第五章 第33話



 昼下がりのある日。

 年間を通しての行事の確認や進路についてのオリエンテーションが教室で行われていた間、煌輝は窓の外を眺めて時間を潰していた。


 もちろんその内容などについては当然、頭に一つも入ってきていない。


 何度か美颯に注意されたものの、その度に琴音が「止しなさい。頭良さそうな外見だけれど、中身はバカそのものなのよ」とか「それは草摩君の抜け殻だから話し掛けても意味ないわ。実は彼、セミの仲間なの」と意味不明な茶々を入れてきたこともあって、余計に頭には入ってこなかったのだが。


 こんな日常がこれから一年にも渡って続くと思うと煌輝は憂鬱だった。相変わらずの仏頂面も、普段以上に不機嫌そうに見えるかもしれない。


 これからの学生生活を憂いていた頃。校舎の外では、ある異変が起きていた――。

 異変にいち早く察知したのは、窓の外を眺めていた煌輝だった。

 

「……?」

「どうしたの草摩君」

「何か、嫌な感じがする」


 探るように意識を窓の外へと向ける煌輝に、琴音も窓の外へと意識を向ける。


「確かに、殺気が混じっているわね」


 この程度の距離から気づかれるようでは素人も同然だと言えるが、煌輝はそれ以外にも何か別の気配を感じ取っていた。


 それが何なのかと意識を集中させていると、直後に校舎の外から銃声と悲鳴が聞こえてきた。


 ここ成守学園では、テロ犯罪や立てこもり事件を想定した強襲訓練が行われることもあって、日常的に銃声や爆発音が聞こえてくることはさほど珍しいことではない。


 不可解なのは三年の生徒が悲鳴を上げるほどの何かが、学園内で起きているということだ。魔導科の生徒なら一年生はともかく、三年生が悲鳴を上げるなどほぼあり得ないことである。


「事故ってわけでもないでしょうし、この時期に三年生は演習をやるのかしら?」

「そんなわけないだろ。見た感じ実弾だぞ」


 席を立って――十二階の窓の外を確認する煌輝は、眼下に広がる光景を冷静に分析していた。


 外では武装した集団が学園へ向かって銃弾を発砲しているように見える。それを魔導科の上級生と思しき生徒が応戦している最中だった。


「じゃあ襲撃かしら。この学園に襲撃なんて無謀もいいところね」


 一般的な学校と違って、リミナスを扱う能力者が多く在籍しているこの学園を、わざわざ襲撃する意図がわからない。


 教員の中には紫のような国家魔導師もいるのだから、襲撃がまともに成功するとも思えない。


「どうする? 俺らも行くか?」

「貴方が行くのなら、私も構わないけれど」


 いまいち状況が飲み込めないままの煌輝の問いに対し、琴音も相変わらず感情を表に出さず事務的に相槌を打つ。


 そんなやり取りを二人がしていると、


「行くに決まってるでしょ! 二人とも早く準備して!」

「って、何してるんだ大神!? ここ十二階だぞ!?」


 今まさに窓の外へ飛び出そうとしている美颯を前に、煌輝が驚愕の声と共に制止させようと手を伸ばす。

 すると、


「行くよ!」

「え? 行くってまさか、ここから――ッ!?」


 手を掴んだことがどうも準備が整った合図だと勘違いされ、煌輝は手を掴み返されるとそのままの勢いで窓の外へと吸い込まれるように出ていってしまう。


「ちょ、ま、待てッ! って人の話を――」


 言い終える前に、煌輝は美颯と共に十二階の教室から姿を消した。 

 遠くなっていく煌輝の絶叫を教室で聞き届けた琴音が一人呟く。 


「せっかちね。人のパートナーを勝手に連れ出すなんて」


 呆れた声音の中に少し嫉妬を滲ませる琴音。

 どうも彼女がこの学園に来てからというもの、煌輝が振り回されてばかりな気がしてならない。


 珍しく自身の感情が乱されていることに気づいた琴音は、らしくないなと一人笑う。

 ふぅ、と短く息をつくと、彼女もまた足早に教室を後にするのだった――。


***


 校舎の外では、およそ五十を超える武装したテロリストと魔導科の生徒が攻防を繰り広げていた。


 どうやらテロリストの中にも能力者が居るらしく、生徒達は相手の攻撃を防御することで精一杯であることがわかる。


 校舎の陰に隠れて様子を窺いながら能力の発動を試みる生徒達だったが、実戦経験が皆無に等しい攻撃ではこの殺伐とした空気を前に点で的外れな場所に飛んでいってしまっている。


 もちろん教師の引率を経て現場に向かうこともあるが、そんな時は決まって安全な場所からか、あるいは隊の後列で待機している場合がほとんどである。


 ましてや今は教師の指示すらない状態で、統率が取れないまま生徒同士でパニックに陥っている様子だった。


 そんな攻防を前に、煌輝の思考は明後日の方向へと向いていた。


「俺が大事に育てた花壇をめちゃくちゃにしやがって……! 花だって生きてるんだぞ!」

「文句はあと! 今は生徒達の安全が最優先だよ。このままじゃ生徒の中に死傷者が出るかもしれない」


 人の心配よりも先に花の心配をする煌輝とは違い、美颯は実に国家魔導師らしい言い分だ。戦況もよくわかっている。


 とりあえず怒りを心の奥底へとしまいこみ、煌輝も冷静に戦況の分析に努める。

 

「でもどうする。銃弾や魔法が飛び交う嵐の中に突っ込むなんて、それこそ自殺行為だろ。この状況じゃ背後からの誤射もあり得るぞ」


 煌輝の言い分も正しかった。いくら国家魔導師とはいえ、武装したテロリスト集団を相手に生徒を庇いながら戦うとなると話は別である。


 パニックに陥っている魔導科の生徒がどんな行動を起こすのかも予想がつきにくく、作戦を立てることも難しい。ましてや悠長に作戦を練っている時間はないのだ。


「策ならあるけど、これやったら多分煌輝くん怒るかも?」

「怒る……? 花壇に何かする以外のことだったら別に怒らないぞ」

「本当?」

「ああ」

「そっか。でも先に謝っておくね。ごめんなさい」

「……は?」

 

 策があるのに先に謝るとは一体どういうことだ、と問い返そうとする前に、美颯は自身の足元に向かって強烈な踵落としを叩き込んだ。


 凄まじい音を立てながら地面に大きな窪みを生み、辺り一帯を暴風が襲う。ついでに煌輝も少し吹っ飛んだ。


「――おいこら大神ッ!! お前なにしてくれてんだ! 危ないだろ! こういうことするなら先に言えよ!?」


 いや、そういえば先に言っていたな、とボソっと独り言を呟く煌輝。

 辺りが静まり返っていることに気が付いたのは、制服についた土埃を冷静に手で払っていた時である。


 先ほどまで鳴り続けていた銃声や悲鳴がピタリと止んでいるのだ。


 訝しげに見回すと、どういうわけか生徒やテロリストの一同が顔を揃えて口を半開きにさせて煌輝の方を見ていた。そして美颯の姿だけがどこにも見当たらない。


 そこでようやく美颯の真意に気が付いた煌輝は、次の瞬間に起こる行動を予測して顔面蒼白となって口元を戦慄かせた。


「謝るってそういうことか……!!」


 そう――全員の銃口と掌が一斉に煌輝の方へと向いたのだ。

 テロリストも魔導科の生徒も関係なく全員が全員、美颯の攻撃によってパニックに陥っていた。

 

「うわぁぁぁぁ――!!!!」


 誰かの、悲鳴にも似た絶叫を皮切りに、何十にも重なった銃弾と魔法が煌輝へと降り注ぐ。

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