠唱を呟いた。クロスカリバーの光が氷を溶かす。

「またかよ、インチキ野郎が!」

「今度はこっちの番だ、ヒュブリス」

 目にも止まらぬ速さで踏み込み、緋呂はヒュブリスの胸を斬った。しかし、手応えは浅かった。すんでのところでかわされたのだろう。トドメを刺そうとしたが、至近距離で氷の粒を放たれ仰け反った隙に逃げられた。

 すぐさま緋呂は後ろに振り向く。芽吹とアドラがローザを抱きかかえていた。クロスカリバーを納めて駆けつける。痛々しい殴打の痕と血が、きめ細やかな白い肌を染めていた。

「出血が酷いね。何ヵ所か骨折もしてる。息はまだあるけど、早くしなきゃ死んじゃうかも」

 芽吹が容態を説明する。緋呂はアドラに尋ねる。

「この城に医務室は無いか?」

「ヒュブリスに使われるかもしれない」

 沈黙が大広間に漂う。実際、城内の敵の規模もわからないまま迂闊な発言をしたとは思う。だが、早く対処しなければローザは死ぬ。

 すると、アドラが重い腰を上げ、口を開いた。

「俺の血を飲ませる」

「輸血にもならないよ」

 芽吹が反対する。

「俺の血、いや、血の巫女の血には不思議な力がある。飲むことで生命の記憶を得られる。もし、俺の推測が正しければ、これで上手くはずだ」

 そう言ってアドラは屈み、鎖の尖った断片で自分の手を切った。血が滴る。拳を強く握り、なるべく多く絞り出そうとする。一滴、一滴とローザの口に入っていく。

 アドラは大きくなったローザを見ながら吐露した。

「見たかったよ、お前が大きくなるところ」

 ローザに瑞乃の顔が重なる。瑞乃も大きくなったらこんな姿だったのだろうか。この姿で、制服を着ていたのだろうか。

 思いに更けていると、後ろから門の開く音がした。

「血を飲ませてはならない!」

 クウケンが叫んだ。だが、時すでに遅し。ローザの喉が動いた。

「よし、成功した。俺の推測は正しかった!」

 アドラが歓喜に浸る。

「どういうこと?」

 芽吹が戸惑いを露にする。

「ヴァキュアスが言っていた。ローザは神を宿していると。神を目覚めさせる鍵は血の巫女の血だ。それを飲ませたら神の力をモノにできる。命が助かるんだよ。そして助かった。成功だ」

「大失敗だ、愚か者!」

 興奮するアドラに対し、クウケンが怒号を上げた。

「神が目覚めることでヒュブリスの望みが果たされてしまうのだぞ!全ての時が白紙に還る悪夢、白紙化─カタストロフ─が!」

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