第53話


「氷月――ッ!? ど、どうしてお前がここに……? 学校はどうしたんだ」

「それはこっちの台詞よ。貴方こそ学校を無断欠席してどうしたの?」


 琴音には“閃炎”のことを話していない。それは即ち、目が見えていないことを彼女は知らないのだ。


 余計な心配を掛けさせないためと思ってしたことだが、ここに来てそれが裏目に出てしまった。


「俺はその、少し疲れが出たというか……まあそんなところだ。深い意味はない」


 努めていつも通りに話す煌輝だったが、


「そう」


 返ってきた琴音の声音が、いつもよりもどこか寂しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。


「それで、何の用だ? 絢芽なら買い物に行ったばかりなんだが」

「絢芽さんとは玄関前で会ったわ。それより、貴方に早急に渡したい物があるのよ」

「渡したい物?」


 どうにかバレまいとソファから立ち上がった煌輝だが、目が見えなくなってからというもの、我が家でさえ置いてある物の位置に若干のズレが生じていて上手く動くことができない。


 確かこの辺りにはテーブルが――というところで、琴音の気配を強く感じて立ち止まる。


「大丈夫?」

「――!? だ、大丈夫だ……! 何も問題はない……!」


 思いのほか彼女の声が近くに聞こえて驚く煌輝。後ずさりすぎて観葉植物にぶつかってしまう。


「そう。なら手を出してもらえるかしら」

「手……?」


 手を出すやいなや、琴音はその手を掴み、むにゅん――と、どういうわけか琴音自身の胸に押し当てた。


「どうかしら」

「どうって……?」

「貴方が触っているのは私の胸なのだけれど、感触はいかがかしら」

「――はぁッ!? お、お前……ふざけてんのかよ!?」


 煌輝が慌てて手を引こうとすると、


「冗談に決まってるじゃない」

「わ、笑えない冗談だな……」


 少しだけ琴音の声に恥じらいのようなものが混ざっていた気がするのだが、それよりこの謎の弾力は一体何なのだ、と煌輝が恐る恐る手を離そうとしていたところ、


「……それにしても貴方、やはり目が見えていないのね」


 いきなり言い当てられ、煌輝は身を固めた。

 絢芽が言ったとは思えないだけに、どうしてバレたのか不思議でならなかった。


「……なんでわかったんだよ」

「いつもなら直ぐ目が合うもの。伊達に貴方のパートナーはやっていないつもりよ。それより、目が見えなくなったのは、あの男と戦って私達を守った時なんでしょう?」


 直球的な質問に煌輝は答えに窮した。


「貴方のパートナーである私に、目が見えなくなっていたことを黙っていた理由を聞かせてもらえるかしら。事と次第によっては許さないわよ」


 その声音は本当に彼女が怒っている時のものだった。


「許さないって……黙ってたのは悪かったと思ってる。だがお前に心配をかけさせたくなかったんだよ」

「それなら、もし私がこのまま何も気付かずに草摩君を任務に連れ出していたら、もっと大事になっていたんじゃなくて?」

「それは……確かにそうだな。そこまでは全く考えていなかった。……すまなかったと思ってる」


 目の見えない煌輝からは琴音がどんな表情をしているのかは全くわからないが、少なからず身を案じてくれていたことはわかる。


「それに……どうして庇ったりなんてしたのかしら。私が避けられないと思ってのこと? それなら心外だわ」

「……わからない」

「わからないって何? わからないってことはないでしょう? 貴方はあの男に私が劣っていると、そう判断したからなんでしょう?」

「それは違う。なんていうか……気が付いたら体が勝手に動いてたんだよ」


 本当にあれは咄嗟のことだった。なぜ体はあんなにも素直に反応できたのか、煌輝本人でもわからないのだ。

 柄にも無いことして悪かったなと、ため息をつく煌輝だったが、


「ごめんなさい。今のは言い過ぎたわね。本当はあの時、草摩君が守ってくれなかったら私も今頃はそうなっていたのよね。私にあの術を防ぐことは恐らくできなかったもの」


 琴音に防御力がないとは煌輝も思っていない。むしろ氷で作る防御は国内でも屈指だと思っていた。

 ただ、光量が相手では確かに分が悪いなとは、今になって思うことだった。


「貴方は契約通り、私のことを体を張って守ってくれた。それはとても嬉しかったわ。誰かにそんなことをしてもらえる日が来るなんて思いもしていなかったの」

「別に。あれは俺が勝手にやったことなんだから、これは俺の自己責任だ。パートナーならいちいちそんなことで謝るなよ。それに契約なんてなくたって、きっとそうしてた」


 契約を順守していたなら琴音だけを包み込んでいただろうが、咄嗟のこととはいえ美颯も一緒に守ったのだと言うのだから煌輝はそこだけは密かな確信があった。

 そんな時、煌輝の体は抱き寄せられた。  


「本当に貴方が無事で良かった……目のことは取り返しのつかないことをしてしまったけれど、私は貴方のことを見捨てないし、最後まで面倒も見るつもりだから」


 なんだか老人介護のように聞こえた煌輝だったが、それは気にしないことにして。


「戦いはまだ終わってないぞ。目のことだって、あいつを倒せば元に戻るかもしれない」

「あれとまだ戦うっていうの……!? 正直言って私達の手に負えるような相手じゃないわ。もっと上の……それこそ西蓮寺や八乙女の仕事じゃなくて? それに満身創痍の今の草摩君じゃ絶対に太刀打ちできないわ」


 それはわかっている。わかっているのだが、やらなきゃいけないのは自分なんだと思っていた。 


「事情ならわかっているつもりよ。貴方にとって相手が仇敵であることも。でも……私はパートナーとして貴方を止めなきゃいけないの。それがわからない貴方じゃないでしょう……?」


 琴音から悲痛な声音が漏れる。この状態で戦えば敗北はおろか、死ぬ可能性の方が高いのは明白だ。

 だが煌輝は何も答えない。それが今のところの答えなのだから。


「……貴方が行くなら私も行くわ」

「それはダメだ」

「それは……私が頼りないから? パートナーとして力不足だからなの?」


 表情こそ見ることはできないが、震えた声はとても苦しそうだった。


「そうじゃない。今の俺にだって死んで欲しくない大切な人がいるってことだよ。別に過去が俺の全てじゃないのはわかってる。だから今ある大切な者を守るために――」


 と、そこで煌輝はようやく気付いた。自身がどうしてあのとき咄嗟に二人を庇ったのか。

 あるではないか、大切な者が。自身の時間は止まってなどいなかったのだと――。


「……草摩君?」

「俺は、決着をつけないといけないんだ。忌まわしきあの炎と」


 変わるために――これからの自身達の未来のために。


「それなら、せめて私に露払いをさせてもらえないかしら」

「危険なんだだぞ?」

「わかっているわ。でも貴方の力になりたいの。だから私は、貴方の周りに降りかかる火の粉を消してあげる。私は“氷霧の魔女”であり、貴方のパートナーなのだから」


 彼女が頑固なことは今に始まったことではない。断ったところで、どちらにせよついてきてしまうだろう。


「わかった。それじゃあ力を貸してくれ、氷月」


 そこでふふっと彼女は笑った。


「今の、名前で呼ばれてたら落ちていたかもしれないわね」 


 そう言った直後、煌輝の頬に柔らかい花弁のような何かが一瞬触れた、


「……? お前、今何をした?」

「さあ。なにかしらね」


 その声音はどこか楽しそうで、恥ずかしがっているような、いつもと違う琴音の声音だった。

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