第36話


 成守学園の高等部にキメラが出現し、煌輝達が対応に迫られていた同時刻。成守学園の中等部では既に一人の少女の手によって騒ぎは治められていた。


 間もなくして駆けつけた美颯は、中等部の校庭に広がる光景を前に愕然と立ち尽くす。


「これは一体……」


 校庭にぽっかりと空いた穴。揺らぐ陽炎。そこは焦土と化して高熱を漂わせている。


 中等部へ向かっている途中で凄まじい爆発音が聞こえ、辿り着いた時には既にこの状態となっていた。


 誰かが能力を行使したことは明白だが、ここは中等部である。美颯達以上の能力者がいるはずなどない。


 それもたったの一撃で、融解を引き起こすまでに地形を変えてしまう能力者など美颯はかつて見たことがなかった。


 仮に教師の誰かがやったとしても、この学園に上杉紫以上の能力者はいない。

 では一体、誰の仕業だというのか――。


「あれー? お姉さん、高等部の人ー?」


 背後から掛かった少女の声に、美颯は思わず体が硬直する。

 呑気そうな声音とは裏腹に、その少女の接近に全く気づけなかったのだ。


「わ、お姉さん美人ー!」


 回り込むようにして正面に立った少女に美颯は目を丸くさせる。


 術者は――とても小柄な少女だった。この少女こそが眼前の光景を作った張本人だと、美颯は本能的に確信する。


 抜けるような白い肌。桜色の唇。宝石を彷彿とさせる杜若色の瞳。金糸の髪は陽の光を浴びて煌々と輝いていた。まるで人形のような愛らしい姿をした少女からは、どこか人間離れした魅力を感じる。


「ねーねー。その耳、本物だよねー?」


 目をキラキラと輝かせながら興味津々に尋ねてくる少女を前に、美颯は未だに口を開けずにいる。


 それはこの少女の内に秘める潜在能力の高さを見抜いたからだった。


 ――強い。強すぎる。今下手に動けば殺されるかもしれない。


 国家魔導師としての直感がこの少女に対して警鐘を打ち鳴らしている。

 爆発音につられてか、校舎内の窓から顔を出す中等部の生徒がちらほら見て取れた。


茉莉まつりも、お姉さんみたいなケモ耳が欲しかったなぁ。牙じゃパッと見わからないし?」


 きひひと笑う少女の唇から可愛いらしい白い牙が生えているのが見えた。

 それを見て直ぐに“亜人種”であることがわかる。それも鬼種――“吸血鬼”であると。


「あーあ。久し振りに力を使えたと思ったら、直ぐに終わっちゃったんだもん。全然遊び足りないなぁ」


 未だ熱を発している焦土を眺めながら、少女は不満たっぷりだと言いたげな表情を作る。


 次の瞬間には、うーんと、考え込むような素振りを見せころころと表情を変えていく。  

 

「あ、そうだ! お姉さん見るからに強そうだし、茉莉と少し遊んでくれない? ちょっとでいいからさ。もちろん手加減するよ?」


 純粋無垢な笑顔を振りまく少女の紫色の瞳が――紅く染まる。自然と吸い寄せられてしまうような、不思議な魅惑を秘めた真紅の色に。


 そして少女が天に向かって片手を振り翳すと、直径五メートルほどの大きさをした球体が灼熱の炎を纏って上空に顕現した。


 球体から発せられる陽炎が一瞬にして地面を焦がし、圧倒的な熱量に大気が灼熱の渦を巻き熱波が美颯の頬を撫でる。


 まともに直撃すれば骨の破片すら残さず灰と化すだろう――。


 そう思わせるのは、まるで目の前に小さな太陽が顕現したのかと錯覚してしまうほどの衝撃を受けたからにほかならない。


 あまりに現実離れし過ぎた光景を前に、美颯は息を呑んだ。


「まさか……“擬似太陽ピアシングフレイム”……!?」


 辛うじて美颯が口にしたのは、日本の吸血鬼に付けられたとある二つ名だった。


「ぴんぽーん! 正解だよっ!」


 きひひ、と楽しそうな笑みを浮かべる少女。


 魔導序列六位――西蓮寺茉莉さいれんじまつり


 天災に等しき力を持つとされる能力者の一人にして、不老不死とも称される正真正銘の吸血鬼である。


「正解したご褒美に何かあげるよ! 何がいいー?」


 美颯は戦慄していた。少女の頭上にある灼熱の球体。煌々と照り付くあれが落ちれば、この場所――いや、地域周辺が吹き飛ぶかもしれない。


 球体から発される灼熱の余波に、中等部の校舎からも次々に悲鳴があがる。


 国家魔導師としてこの場を治めなければならない。だが美颯の思考は今まで体感したこともないような恐怖で頭が回らなくなっていた。


 何か――何か手はないのか。


「さっきからずっと見てるけど、お姉さんはもしかしてこれが気になるの?」


 心の中を読まれたというより、表情から読み取られたのだろう。


「そんなに気になるなら、あげよっかこれ? ちょうど腕も疲れてきたしー?」

「――ッ!?」


 少女は笑顔を絶やさぬまま、翳していた手を地上に向かって振り下ろそうとする。

 もうダメだ――そう思ったその時。


「――遊びが過ぎますよ。茉莉さん、おやめください」


 静謐さを秘めた声音が、張り詰めていた空気を一転させた。

 灼熱の球体に向かって伸びた一筋の翠玉の光が、みるみるうちに球体からエネルギーを吸い取っていく。


 それが伸縮する鞭であることがわかったのは球体が完全に消滅してからのことだ。


 カラカラと下駄を鳴らして二人の間に入ってきたのは、和服に身を包んだ菫色の髪の少女――草摩絢芽だった。


 呆然と立ち尽くす美颯に歩み寄ると、絢芽は優しく手を取って一声掛ける。


「お怪我は?」

「い、いえ……」

「もう大丈夫ですよ。わたしがこの場にいる限り、あの子に好き勝手はさせませんので」


 おっとりとした雰囲気からは優しさが溢れ、向けられた眼差しからは母性のような温かさすら感じさせる。


 安らぐような声音を聞いた美颯は腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。


「人を怖がらせるような真似をしてはいけないと、わたしは何度も言い聞かせましたよね」


 茉莉と呼ばれた少女に向き直った絢芽は、子供を叱るような言い方で、キッと睨む。


「絢芽ちゃん、これは冗談だってばぁ。本当にやるわけないじゃーん」

「何が冗談ですか。それは一度顕現したらご自身では消せないでしょう。それともここ一帯を吹き飛ばすおつもりで?」

「茉莉はそんな野蛮なことはしないよー! 絢芽ちゃんが来るのわかっててやったんだもん」

「言い訳は無用です。とにかく、勉学に勤しむ生徒の皆さん――煌輝さんが通う学び舎を傷つけるような真似はおやめください。もしこれ以上勝手な行動を取られるというのなら、私も実力行使に出させていただきますよ」 


 翠玉に光る鞭を地面に叩きつけると、思わず耳を塞いでしまうほどの炸裂音が鳴り響く。その姿は百獣の王である獅子を躾ける調教師のようだ。


「ふーん? 絢芽ちゃんと戦えるんなら、それはそれで面白そうだけどねぇ?」


 獅子は怯えるどころか、無邪気な笑みすら浮かべて金糸の髪を揺らす。だがその表情とは裏腹に溢れ出す殺気は計り知れない。


 殺気を向けられている絢芽はそれを意に介さず、冷静な面持ちで顔色一つ変えず真っ直ぐに見つめ返していた。


 一触即発な雰囲気が漂う中で、一発の銃声が聞こえたのはその直後のことだ。

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