第五十三滴 流血騎~The Lost Blood Knight~
一歩踏み出し、緋呂は部屋から飛び降りる。重力の赴くまま落ちる緋呂の背中に、花弁の羽が広がる。白い翼をはためかせ、緋呂は空を滑る。そして、虹色の剣・輝入々想人─テイルズソード─を手に、アピロイドの方へ全速力で突進した。虹の刃が漆黒さえも超えた黒の身体を斬りつける。傷口が光る。腕を押さえ、アピロイドが狼狽する。光の筋がアピロイドの腕を通り、指に到達すると同時に腕が粒子と化した。
「何をした!」
当惑のこもった絶叫に対し、緋呂は正面切って答えた。
「切ったんだよ。全てを終わらせるための、一手を」
緋呂は腕のある方の肩を掴み、光を流し込んだ。アピロイドから声にならない声が出た。
「これが力の対価だ」
クロスカリバーを思い、緋呂は語る。体内に気配を感じない。そういえば、ヴァキュアスの声も聞こえない。コクーンセイバーが心臓を担っていたのだろうか。だとすれば、地下室での一件と辻褄が合わない。なら何故いきなり一心同体でなくなったのか。アピロイドの肩を掴みつつ、緋呂は周囲に気を回した。
その隙を突き、アピロイドは腕を生やした。そして緋呂の腕を掴み返し、
「舐めるなよ、この僕を…!」
庭の周りを自分の色に塗り潰し、一帯から数多の武器を繰り出した。刀、槍、斧、銃、ロボット…それら全てが緋呂に照準を合わせる。
アピロイドは笑った。
「神をもこの手の内にある!君が勝てるわけないんだよ、僕に!」
武器が一斉に襲いかかった。爆風が巻き起こる。
「何が対価だ。弱い奴だけだよ、そんなのを気にするのは」
嘲笑。しかし、煙が晴れる頃には驚愕が取って代わっていた。緋呂は無数の攻撃を受けてもなお、傷ひとつ無く立っていた。アピロイドは頭をかかえ、気の動転を露にした。
「そんなバカなことがあっていいのか?出したはずだぞ、考えうる限りの武器を。虚実関係なく。全部マトモに喰らったはずなんだ。何で無事なんだよ!」
癇癪を起こしている間に、アピロイドの四肢はテイルズソードの刃で断絶された。すぐさま生やすものの、その矢先に斬られていく。痛みが何度も、何度も迸る。
やがてアピロイドは四肢を生やすのをやめた。緋呂がテイルズソードを突き立てて言う。
「負けを認めたってことでいいんだな?」
不毛だと悟ったのだ。
「なら早く瑞乃を返せ!」
そう、人の形をとること自体、不毛なのだ。
「指図するな…」
何故なら、
「僕は…神なんだ!」
咆哮と共に、アピロイドは泥のように溶け落ちた。かと思えば、泥は湧き上がり新たな形を構築していく。気がつけば、泥は巨大な異形と化していた。他のものに例えることなど不可能なほど奇妙でおぞましい恰好をしたそれは、軽く見積もっても全長三十メートルはあった。
怪物の背面とおぼしき部分から何かが伸びる。その部位を介し、聞き慣れた声がした。
「どうだい?新しい姿の感想は」
緋呂は異形から放たれるオーラに気圧されつつも、どうにか言葉を返した。
「気持ち悪いな」
瞬間、竜の鉤爪が緋呂を地面に押し込んだ。テイルズソードで食い止めたが、力は拮抗している。明らかに、先刻よりも力が上がっている。片足が地中にめり込む。
「何をした…!」
「連鎖反応ってやつさ!一度に千を出すよりも、百を十回に分けた方が強いんだよ!」
「そんなことのために随分大袈裟なことだな」
冷や汗。
「永遠にわからないよ、凡人には!」
小さな不死鳥の群れが緋呂の周りを飛び交う。熱気で緋呂の皮膚は焼けただれる寸前となる。いや、何度も焼けただれた。その度に鎧が治癒を行った。しかし、治癒にも限りはある。皮膚の分厚さが薄くなっていっているのが感覚でわかった。
突如、アピロイドは諭すような口調で語った。
「ヒロ、いい加減わかるんだ。世界には神が必要なんだよ。どうして人は争う?みんな違うからさ。信じるものや志すもの、何もかも。そして何故違いを認められないか。失うからだよ、在り方を。見えない道を歩くには、人は脆すぎる。そんな時、人を導く絶対者がいれば、皆助かるんだ。人助けだよ、僕がやろうとしているのは」
緋呂の両足が埋まる。
「人一人の違いも認められないなんて、ケチな神様だな」
「うるさい!」
不死鳥が集約し、炎の獣と化す。獣の牙が緋呂の胴を食い破ろうと口を開いたその時、獣は一つの軌跡に斬られた。軌跡は緋呂の隣に降り立ち、竜の鉤爪に対して攻撃を仕掛けた。横目で見る。深紅の鎧。ヴァキュアスだ。それを纏っているのは、
「ローザ…!?」
数刻前、緋呂とアピロイドが刹那の激戦を繰り広げている最中。地に伏せるローザの目に兜が映った。原型もとどめていないほどに潰されている。見つめていると、声が聞こえた。
「メイデンの姫か」
憎々しい無機質な声。今すぐにでも兜を壊してやりたい気分になった。だが、兜はそれを承知の上であるかのように、淡々と話を進めた。
「我が力を使え」
何を言っているのか、一瞬咀嚼しきれなかった。代わりに、疑問が飛び出た。
「なぜ生きている」
「何かしらの加減が為された感触が有る」
「そんな事を聞いているんじゃない!」
ローザは激昂した。こいつが家族を殺した。国を滅ぼした。そこから全てが始まった。
「今さら正義の味方面か?ふざけるな!」
ふつふつと記憶が沸き起こる。母の死体、兄の絶叫、エル王国による暴虐の数々。
「皮肉なものだ。部下を従え覇王にならんとしたお前が、今や一人では何もできない。いいザマだ!」
そう、一人では何もできない。私も。土を握りしめる。土が涙を吸う。
何拍かの沈黙が流れる。激動の音が轟く。ようやくヴァキュアスが端を切った。
「我を使え」
「そんなに正義の味方になりたいか?」
ヴァキュアスは答えた。
「此処で動かねば後悔する。我々は進むのみなのだから」
その言葉に、不覚にもローザは緋呂の面影を感じてしまった。こんな悪鬼羅刹から緋呂を連想させてしまう己を恨めしいと思う。しかし、間違ったことを言っているとは思えなかった。何より、緋呂と並び立ちたかった。守られてばかりであった十年前の自分を悔いていた。叶うなら、今度こそ緋呂の力になりたかった。
となれば、やむを得ないだろう。ローザは兜を手に取った。
「勘違いするなよ。お前に贖罪の機会を与えてやるだけだ。この戦いが終わっても、な」
ヴァキュアスは揚々と返事した。
「十全!」
兜は溶け、ローザの全身を張り巡らす。そして鎧と、夕陽の色をした剣が形成された。ローザは大地を蹴り上げ、飛び立った。緋呂と並び立つために。
緋呂の瞳を見つめ、ローザは言った。
「共に戦おう、ヒロ!」
正直、咎めるべき事だ。いくらなんでも、少女を戦わせるなんて正気の沙汰ではない。けれど、緋呂は頷かざるを得なかった。見たのだから。ローザの真剣な眼差しを。並び立ってほしいと思ってしまうほど、凛とした表情を。
「力を合わせるぞ、ローザ!」
テイルズソードが七色に煌めく。力が再び均衡の状態になる。緋呂は両足を地面から出して踏ん張る。ローザとヴァキュアスの助力も相まって、先ほどよりも強く押せる。
すると、アピロイドは唐突に竜の鉤爪を引っ込め、
「キリがない!」
アピロイドと同じ色の蛇が二人の四肢を縛った。身動きできない。二本の針が宙に浮遊する。標的は既に決められている。
「これでどうだ!」
針が胸に向かって一直線に進む。だが、針は金属音を立てて彼方に落ちた。緋呂とローザの前に現れた男の仕業だ。その男は緋呂と瓜二つの姿をしていた。
「アドラ!」
オルキデアを担ぎながら、アドラは剣を構えた。
「何者だ、あいつは」
「アピロイド。クジョウマサヨシが生き返ったの」
ローザが答えた。アドラはオルキデアを下ろし、ローザの頬を撫でた。
「十年ぶり、になるのか」
アドラの微笑みを見て、ローザは感極まって涙をこぼした。温もりを確かめるように、アドラの手を握る。
「感動の再会だね。だが、」
アピロイドは体内から球状のブラックホールを生成し、
「お別れだよ!」
各人に向かって吐き出そうとした。しかし、今にも射出されんとした瞬間、アピロイドに光のヒビが入り始めた。アピロイドは身体をくねらせ悶える。緋呂は不敵に笑んだ。
「言っただろ、切ったって。全てを終わらせるための、一手を!」
アピロイドの身体が剥がれ、中から光が漏れ出す。そこからクウケンが、カットラスが、そして光球──瑞乃の意識──が飛び出した。緋呂は光球に手を伸ばし、掴んだ。光球は鎧に吸い込まれ、一体化した。
クウケンが緋呂の前に膝をつき、
「凛々しくなられましたな、ヒロ殿」
カットラスは棒立ちながらも明るい声音で、
「…今度は、隊長の力になるから。…だから頑張るよ、全力で」
アピロイドの身体は萎み、異形のみを残して吠えた。
「訳がわからない。メシアでもオーバーロードでもない、神でもない。なのに、なのにこんな!クジョウヒロ!お前は何なんだ!」
「英雄─ヒーロー─だよ」
瑞乃が答えた。そして英雄が、緋呂が啖呵を切る。テイルズソードの光が皆を包む。
「いくぞ、皆!血を流す覚悟はできたか?」
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