第50話
昔を懐かしむように見る日比野の目の奥は笑っていなかった。それは言う通り、本当に手を焼いたからなのだろう。
「余興ついでだ。私がなぜ彼女達姉妹を狙うのか、少し話そうではないか」
悠然と立ち尽くしながら、日比野は語り始める。
「彼女達には“狼憑き”という吸血鬼を殺せる力が宿っている。私はその力を欲している。ここまではわかっているだろう?」
だが、と日比野は一度区切る。
「“吸血鬼”を完全に駆逐するには“狼憑き”の能力だけでは足りないのだ。だから私は風を操る者の中に、極稀に存在するという気圧を操ることのできる能力者を探している。――ゼロ気圧。これを体現できる能力者を探しているんだが、心当たりはないだろうか? 私の見解的ではそこに居る少女こそが、それに一番近い能力者になれると思うのだがね」
煌輝は思わず息を呑んだ。
そしてここに来てただ一人、真相に辿り着いてしまった。
日比野は美颯を狙って伊吹を人質に取っているが、それは大きな間違いだ。日比野が真に狙うべきは伊吹であって、美颯ではないのだと。
それを彼女達自身がわかっているのかも怪しい。何せ彼女達はお互いを能力者としてではなく、姉妹として見ているのだから――。
「君は“狼憑き”の中でも特に優秀な腕と聞く。大事な妹を返して欲しくば自分がどうすればいいか、わかるだろう? 私もこれ以上手荒な真似はしたくないんだ」
「私一人の命で済むならなんでもします……だから伊吹を返してください……!」
「聞く耳を持つな大神! 俺の一族がこうなったように、お前が行けば、お前の一族もこうなるぞ!」
「じゃあどうしろって言うの!? 私にとっての、たった一人の大切な妹なんだよ!?」
「……ッ!」
涙ながらに訴える美颯に、煌輝は奥歯をきりりと噛みしめる。
ここで日比野を討てば伊吹の命が危うい。かといってここで美颯を引き渡すことなど煌輝には到底できない。
完全に打つ手がない状況だった。
「やれやれ。国魔師と言っても、やはり所詮は子供か。こんな真似はしたくはなかったが、強行手段に出させてもらおう」
呆れたように言う日比野はおもむろに掌を向けた。
身構える煌輝達だが、突然――辺りに金属音にも似た耳障りな音が響く。
思わず耳を塞ごうとした煌輝だが、その瞬間。刹那の時の中で、あることに気づく。
この音は幼少の頃。母親が死んだ日にも聞いた音だった。そして絢芽の言っていた“閃炎”の使い手。
これがもし日比野の能力なんだとしたら――
煌輝は振り返るや否や、共に近くに立っていた琴音と美颯の二人を、黒薔薇の蕾で包み込む。
その瞬間。日比野の掌から強烈なまでの閃光と烈火が放たれた。それは瞼の裏を容易に貫通し手で顔を庇おうとも無意味に等しかった――。
「一体何が起きたの……?」
「こんな使い方ができたなんて……」
瞬時に黒い薔薇の蕾から解放された二人は何が起きたのかわからず、辺りを見回す。
そこに居たのは悠然と立ち尽くす日比野と打って変わって、全身に酷い火傷を負った煌輝の姿があった。
「煌輝くん!?」
「草摩君!」
あの一瞬で何が起きたのかわからない二人は、あの一瞬で煌輝と日比野にこれだけのダメージ差がある理由がわからなかった。
辛うじて立っている煌輝と、それを黙って見ていた日比野だったが、先に口火を切ったのは日比野の方だった。
「……驚いた。まさかこの技を防ぐ術があったとは」
心底驚いている様子で、それは賞賛にも等しい声音だった。
「だが君自身の方は無理だったようだな。しかしその勇気を称えて彼女には猶予をあげよう。明日の正午に特区の南東部――廃工場地帯三番出入り口に一人で来たまえ。タイムリミットはそこまでだ」
そう言って姿をくらませようとする日比野を琴音が追いかけようとするが、
「これはプレゼントだ。ちょっと派手だが、今度こそ痛みを感じる間もなく死ねるだろう」
日比野はおもむろに黒い物体を胸元から取り出すと夜空へと高く放る。その間に闇へと溶け込むようにして屋上から飛び降りていく。
「――まさか、爆弾!?」
美颯の上げた悲鳴に、煌輝は咄嗟に全神経を研ぎ澄ませた。
ショッピングモールへ落ちようとしている何か――。
カチカチと鳴る音を頼りに、煌輝はそれをキャッチして抱え込む。
直後、黒い物体が眩い閃光を放った――。
だがしかし――それ以上何も起こらなかった。
酷く鈍い音が少しだけ聞こえただけで、辺りの景色は何一つ損ねていない。
それどころか、さっきよりも美しくすらあった。
空を黒で埋め尽くす夜空よりも暗く、漆黒に妖しく光る黒薔薇の蕾が、月光を浴びて圧倒的な存在感を醸し出しながら虚空に浮いていた。そこに煌輝の姿はない。
琴音達は目を極限までに開き、信じられない物を見るかのような声を上げた。
「煌輝、くん……?」
「草摩君ッ――!!」
「今……何が……?」
琴音と美颯がそれぞれ驚きを口にする。
二人はあの一瞬に起きた出来事を、確かにこの目で見ていた。
爆弾が閃光する瞬間。煌輝は爆発物を抱きかかえ、己ごと黒薔薇で包み込んだのだ。
当然その威力は生身の人間の体が耐えられるような代物ではないはず。それをまともに食らいにいったというのだからバラバラでは済まされない。
虚空を浮いていた蕾はやがて、ショッピングモールの屋上へと着陸したが、それ以降何も起こらなかった。
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