第51話

「この、開けなさい! 草摩君、聞こえないの!? 返事をしなさい!」


 琴音が外から声を掛けても、蕾の中にいるはずの煌輝から返事はない。

 声を掛け続けるこの瞬間もなお、蕾からはおびただしい量の血が滲み出続け、生臭い血の匂いが辺りを立ち込めていく。


 美颯はというと、膝を折って項垂れていた。妹を連れさらわれ、煌輝までもこんな目に遭い、絶望に苛まれていた。


「泣いてる場合じゃないでしょう! 草摩君は私達のために体を張って盾になったのよ!」

「でも……どうやって……」

「それがわからないから貴女も考えなさいと言っているの! このままじゃ草摩君の命が危ないわ!」

「でも……どうしたら……」


 こういったケースは煌輝と組んでから一度もなかったのだろう。叱咤する琴音だが、いつものような余裕さはそこになく焦りの色が見て取れる。


 叱咤される美颯も完全に弱りきっている様子で、いつものような凛とした姿はそこにはなかった。芯が強いタイプなだけに、一度折れてしまうとなかなか元には戻れないのだ。


 最悪の展開が二人の頭を過る中、風を切るようにしてショッピングモールの屋上に草摩絢芽が舞い降りてきたのはその時だった。


「絢芽さん……!?」

「絢芽さん!? 草摩君が危ないの! 私達を庇ったせいで草摩君が――」

「落ち着いてください琴音さん。この黒い薔薇の蕾が発動している間は、煌輝さんが生きている何よりの証拠です。とりあえず何があったのか教えてくださいませんか?」


 努めて冷静に振る舞う絢芽だったが、琴音は想像以上にパニック状態に陥っていた。


 昨今、国家魔導師を専門とする医師は居るが、煌輝の強固な黒薔薇の蕾がこの場から動かないことが、ここに来て最悪のデメリットとなっている。


 崩れかけのショッピングモールに医師を呼ぶことはおろか、この黒い薔薇の蕾が開かないのでは治療の施しようがない。


 それがわかっているからこそ、琴音は一刻も早く煌輝を助けなければと思っていた。


「だったら尚のこと急ぐ必要があるでしょう!? 草摩君が爆発に巻き込まれたのよ!? 貴女は草摩君の姉なんでしょう!? どうしてそんなに冷静で居られるの……!? どうして――」


 取り乱す琴音を突如優しく抱きしめたのは絢芽だった。


「どうか落ち着いて。ゆっくりでいいので、これまでの経緯をお話してください」


 圧倒的な母性を以って、絢芽は優しく――さらに優しく、琴音の髪を撫でる。


 何が起きたのかわからないといった様子の琴音だったが、絢芽の腕の中にいるうちに琴音の精神状態が目に見えて落ち着いていくのがわかる。


 美颯はというと、絢芽の瞳の色が青く染まっているのを見て、それが直ぐに“花天”を使っているのだと気づく。


「絢芽さん……」

「美颯さんもよく頑張りましたね。今はとりあえず落ち着くことが先決です」


 絢芽の使う花天は“花天香華”と呼ばれ、花の香りを使った幻覚や幻術といった魅惑術を使用するもので、“狼憑き”の一件でも絢芽はこれを駆使して生徒の記憶を改竄したのだ。


 絶望に苛まれていた美颯も、月光を帯びて一段と綺麗に見える絢芽を見ているだけだというのに、不思議と心が落ち着いてきていた。


 自身が術に掛かっているとわかりつつも、今はその術の中に浸っていたい――そう思えるような温かな感覚がそこにはあった。


 ほどなくして琴音から事情を訊き終えた絢芽は、もう一度優しく琴音を撫でると、煌輝が入っている黒い薔薇の蕾へと向き合う。


「この場で見たことは、どうか他言しないでください。もしも知られてしまえば、わたし達の関係はこれまでになってしまうでしょう」


 黙って頷いた琴音と美颯は、次の瞬間には目を疑った。

 絢芽が念じるようにして黒薔薇の蕾に触れると、そのまますり抜けるように中へと入ってしまったのだ。


 あまりに一瞬のこと過ぎて唖然としていたが、やがて蕾は解除され、中から二人が出てくる。


「草摩君!」

「煌輝くん!」

「大丈夫です。今はただ眠っているだけですから」


 見れば煌輝は火傷どころか、かすり傷一つ負っていない状態になっていた。先ほどの熾烈な戦いが嘘のようである。


「絢芽さん、貴女一体何をしたの……?」

「草摩に伝わる秘術を使いました。これは草摩の人間同士にしか行えないので、くれぐれもお二人は無理なさらないでくださいね」


 煌輝が無事とわかった途端腰が抜けたのか、琴音は人目もはばからずペタンと座り込んでしまった。


「そもそもどうして爆弾なんて抱えたのかしら。私達を包み込んだみたいに、爆弾もそうすればよかったはずなのに……」

「残念ながらそれは無理なんです。煌輝さんのこの力は、遠隔的に使用する場合、生きているものしか包めません」

「だからって爆弾を咄嗟に抱えるなんて……普通思いついてもやらないわそんなこと……」

「それをやってしまうのが煌輝さんなんです。きっとお二人のことを守ろうと必死だったんだと思います」


 眠る煌輝を優しく抱きとめる絢芽だが、その表情にはどこかホッとしたような様子が見て取れる。きっと内心ではとても心配していたのだろう。


「それで絢芽さん。これからどういたしますか?」

「まさか相手の要求に乗るなんて言わないでしょうね」


 日比野が指定した日時までは約一日ある。それが嘘か誠かはわからないが、美颯は考える時間が必要だと感じていた。

 しかし彼女が出した答えは――


「少し、一人で考えさせてください」

「なッ……貴女、正気なの!? ここは一旦退いて作戦を――」


 と、琴音が喋っている途中で絢芽がそれを遮った。


「わかりました。わたし達はいつでも協力に応じますので、何かあったらご連絡ください。美颯さんは決して一人じゃないということを、くれぐれも忘れないでくださいね」

「……ありがとうございます」


 絢芽の温かな言葉に美颯のその声は震え涙ぐんでいるようだった。

 腕で涙を拭うようにした美颯は、琴音と絢芽の二人を残して闇の中へと消えていく。


「絢芽さん、どうして彼女を引き止めなかったの!?」

「美颯さんには考える時間が必要だと思ったからです。頭ではわかっていても、どうにもならない時ってあるじゃないですか。ずっと一人で戦い抜いてきた方ですから、余計に時間が必要だと思うんです」 

「それは、そうかもしれないけれど……でもあのままじゃ彼女、きっと相手の要求に乗ってしまうわ」


 普段は冷ややかな印象のある琴音だが、煌輝や美颯に対してのこととなるとどうも違うらしい。もしかしたら友情のようなものが彼女の中で芽生えているのかもしれない。


「別に何もしないというわけではありませんよ。こちらはこちらで策を練りましょう。伊吹さんと美颯さんの二人を無事に奪還する方法を――」

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