第48話

「今日は、本当にありがとうございました……!」


 とあるショッピングモールの休憩スペースにて、伊吹が大きく頭を下げる。その表情はいつもよりも楽しそうで、嬉しそうだった。


 というのも今朝方、急に買い物に行きたいと伊吹が言い出したのだ。それも煌輝をご指名で。


 どうやら日頃の感謝を込めて美颯に贈り物がしたいらしく、美颯が居ない日を狙って買い物に出掛けたいのだという。


だが過保護な姉は伊吹が一人で出掛けるのをとても心配するようで、誰かが同伴でないと認めてくれないとのことだったらしい。


 そこで今日は何も予定の入っていなかった煌輝が指名され、授業が終わった放課後でいいならということで、二人は成守学園の制服に身を包んだまま駅近くの大きなショッピングモールで買い物を始めたのだった。


 しかしお互いに贈り物を買うということに慣れていないこともあり、色々と手間取ってしまい、気づけばすっかり辺りは暗くなっていた。


「何か要領が悪くてすまなかったな。こういうのは絢芽の方が慣れていたかもしれないんだが……」

「いえ……お兄さんと一緒にお買い物が出来て、楽しかったです……!」


 途中、喫茶店に入ったりもしたが、終始機嫌良さそうにする伊吹を見て、絢芽や琴音もこれくらい愛想良ければ買い物くらい付き合ってやるんだけどなと煌輝は内心苦笑いする。


 既に美颯への贈り物は宅配便で送ったので二人は手すきという状態になっているのだが、そういえば今日、伊吹が自身に買ったものは一つもなかったことを思い出す。 

 

「伊吹が欲しいものはなかったのか? 何ならついでに買ってやるが」


 言うと、伊吹は頭をふるふると横に振る。


「今日お兄さんと一緒に出かけられた、ので……それで十分です」


 それに、と伊吹は小声で付け加える。


「お姉ちゃんが買っていた雑誌に載っていた、制服デートに、憧れていたので……今日はそれができて、よかったです」


 自身の制服と煌輝の制服を交互に見ながら、伊吹は幸せそうに微笑んだ。

 巷では男女で買い物に行くことをデートとでも呼ぶのだろうか、と煌輝は内心思いながら、


「そうか。なら、また来るか。その時に伊吹へのプレゼントを買おう」

「い、いいんですか……!?」

「俺は別に構わないぞ。たまには出掛けるのも悪くないしな。何ならまた秘密裏に計画を立てよう」


 自身が何を言っているのか全く自覚していない煌輝は、自覚のないまま伊吹とのデートをまた取り付けてしまうのだった。


 赤面する伊吹が花を摘みに行ってくるというので、煌輝は休憩スペースでそれを待つことにする。


 その背を見送ってから、ふうと一呼吸置く。こんな顔を彼女に見せるわけにはいかなかった。それもこれも全ては、茉莉が知らせてくれた驚愕の事実に起因する。


 ――“合成魔獣”のDNAには、煌輝の母親のDNAが含まれている。


 この事実を知らされてからというもの、ずっと気が気でなかったのだ。

 日比野泰明という人物は“パラトス”の幹部にして、恐らく煌輝の仇敵である。そしてそいつは今、大神姉妹を狙っている。


 せっかく彼女達とのひとつ屋根の下の生活にも慣れてきた頃だというのに、再び渦巻いた心の闇が煌輝に焦燥感をもたらしてした。


 ――早くやつを捕まえねば、今度の被害はもっと大きなものになる。


今度こそ捕まえねば、本当に自分が自分でなくなってしまうような気がして、煌輝は酷く恐れていた。


 国家魔導師としての自身と、草摩煌輝としての自身の温度差に、生き方を見失いかけている。このままではいつかその均衡は崩れて自身を保てなくなってしまう。


 そんな情けない姿を誰にも見せるわけにはいけないし、見せたくなどなかった。

 そんな時だ。突然肩をトントンとされて、自身の意識が埋没していたことに気づく。


 はっとなって顔を上げると、そこには何故かたくさんの風船を尻尾にくくりつけた、変な着ぐるみが立っていた。


 何かのマスコットキャラクターだろうか、クマを模した着ぐるみが、赤いリボンで包装されたプレゼントボックスを差し出してくる。


「俺に……?」


 ぬいぐるみはコクリと頷き、煌輝にそれを渡すと足早に立ち去ってしまう。

 意味がわからないといった表情で、プレゼントボックスを凝視していた煌輝だが、やがて中から音が聞こえるような気がしたので耳を澄ませると――

 カチ、カチという音が聞こえ、瞬間――戦慄した。


「まさか――」


 言い切る前に、プレゼントボックスは眩い光を放って激しく爆発した。

 炎を噴いたそれはたちまち辺りにあった物品を焼き、爆風は熱量を持って広がりショーケースを次々に破壊していく。


 黒煙と土埃をあげながら、煌輝の居た階層は壊滅的な被害を受けた。


 だが――それでも煌輝の身を焼くことまではできない。黒薔薇の蕾は刹那の時間で発火した爆弾の爆発でさえ、煌輝の身を傷つけることを許さない。


「クソッ――やられた!」


 狙いが伊吹だと直感した煌輝は蕾を直ぐに解除し、電気系統がやられた薄暗いフロアを一瞥して大声で叫ぶ。


「伊吹、大丈夫か!」


 視界が土煙で何も見えない中では、音を頼りにするしか手段がなく、彼女の安否を願って叫ぶことしかできなかった。


「どこに居る! 返事をしてくれ!」


 まさか爆発に巻き込まれたのではと最悪の展開が頭を過るが、その不安は直後に払拭された。


「お兄さん! 来ちゃダメですっ!」


 遠くから伊吹の叫び声が返ってくる。声の方向からして直上――爆発には巻き込まれていないようだが、状況から考えるにどうやら連れさらわれたらしい。


 瓦礫の中を進んでいたら間に合わない。階段も大破して使えそうにない。瞬時に思考を巡らせこのフロアにある窓を目指した。

 外と繋がる窓を見つけるなり、煌輝は詠唱を始める。


「――野に咲く一輪の花の如し。日照りに耐え、水難に耐え、侵食に耐え、強く咲き誇る。我は花と共に生き、華やかに戦う一族。これより光を以って闇を浄化せん――」


 唱え終えると同時に窓を思い切り蹴破り、そのままの勢いで外へと飛び出す。ここは地上七階――。


 自由落下を始めるよりも速く、壁から強靭な植物の蔓を伸ばし、それを足場にしてさらに蔓で足場を作ることによって上へ上へと跳躍し一気に駆け上がっていく。


 その遥か頭上を、人らしき影がビルとビルの間を飛びながら、煌輝の目指す屋上へと飛び移って来るのが見えた。


 “花天光華”により活性化された動体視力から、それが美颯であると肉眼が捉える。

 そしてさらに遅れるようにして、ビルとビルの間を氷の柱で繋いで向かって来る琴音の姿が眼下に見えた。


 どうやら伊吹の危機を察知してか美颯が一目散に飛んで来たようだ。今日は元々美颯の尾行を琴音に任せていただけに自身の失態を悔いる。


 屋上に辿り着くと、そこにはローターの轟音を辺りに響かせる一機のヘリコプターが、今まさに飛び立とうとしてた。


 その中に伊吹が居るのを発見して思わず走り出そうとしたが、ヘリコプターの前に美颯とは違う人影が見えて煌輝は足を止めざるを得なかった。


「クックッ……皆いい判断をするじゃないか。わかっているとは思うが、アレに近づいたら人質がどうなるか、わかるだろう? 行動には気をつけたまえ」

「……ッ!」


 暗くてよく見えないが男の言葉に煌輝が歯噛みした瞬間――無数の氷のつぶてがヘリコプターに向かって放たれた。

 しかしその氷のつぶては、風の刃によって相殺される。


「大神さん、これは一体何の真似かしら」

「それはこっちのセリフよ。琴音。貴女今、伊吹を殺そうとしたでしょ」


 後から辿り着いたのは琴音だったが、彼女は今、一切の躊躇いもなくヘリコプターを破壊しようとしていた。


「ええ。そうよ。人一人の命で多くの命が助かるんだもの。テロリストを捕まえるためには、これは仕方のないことなの。だから、そこを退いてもらえるかしら」

「私だって琴音の考えに反対するつもりはないわ。むしろ私だってそう考えてた。でも……でも! この世のどこに妹を見殺しにできる姉が居るっていうのッ!!」

「お前ら落ち着け! 今は言い合ってる場合じゃないだろ!」


 夜空に浮かび上がっていくヘリコプターを見て、煌輝も足止めしようと植物の蔓を放とうとした時。突然向けられた只ならぬ殺気によって行動を停止せざるを得なかった。


「煌輝くん、お願いだから今は止めて。じゃないと斬るよ」

「…………」


 美颯の只ならぬ殺気に、煌輝は拳銃を下ろした。みるみるうちに遠くなっていくヘリコプターを横目に、暗がりに居た男は両手を広げ高らかに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る