第40話

***


 その日の深夜。

 客人が来ていることもあってか少し豪勢な夕食を終えた煌輝は、美颯と伊吹の二人に部屋を明け渡したということもあり、リビングにあるソファで一人眠っていた。


 慣れない場所で寝ていたからなのか、そんな煌輝は悪夢にうなされていた。

 

 ――燃えているのは我が家。


 それも建て直したはずの家が目の前で燃えているのだ。


「何が起きて……」


 あの日と同じだった。母親が死んだ日と。燃え盛る家の中からは絢芽の声が聞こえてくる。

 彼女の殺気と誰かの殺気がぶつかり合っている。


「絢芽……」


 自分は既に満身創痍になっていて体の自由が利かない状態だった。

 だが不思議と痛みはない。あるのは恐怖心だけ。


 今なら、今の自分なら助け出せるかもしれない――。


 這いつくばって家へと向かおうとした時。横を見ると、血だらけになって倒れている人物がいた。


 それは琴音の姿だった。反対を見れば紫の姿もあるではないか。二人とも糸が切れたように全く動かない。


「煌……輝さん……逃げて……」


 絞り出すようなうめき声が家の中から響き、血が凍るほどの恐怖に駆られる。


 また――。また選択しなければならないのか――。

 

 家屋から揺れる陽炎を見ながら、再び訪れた非情な選択に煌輝は絶望するほかなかった。


 こんな選択などあり得ない――。あっていいはずがない――。


 煌輝は力を振り絞って立ち上がる。あの時の後悔と逡巡が、今度こそ煌輝の手足に力を入れる。


「もう逃げないぞ……!」


 そう決心した時。家屋を燃やす炎が獰猛に笑ったように見えた。

 何か嫌な雰囲気が体を通り抜けて行ったような気がしたかと思えば、炎の向こう側に人の影があった。


 それがゆっくり、ゆっくりとこちらに向かって近づいてきている。

 やがて見えてきたのは、頬に大きな火傷痕を残した狂気的に笑う人の顔。それは紛うことなく母親を殺した人物の姿だった。


 そのシルエットを見た途端、煌輝は体が震え蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。


 いとも簡単に打ち砕かれた自身の決心に失望する間もなく、影はみるみるうちに近づいてくる。


 心臓の鼓動が聞こえてくるほど脈を打つうちに、魔の手が煌輝の首元へと伸びた。


 ――その瞬間に、はっと目が覚めた。


「大丈夫、ですか……?」


 覗き込むようにして心配そうに煌輝を見つめていたのは伊吹だった。

 上体を起こしてから薄暗い部屋を見回して、ようやく今までのが夢だったことに気づく。


 未だに動悸が治まらず、呼吸も浅く早いままだ。額から出る冷や汗を腕で拭っていると、伊吹が水の入ったコップをキッチンから持ってきて心配そうに差し出してくる。


「すまない……」


 そう言ってから煌輝はコップの水を一気に飲み干した。

 胃に入る冷たい水が、少しずつ煌輝の気持ちを落ち着かせる。


「みっともないところを見せたな」

「いえ……私も怖い夢を、よく見るので……」


 普段からおどおどしている姿はなんとも庇護欲をそそられるが、眉尻を下げながら優しく笑う今の伊吹からは不思議と安心感を覚える。

 

「こんな時間にどうしたんだ?」


 言い淀む伊吹を見て、煌輝はゆっくりとその返事を待つ。


「少し寝付けなくて……ごめんなさい。寝る場所までいただいたのに……」


 住み慣れていない家ではそういうこともあるだろう。

 煌輝だってこうしてソファで寝ていたことで悪夢を見ていたのだから。むしろ伊吹がいなかったら今よりも気分は沈んでいたかもしれない。


「別に謝る必要はない。無粋なことを聞いて悪かったな。何か温かいものでも飲むか?」

「いえ……それとお兄さんに、改めてお礼が言いたくて……」


 改めてと言われると、思い出すのは学園内の花壇で出会った時のことくらいだが、お礼を言われるようなことをした覚えがなく煌輝は首を傾げる。


「先日の、電車がテロに遭った時のことなんですけど……実は、私もあの電車に乗っていたんです」


 思いもよらない話題に面食らう煌輝だが、それと同時に今まで引っかかっていたことが段々と繋がり始める。


「そうか。だから大神が来たのか」


 彼女が吹き荒れる暴風の如くして現れたのは、何も偶然ではなかったのだ。

 妹である伊吹が電車に乗っていたのを知っていたからこそ、彼女は急いで駆けつけてきたのだ。


 それを考えれば初対面であれだけ険悪な態度を取られたことにも納得がいく。溺愛する妹が乗っていたはずの電車は、先頭車両だけを残してなくなっていたのだから。


「私……怖くて何もできなくて……でもそこへお兄さんが助けにきてくれて……本当にありがとうございました。お兄さんやお姉ちゃんのような国魔師になりたいのに、いつも何もできなくて……」


 しゅんとする伊吹に、自分のような国家魔導師になってしまったら、美颯はさぞ悲しむだろうと煌輝は内心思う。


「俺も特に何もできなかったんだがな。ほとんど君の姉がやってくれたようなものだぞ」

「そんなこと、ないです……! お兄さんが怖い人達から皆を守ってくれたのを、近くでちゃんと見てましたから」


 テロリストが乗っていたことに関しては煌輝も知らなかったのだが、それが結果的に伊吹を助けることにもなったらしい。


「それと、お兄さんからお花の冠をもらっていた女の子……とても頑張っていました。お母さんのこと、一生懸命に励ましていました」

「そうか……それはよかった。その後のことは何か知っているか?」

「はい。あの後直ぐに救急隊の方が駆けつけてくれて、お母さんと女の子は救急車で病院に向かいました」


 その話を聞いてホッと胸を撫で下ろす。まさか出産に立ち会いかけるとは思いもせず、あの時は努めて冷静に振る舞っていたが、内心はかなり動揺していた。


 無事に出産できたことを願うばかりだが、それにしてもあの一部始終を見られていたと思うと、なんだか気恥ずかしくなってくる。


「俺以外の国魔師なら、もっとスムーズに事は運べたと思うがな」


 苦笑いする煌輝に伊吹は頭をふるふると横に振った。


「乗客の人達も、お兄さんに感謝していましたし、褒めていました……! 子供にもとても優しくて、私もその……お兄さん、かっこいいなって……」


 暗がりでもわかるくらいに伊吹の顔が赤くなっているのがわかったが、どうしてそうなったのかまではわからなかった。


「年寄りと子供には優しくあれって絢芽がうるさくてな」

「そ、そうなんですか……?」


 煌輝は若干コミュニケーション能力に乏しいところがあるものの、こと少年少女や老人に関しては割りと好かれるタイプである。


「ああ。あと女性にも、な」


 そう言って慰めついでに彼女の頭に手を乗せると、ひゃとか細い声が返ってきた。

 怖がるというよりは恥ずかしがっている様子だったが、その理由に気が付かない煌輝はそのまま話を続ける。


「それにさっき夢にうなされていた俺を助けてくれたのは君だ。本当に感謝している」

「そ、そんな……私は何も……」

「謙虚なことは良いことだが、たまには自信を持ってもいいんだぞ」


 そう言って優しく声を掛けると、伊吹は恥ずかしそうに顔を俯かせた。

 だが、


「そ、それじゃあ……」


 伊吹は自身の頭に乗せられていた煌輝の手を両手でそっと掴んで胸の前に持ってくる。

 そして彼女が目を閉じると――室内の雰囲気が穏やかになったような気がした。鼓膜から伝わる微かな揺れにその答えに辿り着く。


「もしかして君は……気圧を操作できるのか?」

「少しだけ、です。お部屋の気圧を少し変えてみたんですけど、どうですか……?」

「体が軽いような感じがするな。呼吸も楽な気がする」


 気がするばかりであまり褒めていないのではないかと慌てて答えを訂正しようとするが、伊吹はホッとしたような顔をしていた。


「お兄さんが眠れるまで、こうしていてもいいですか……? お兄さん眠ったら、私も直ぐに眠るので」

「あ、ああ……」


 促されるまま煌輝はソファに横になり、伊吹に手を取ってもらっている。

 だがそれがなんとも心地良かった。幼少の頃、寝付けずにいたのを母親に寝かしつけてもらっていた時のことをふと思い出していた。


 安心感や優しさが彼女の手や雰囲気から伝わってきて、今なら確かに美颯が彼女を溺愛するのもわかるような気がする。


「おやすみなさい、お兄さん」

「ああ、おやすみ」


 さっきまでの恐怖心は完全に払拭されていた。今ならきっと気持ちよく眠りにつけるだろう。

 そしてどこか懐かしい気持ちを思い出しながら、煌輝はゆっくりと眠りにつくのだった――。

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