第49話


「いいね! いいよ! 若き者達の葛藤は実に素晴らしい!」


 航空障害灯を背に、男はくつくつと笑いながら煌輝達に歩み寄ってくる。


「初めまして国魔師の諸君。私の名は日比野泰明、そう名乗らせてもらっている」


 少しずつ慣れてきた目で、煌輝はようやく男の全貌を明らかにする。


「お前が、日比野泰明……パラトスの……幹部……」


 煌輝は無意識にそれを口にしていた。

 それもそのはずだ。聞き覚えより、この頬の火傷痕。狂気的に笑うそのシルエットに見覚えがあったからに他ならない。


「あれが草摩君の言っていた例の人ね」


 ――長年追い求めていた仇敵が目の前に居る。


 それだけで怒り狂いそうになっていたが、相手から感じる奇妙な気配に、直ぐに攻撃を仕掛けることはできなかった。


 ――おかしいのだ。煌輝が覚えている幼少の記憶よりも、この男の体躯が二回り以上大きくなっている。


 そして顔つきは八年という月日が経ったにもかかわらず、老いた形跡が一切見て取れない。


「よく知っているじゃないか国魔師の少年。勤勉なことは良いことだが、ふむ、その顔……どこか見覚えがあるな」


 日比野は少し思考する素振りを見せてから、何か思い出したのか煌輝に向かって尋ねる。


「もしや草摩の人間か? だとしたらおかしいな。そいつらは全て私が消したはずなんだが……まさか生き残りが居たとは」


 くつくつと笑いながら、顔に手を当ててわざとらしく驚く素振りを見せる日比野だが、そこに全くの隙がない。


 今下手に動けば返り討ちに遭う。それが戦わずしてわかってしまい煌輝は歯噛みした。一族を滅ぼすに等しい行為をした男を前に、何もできずにいる自身に怒り狂いそうだった。


「それにあの爆弾を食らってまだ生きているとは、ふむ。君は一体何者だ?」

「お前が草摩を……母さんを殺したのか……なぜ母さんを、一族の皆を殺した! 答えろ!」


 怨嗟のこもった叫びに、日比野はあっさりと答えを返した。


「吸血鬼と対等に渡り合うためだ。そのためには草摩の一族が邪魔で、君の母親の細胞が必要だった」

「じゃあ“合成魔獣”も、お前が……」

「そうとも。まあ、ご覧の通り酷い有り様だったがね。下等な生き物は所詮下等なままだということを手痛く思い知らされたものだよ」

「そんなことのために……母さん達を殺したっていうのか……」


 冷徹な声音とは裏腹に煌輝の思考は既にめちゃくちゃになっていた。仇敵を前にしながら動けずにいる自身に。仇敵を前にしながら今さら死への恐怖を感じている自身に。


「そんなことで片付けられては困る。吸血鬼とは人間の上位種。全世界にとっての脅威なのだよ少年。私はその無情なパワーバランスを破壊する救世主となるのだ」

「聞くに堪えないゲスな男ね。草摩君、殺るわよ」

「待って二人とも! あの人を殺したらイブが危ないの!」

「大神さん、貴女も国魔師なら国魔師としての責務を果たしなさい。目の前に居るのは国際指名手配犯なのよ!」

「でも……!」

「なら大神さんはそこに居なさい。私と草摩君で――」


 愛刀を鞘から抜き出そうとした時。煌輝は琴音の動きを静かに手で制した。


「草摩君……?」


 琴音が思わず愛刀を鞘に収めたのは、何も煌輝の制止があったからではない。彼の纏う気配が普段とは異質であることにいち早く気付いたからだった。


 それは正面に立っていた日比野でさえも感じ取れるほど異質な空気。


 ――次の瞬間だった。


 全速力で突っ込んで行った煌輝の拳が、日比野の左腕を肩の付け根から丸ごと削ぎ落としていた。


「――ッ!?」


 警戒していなかったわけではないだろうが、今のこの一瞬だけは日比野の反応速度を上回る速度を以って、煌輝は拳を繰り出していた。


 寸前のところで反応した日比野だったが、一歩タイミングが遅れていたら間違いなく心臓部を抉られていただろう。


 そして怒りで震える拳を強く握りしめる煌輝の視界は、赤く――紅く染まっていた。


「その瞳の色……まさか……!」


 自然と吸い寄せられてしまうような、不思議な魅惑を秘めた真紅の色に染まる煌輝の瞳。彼は今“花天光華”ではなく、吸血鬼化している――。


 枷が外れたかのように溢れ出る圧倒的な存在感は、まさに世界の頂点に立つことを許された最強生物のそれだった。


 だがしかし――血が吹き出る肩を押さえながら、日比野はなおも笑っていた。


「まさかね……クックックッ……! まさか貴様もそうだったとはなッ――! いいだろう。欧州の吸血鬼共と殺り合う前哨戦に相応しいッ! 今宵は少し遊びに興じようではないかッ! 草摩の少年よッ!」


 ――瞬間。


 日比野の体躯がさらに肥大化したかと思えば、削ぎ取られたはずの左腕が再生した。


 高々と広げられた両腕を前に琴音は直ぐにその正体に気づく。


「まさか貴方……自身の体にも“合成魔獣”と同じ細胞を……!?」

「奴らと対等に渡り合うには、奴らに近づくのが最も簡単な手段なのだよッ! 何千万という生物実験の失敗の果てに、私はこの体を手に入れたのだッ!」


 日比野の獰猛な笑みに、琴音の瞳が驚愕と恐怖の色に染まる。

 そんな琴音を背に庇うようにして再び突っ込む煌輝に、日比野は掌から火炎を顕現させ飛ばしてくる。


 それを尖った爪で斬り裂き、勢い余って殴ったショッピングモールが嫌な軋みを上げ始める。


「落ち着いて草摩君! 一人で突っ込むなんてらしくないわ!」


 琴音が叫ぶが、それでも今の煌輝にその声は届いていなかった。

 煌輝はただ自身の瞳に映る、母親を殺害した仇敵を殺すことだけを考えている。


「一体……どうなってるの……?」

「わからないわ。彼のあんな姿……私も初めて見たのよ」


 戸惑う二人など目もくれず、煌輝は身を翻しさらなる反撃に転じようとした。

 その直後。煌輝は日比野に両腕を掴まれていた。

 

「遅いよ。少年」


 日比野は余裕だと言わんばかりに煌輝の両腕を焼いた。その熱量は並大抵の炎使いのそれではない。


「グァッ――!?」

「草摩君!」

「煌輝くん!」


 焼かれた両腕の痛みで一気に正気に戻された煌輝は、理性を取り戻すに連れて痛みが激しく増していく。肌が焼かれ痛みに悶え苦しむが、その傷は思っていたほど深くはない。


「ほう。たった一度私の炎に触れただけでそんなにも耐性を得るとは。さすがは草摩の“花天光華”といったところか」

「なぜ……それを……」


 草摩に伝わる“花天”には身体能力の活性化以外にも、触れたもの或いは関わった事象の全てを解析し、本来あるはずのない耐性を強制的に身に付ける力がある。


 さっきまで燃えていたものは燃えなくなり、凍っていたものは凍らなくなるといった、本来ならば何世代も経てようやく身に付ける耐性や、突然変異による進化の超越を、超短期的ではあるがたった一世代で可能にしてしまうのだ。


 それは肉体組織を書き換えるに等しく、当然ながら反動も凄まじい。


 “花天”を行使する度に寿命が削れ、草摩の一族は決まって四十を超えることなく己の身を滅ぼしてしまうという大きなリスクがある。


「草摩の人間を何人殺ったと思っているんだ。瞬間的に火力を高めて殺さなければならなかった君の一族には本当に手を焼いたよ」

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