第5話
旧東京都と旧神奈川県のちょうど間に位置するこの街は、今から半世紀ほど前に起きた世界的な大戦によって一度滅び、復旧後に起きた吸血鬼との内戦によって二度滅んだ。
それが二十年以上も前の話になり、まだ煌輝が生まれていない頃のことだった。
公には区画整理と称して進行された事実上の内戦。通称――“魔女狩り”。
国内に潜む吸血鬼を炙り出し撲滅することを目的としていた作戦だったとされているが、そこでは極秘に異能を扱う能力者や政界にとって都合の悪い要人の暗殺も含まれていたという。
次々に不可解な死を遂げていく要人たちに、民間人も疑念を抱き始めた頃。政府はそれを皆吸血鬼の仕業だと報道したのだ。
同胞を殺されたばかりかありもしない濡れ衣を着せられ、名誉まで穢された吸血鬼たち――。
さすがに黙っていることはできず、向こうもその行為への報復として八つの主要都市を次々に破壊して周り甚大な被害を与えた。
それはまさに大災害と呼ぶに等しく、瓦礫すら残らないほど地形は変わり果てた。
被害を受けたその都市こそが今の“特区”にあたり、惨状は目にこそ見えないが人々の心には深い爪痕を残しているのだ。
「それには心中察する。掛けてやれる言葉も見つからない。だが、だからと言って今お前がやっていることが正しい理由にはならない。いい加減目を覚ましたらどうだ」
「貴様のような子供にはわかるまい! 邪魔をするというのなら容赦せんぞ!」
「わかるさ。これが無意味なことくらい。だから俺も守りたいものを守るために、お前らの目的は止めさせてもらうぞ」
「正義のヒーローごっこのつもりか? ろくな知恵すら持たない子供風情が。図に乗るなよ!」
ものすごい剣幕で睨んでいたテロリストが煌輝に向かって先ほどのように炎を解き放とうとした。
しかし結果的には手を翳しただけで、何も起こらなかった。
「な、なぜだ!? なぜ炎が出ない……ッ!?」
「頬の傷。さっきの薔薇にはリミナスを一時的に封じ込める神経毒があってな。こうやって話ているうちに毒が全身に回ったんだ。お前はもう能力を発動することができない。そして――」
言い切る前にテロリストは力なく膝をついた。目をこする様子から、どうやら意識が朦朧としているらしい。
「……貴様……何、を……」
「安心しろ、死にはしない。車内に強烈な睡眠作用のある魔獣植物を召喚させてもらっただけだ」
煌輝はテロリストの背後を指差し、術の正体を明かす。
「こ……れは……」
そこには橙色の花が床に根を生やし色鮮やかに咲いていた。
――クワンソウを模した魔獣植物。別名、眠り草とも呼ばれる花で入眠を促進する効果があるとされている花だ。
相手の炎をブラインド代わりに二本目の黒薔薇を放つと同時に、死角部分の床へ別の種を蒔いていたのだ。
「お前が長々と話しているうちにようやく車内に充満したみたいだな……ってもう寝てしまったか」
花に携わる一族の生まれである煌輝はあらゆる毒物や薬品に耐性を持っており、こういった密閉された空間での戦闘は特に戦い慣れている。
薔薇を意識させたことで余計に種の存在には気が付かなかったのだろう。もし気が付かれていれば事はもっと深刻な状況になっていたかもしれない。
一先ず主犯格の男を蔓で縛った煌輝は、さっきと同じようにして二車両目にテロリストの男を乗せ、ウツボカズラで連結部を切り離す。
「残り……三分を切ったか」
時限爆弾を手に眉をひそめながら爆弾の種類を確認してみるが、煌輝の解体スキルでは圧倒的に時間が足りない代物だった。
ここは陸橋ということもあって、下には道路があり多くの車が走っている。こんなところで爆破してしまったら列車はおろか周りの公共機関にまで被害が及ぶのは確実だった。
――まさかこんなところで自分が死ぬことになるとは。
ダメ元で琴音にスマートフォンでメールを送りながら、残り少ない今後のことについて考える。
窓の外へ投げ捨てれば自身の命だけは助かるかもしれないが、ここは区街地の中でも人口が特に密集している地域だ。
もし窓の外に投げれば甚大な被害を及ぶし、そもそもそんなことができるほど煌輝は人間を辞めていない。
もう少し進めば川を挟むので投げ込む機会があるが、爆発までの時間を逆算すると間に合わないことが分かる。
「こうなったら一か八か、抱え込んで被害を抑えるしか……」
刻々と迫る起爆時間に、落ち着いて対策を練る時間も残されておらず、死が脳裏を過る。
そんな先頭車両と煌輝が凄まじい衝撃に包まれたのは、その直後のことだった。
「――ッ!?」
鈍い音を立てながら車体は軋み、窓ガラスは全て砕け割れ車内には想像を絶する暴風が吹き荒れる。
それが外部からの
その瞬間――煌輝の足元から、漆黒に染まる大きな“薔薇の花弁”が顕現した。
一枚一枚の花弁が煌輝の身を守るように、何枚も重ね合わさって瞬時に体を包み込んでいき、それはやがて一つの蕾となって強固な要塞と化した。
殺傷力の塊のような威力を秘めていた暴風を、蕾は傷一つ付かずものともしない。
やがて暴風が吹き止み車内は静寂に包まれる。
だが息つく暇もなく、今度は誰かが車内に入ってきた気配を感じる。
花弁を解いて飛び出した煌輝はすかさず戦闘態勢を取ったが、目の前の状況に思わず体勢を解いてしまう。
――そこには煌輝と同じ学園の制服を身に纏った一人の少女が立っていた。腕には国家魔導師資格を所持していることを示す腕章も見える。
鎖骨辺りまで伸びるさらさらとした銀色の髪に、桜の花をモチーフにした髪留め。
ややツリ目で大きな瞳には力強い光が宿っており、そんな眼差しから生真面目そうな印象を得る。
ぴったりとフィットした黒いハンドグローブを両手にはめているのは、潔癖症か何かだろうか。
「現在の状況は?」
綺麗とも可愛いとも取れる顔立ちは、まさに美少女に相応しい容姿。周りの景色を損ねることのない控えめに咲く桜のような美しさを秘めた少女に、煌輝は思わず見とれてしまっていた。
「ねえ、聞いてる? 後続の車両が見えないけど、乗客はどうしたの?」
どこか焦りと怒りが含まれているような気配を感じ取り、見とれていた煌輝も我に返る。
「……乗客は全員無事だ。一人妊婦が居て産気づいていたから、安全確保のため乗客と共に後部車両を途中で切り離した」
「それでこの状況ってこと?」
見る陰もなくなった車両内を一瞥しながら銀髪の少女は口数少なにそう言った。
「あ、ああ……?」
爆弾を抱えながら煌輝は声を上ずらせた。というのも、この車内をこんな惨状にしたのは他でもない少女の方なのだから無理もない。
せっかく被害を最小限に抑えながらここまでやってきたというのに、この少女のせいで全て台無しになってしまったのだ。
百歩譲って車両が壊れてしまったのはいいとして、それにしても突入方法が些か雑ではなかっただろうかと、煌輝は顔をしかめる。
黒薔薇の花弁を発動するタイミングがほんの数秒遅ければ、煌輝は暴風に巻き込まれては肉片と化していたかもしれないのだからなおさらだ。
この場に一般人がいなかったことが不幸中の幸いだが、こんなに危険な増援はさすがに喜べない。
そんなことよりも、と煌輝は手元にある爆弾を見て事件がまだ解決していないことを思い出す。このままではせっかく駆けつけてくれた少女と共に心中になりかねない。
解体方法を聞こうと少女の方を見ると、どういうわけか少女も睨みつけるような視線を煌輝に送っていた。
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