第四十三滴 メシア帰還

 眼前のエル城に、オルキデアは足を踏み込めずにいた。立ちはだかる巨大な兵器、周囲を覆う数多の敵。白光草の三十人も最初は拮抗していた。千人隊もかなりの数を減らした。しかし今、三十人の内で立っているのはわずか三人のみ。クウケンとカットラス、そしてオルキデア。三人は残る何百もの兵士に対し臨戦態勢をとった。満身創痍の身体を奮わせて。

 オルキデアが先陣を切る。一斉に襲いかかる敵の合間を掻い潜り、わずかな隙に剣を入れる。オルキデアの背後で数人の兵士が倒れ伏した。かと思えば、すかさず他の者が飛びかかる。肩で息をする。

「キリがねぇな」

 オルキデアは辟易とした風に吐き捨てた。剣を構え直す。刀身に彫られたメシアの象徴、十字の紋章が鈍く光る。

 しかし、頭上から降ってきたゼーレンの拳が大地を揺らす。足場を崩され無防備なオルキデアに、大量の兵士が弾丸を放った。命中。血飛沫が舞う。

 顔を上げ、オルキデアは銃口を睨んだ。

「何だありゃあ…!」

 遠くから攻撃できる武器など、オルキデアの知識には無かった。確かにローゼンメイデン王国が発足した後はエル王国の一件もあり、メイデンの教えを軸に据えはしたものの、護身のために武器の製造は各国で秘密裏に進められていた。しかし、あんな武器はどの国でも見たことが無かった。

 息つく間もなく、千人隊達は銃弾を撃ち放つ。無数の破裂音と共に、オルキデアは悟った。これが当たれば死ぬ。身をよじらせようと努めるが、痛んだ身体はマトモに動いてくれない。いや、そもそも動くための時間をくれない。

 だが、その弾はオルキデアに当たらなかった。代わりに、二人の騎士がオルキデアの前で膝をついていた。クウケンは腹を血で滲ませ、カットラスは脛の辺りを貫かれていた。

「庇う必要なんか無かったのに」

 瞬間で起きた残虐な光景に狼狽しながら、オルキデアは叫んだ。腐肉の臭いを伴い、周囲の血生臭さが鼻腔を突く。思えば、オルキデアにとって『戦闘』はこれが初めてである。自分の立っている場所がどれだけ凄惨か、理解がようやく追いついてきた。

 すると、クウケンがオルキデアの頬を弱々しく叩いた。

「間違っても口走るな、そのような言葉」

 怒号。エルの兵士達が弾を込める。

「命を軽んじるな。我々は同志の命をも担っている。ローザ殿の命も、だ。彼女を泣かせるつもりか?」

 オルキデアの脳裏にローザの顔が浮かぶ。十年前、初めて見た時から変わらない端正な顔と、遠くを見据えた目つき。同じ景色を見たいと思った。かつてのメシアと同じように。だから騎士になった。

「…帰れる人は、多い方がいい」

 カットラスが両腕のカッターを構え、使いものにならない片脚を引きずり近づく。弾が装填され終わった。無数の銃口が最前線のカットラスに向けられる。

「…こんな身体になってまで生きた。…だから生きる、これからも」

 地面を蹴り、カットラスは大群に攻め入った。脚の機能が奪われてもなお、カットラスの素早さは損なわれなかった。次々に銃身が切り落とされる。

 二十人分の銃を潰した直後、カットラスの身体を激痛が襲った。脛に空いた孔が疼く。胃から込み上げてくる吐き気。視界は朦朧とし、景色もその色を褪せていた。今にも倒れそうなほどふらつく足取り。

 それでもカットラスは踏ん張った。吼えた。刃を振り続けた。戦場で役立てないで、何のための身体か。もう十年前の過ちを、メシアの死を繰り返しはしない。今度こそ、この身体を得た意味を活かす。それがカットラスの存在証明だから。

 ああ、凄い。オルキデアはカットラスの様子を見て、状況の一切を忘れ、ただただ素直にそう思った。

 動悸やまぬカットラスを影が覆う。見上げると、ゼーレンが再び拳を振り上げていた。次に地面を打ちつけられれば、双方ただでは済まない。尚やろうと試みるのは、エルにゼーレンがいるから、その一点のみであろう。機械仕掛けの怪物だけが制圧する権利を有している。圧倒的な理不尽。

「逃げて!」

 オルキデアは咄嗟に叫んだ。同時に、自分の無力さを痛感した。声を上げる以外に何もできない自分に、腹が立って仕方ない。メシアならもっと上手くやれた。

 拳が降ろされる。轟音と共に土煙が巻き上げられ、大地は空気を震わせるほど揺れ動く。白光草の三十人、千人隊問わず、多くの人と死体が地面の裂け目に呑まれていった。

 クウケンに引っ張られ、すんでのところでオルキデアは助かった。しかしカットラスは?土煙で姿が見えない。だが、視線を落とした先に見える裂けた大地はオルキデアに、カットラスの死を連想させた。ヒュブリスは城から、耳をつんざくほど大きな声で笑う。そして宙に浮かぶゼーレンを見て、オルキデアはか細い声を漏らした。

「誰か助けて」

 その時だった。土煙が突風散り散りとなり、視界が晴れた。直後、ゼーレンの片腕が落ち、裂け目の間に挟まった。風を起こした中心に目を凝らす。三人の人間が立っていた。他の二人はわからないが、両手に剣を持つ一人はすぐにわかった。十字の剣を持つ男。

「メシア殿、なのか…?」

 オルキデアが口にする前に、クウケンが消え入りそうな声で、感慨を露にして言った。男は反応しない。今度は大声で、オルキデアが尋ねた。

「あなたはメシアか?」

 男は振り返り、静かに頷いた。オルキデアはエル城を指さし頼んだ。

「姫があの中にいる!助けてくれ!」

 三人は集まって何かを話し、それからエル城へ向かった。当然、ゼーレンが立ちはだかる。しかしメシアは巨躯をものともせず、もう片方の腕まで斬り落とした。城が近くにあるため、ローゼンメイデンを襲ったミサイルは使えないだろう。三人はそのまま、門の向こうへ入っていった。

 不思議と、ヒュブリスの反応が無かった。激情家の奴なら、怒号の一つや二つ上げてもおかしくないはず。

 そんな些事を頭から掻き消したのは、ゼーレンから出てきた白無垢の女だった。女は裂けた大地の凹凸などは意にも介さず、オルキデア達の方へ歩み寄る。奇異な恰好から醸し出される不気味な雰囲気に、オルキデアは固唾を呑んだ。クウケンはオルキデアの前に立って身構える。オルキデアも立とうと膝に手をかけた瞬間、女は体勢を崩して倒れた。

 反射的にクウケンが近づこうと足を踏み出す。

「罠かもしれない」

「見過ごす理由にはならん」

 そのまま歩き出すクウケンの数歩後をついていく。もたつく足取りで、オルキデアは不満を語気に乗せた。

「あいつ、カットラスや皆を殺したんですよ?敵味方関係なく。そんなの介抱しようっていうんですか?」

「私怨を交えるな。目先に起きたのは一人の女性が倒れたのみ。他意を込めて瞳を曇らせては、いずれ過ちを犯すぞ」

 クウケンに咎められ、オルキデアは目を伏せた。師匠の言うこととはいえ、腑に落ちない。エル王国が世界にしてきたことは、許されていいものじゃない。家族を奪われた者、住む所を失ったもの、人としての生活を投げうつしかなくなった者。全員、エルによって人生を狂わされてきた。そんな相手に私怨も交えず介抱しろなんてふざけている。

 そう感じるオルキデアの目に、点々と連なる血の跡が映った。跡を目で辿ると、クウケンの拳から出ているものだとわかった。オルキデアは一つ悟った。だからもうこれ以上、何も言わなかった。

 クウケンが女に近寄る。

「立てるか?」

 女は猿轡を咥えたまま動かない。目も、口も、肌さえも見えない姿の女に対し、オルキデアは忌避感と言い知れぬ憐れみを覚えた。

「共にここを離れよう。我々も消耗しすぎた」

 すると突然、女はクウケンの手を掴んで、激しく首を横に振った。何かを伝えたそうだということはオルキデアにもわかった。

「どうしたんだ」

 女はエル城に指をさした。

「言ってくれなきゃ何もわかんねぇだろ!」

 オルキデアが憤り、女に詰め寄る。いくらクウケンが高潔でも自分は違う。そこまで博愛主義者にはなれない。

 クウケンが二人の間に割って入った。刹那、女は懐から水晶を取り出した。水晶にヒュブリスの顔が映る。初めて見たが、顔の片側が酷く爛れていて醜かった。

 気持ち悪さを覚えるオルキデアをよそに、女は水晶を指さしてから、右の親指を立て、左から右へ首をなぞった。オルキデアにはそれが何を表しているか不明だった。しかし、クウケンは目を見開いて驚きを隠せずにいた。

「『ヒュブリスを殺せ』だと…!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る