最終章 第52話


「任務の続行は不可能かと思います。今一度お考え直しください煌輝さん」


 草摩の自宅にて放たれたのは、普段よりも冷徹な声音を発する絢芽だった。


「だから何度も言っているだろ。俺は任務を続行するって」


 負けじと言い返したのは煌輝。このリビングには今二人しか居ない。賑やかだった日常は過ぎ去り、また二人での暮らしがこれから始まろうとしていた。


「何も見えないその状態で、一体何ができるというのですか?」


 以前までと違う点と言えば――煌輝の目が見えなくなってしまったことである。

 日比野泰明との戦いにより、煌輝は“閃炎”と呼ばれる眩い閃光を放つ術を受け、完全なる敗北を喫した。


 草摩に伝わる秘術によりどうにか一命を取りとめたが、“閃炎”によって焼かれた眼だけは癒えなかった。


 細胞的には完全に癒えているはずなので、これは何かしらの強い呪術が発動していることが考えられる。それはつまり――術者を倒さねばこの眼は癒えないのではないか、というのが二人の出した結論だった。


「だからってあの術の被害者をこれ以上増やすわけにはいかないだろ。受けたのがたまたま俺だけだったから良いものの、あれだって一歩間違えれば全員あの場でやられていたかもしれないんだぞ」


 煌輝は“閃炎”についての情報をたまたま絢芽から聞いていたからこそ、日比野の不可避の一撃を咄嗟の行動で躱すことができたが、あの一撃はたとえ来ると事前にわかっていても防ぎようのない一撃だということもわかった。


 さすがは欧州の一部を占領していた吸血鬼の一派を相手に、たったの一人で退けたというだけのことはある。


「だからと言って何もできない煌輝さんが居ても足手まといになるだけです。琴音さんや美颯さんはわかりませんが、わたしや紫さんなら刺し違えることだって――」

「それをして欲しくないから俺が出るって言ってるんだ! これ以上あの術の被害者が増えるのは、もう見たくないんだよ……!」


 恐らく草摩の一族は全員、あの技を受けて殺されている。“花天”でどれだけ耐性を身に着けようと、あの術は一度食らってしまえばそこまでなのだ。


 今までどうしてこれだけの一族が次々に消されたのか不思議でならなかったが、実際に“閃炎”を受けた今ならその理由にも頷ける。


 熱量までならどうにかできたとしても、失明してしまえばそこで決着はついてしまう。相手が見えない以上戦う術は限られ、やがて日比野に殺される。

  

「煌輝さんの心は、あの日から何も変わっていないのですね」

「あの日?」

「お母様が亡くなられた日です」

「――ッ!」

「あの日からずっと、煌輝さんの心の中には日比野泰明の存在があって、それが煌輝さんの心を今もなお蝕んでいます」


 母親の話はできるだけしないようにと言ってきただけあって、煌輝は不意打ちを食らったような気持ちになる。


 ましてやそれは図星で、煌輝はあの頃の記憶が脳裏から離れず、最近もその悪夢にうなされたばかりだった。ずっと仇敵の存在に固執していたのも事実だ。

 

「……だからなんだって言うんだ」

「もう八年も経ちます。時の流れは早いものです」


 なかなか本題に入って来ない絢芽に、煌輝は苛立たしげに尋ね返す。


「何が言いたいんだ。ハッキリと言ってくれ」

「そろそろ変わる頃なんじゃないですか? いつまでも悲しみを背負っていたら、お母様もきっと悲しんでしまいます」

「……絢芽は変われたっていうのか」

「……いいえ。わたしも変われてはいません。ですが思い出す時間を極力減らすため、できるだけ何かしているようと日々努めています。お母様の愛情は陽だまりのように暖かく、とても優しいものでした。わたしにとって、お母様と煌輝さんと三人で過ごした日々は、一生の大切な思い出です」


 それは煌輝も同じだった。何かをすることで忘れようとして、何かをしたキッカケにふと思い出して嫌な気持ちになる。


 母親との記憶にしたって、悪い思い出は一つもない。何か失敗をしたとしても怒られたことなど一度もなく、いつも温かく優しい笑顔を向けてくれていた。


「忘れろとは言いません。ですが、乗り越える必要はあると思うんです」


 そこで不意に絢芽が煌輝の手を取った。

 手から伝わる温もりが、煌輝の不安を少し和らげてくれる。


 優しくしてくれたのは何も母親だけじゃない、姉となった絢芽だって母親に負けじと優しかったし、時には厳しく叱ることで母親の代わりにだってなってくれた。


 ここまでやってこれたのも絢芽あってこそだと煌輝は思っている。


「それはわかっている。だから俺も乗り越えるために、あいつを倒さなきゃいけないんだ。あいつとの因縁に決着をつけて、変わるんだ」

「煌輝さん……」


 いつかはこんな日が来るとは思っていたが、それを自ら実現しようとした日は、もしかしたら一度もなかったのかもしれない――。


「だから、一緒に変わろう。俺と絢芽の二人で、あいつを倒すんだ」

「そのお気持ちは嬉しいのですが、しかし……」

「まだ夜まで時間はある。それまでに俺が答えを見つけるから、絢芽は俺を信じて待っていてくれないか」


 変われる。いや、変わらなきゃいけないのは今なんだと、煌輝は絢芽の手を強く握り返す。


「……わかりました。夜までは待ちましょう。でも、もし答えが見つからなかった時は、今回の件をわたしに一任してもらえないでしょうか」


 その言葉に煌輝は思わず息を呑む。

 ――残された時間は僅かしかない。それまでにどうにかして、煌輝は日比野泰明との再戦を実現させなければならない。でなければ絢芽が日比野と刺し違えてしまう。


「……わかった」


 苦渋の決断ではあったが、そう答えるほかなかった。

 現状確実に奴を倒せる人間は存在しない。

 だからこそ、煌輝が自身の手で倒す方法を見つけなければならないのだ。


「それでは夕飯の材料を買いに行ってきますね。直ぐに戻りますから」


 声音を明るくした絢芽がリビングから出て行こうとするタイミングで煌輝は声を掛ける。


「なあ絢芽」

「なんですか……?」


 言えるチャンスは今この時しかないと、煌輝は心の中でそう思っていた。


「いつもすまないな。ありがとう」

「……ど、どどうしたんですか!? やはりどこか目以外にも悪いところが? 頭ですか? 頭ですね!?」


 慌てて戻ってきた絢芽が煌輝の額に手を当て、熱を測るような素振りを見せる。


「なんで頭だって決めつけるんだよ!? 俺はどうもなってないぞ」

「で、ですが……いきなりそんなことを言われたこちらとしましても、驚いたというか……一体どういう風の吹き回しです……!?」

「別に……普段から言ってなかったなって思っただけだ。目が見えないせいか、お前の声を聞くとなんか安心するんだよ」


 目が見えないからこそ、普段当然のようにあるものが、とてもありがたく感じたのだ。

 煌輝にとって、たったひとりの家族となった絢芽の存在こそが、生きる希望なのだと。


「べ、別に私は当然のことをしたまでですからっ! 感謝の気持ちを伝えることが悪いことだとは言いませんが……弱ってる煌輝さんにそんなことを言われたら、その……なんというか……」

「……? なんだ?」

「なっ、なんでもありませんっ! 行ってきますっ!」


 顔を赤くさせた絢芽はパタパタとスリッパを鳴らしながら廊下へと消え、外へと出かけていった。


 何か柄でもないことをしてしまったかなと、煌輝が今さらになって羞恥に身悶えそうになっていると。

 

 ――ガチャリと、玄関が開く音がした。

 

 今度はまるで物音を立てないようにでも歩いているのか、廊下からの足音がとても小さい。

 そしてリビングの扉が開けられ、一瞬、変な空気が漂ったような気がした。


「……何か忘れ物でもしたのか?」


 声を掛ける煌輝だが、絢芽からの返事はない。


「絢芽、どうした……?」

「残念ながら、私は絢芽さんではないわよ」


 その声は琴音のものだった。



 

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