第9話


 騒がしくなった教室に教師が入ってきたのは、それからしばらくしてのこと。

 切れ長な目をした快活で人当たりの良さそうな美人教師が、毛先にかけてゆるく波打つ栗色の髪を揺らしながら教卓の前に立つ。


「はい皆席に着いてー。ホームルームを始めるわよー。今から三秒以内に席に着いてない生徒はお説教か拷問でーす」


 教師の声を聞くや否や、煌輝は身震いすると指示を無視して反射的に机の下に飛び込むようにして隠れてしまった。


「……草摩君? 防災訓練にしては少し気合いが入りすぎているんじゃないかしら。それとも私のスカートの中でも覗こうとしているの? とんだ変態ね。ちなみに今日の下着の色は――」

「誰もそんなことを聞いていないから! ちょっと条件反射で伏せただけだから!」

「貴女だけ随分と物騒な世界で生きているのね」

「ま、まあな」


 何しろあの人の説教はどっちにしろ拷問――と言いかけたところで、煌輝の声はあろうことか銃声でかき消された。

 

「煌輝ー? 私は三秒以内に席に着けって言ったわよね? 誰が伏せろなんて言ったかしら。あと余計なことは言わなくていいのよ。わかった?」


 ニコッと笑う美人教師の手には当然ながら拳銃が握られていた。


 名前を呼ばれた煌輝は、机にできた真新しい弾痕を見ながら黙って頷いて席に着く。これ以上あの教師の癇に障れば次に穴が空くのは自身であると理解したからだ。


 朝から物騒なことだらけだが、これが国家魔導師の日常と言われればそこまでである。


「それじゃホームルームを始めるわよー。今日からこのクラスを受け持つことになった、上杉紫うえすぎゆかりです。皆よろしくね」


 静まり返った教室内を満足そうに見回しながら話すのは、非常勤講師ながらクラスの担任を勤める上杉紫。二十二歳。


 国家魔導師の資格を持つ教員が不足しているこの学園では、二十歳以上の者であれば教員として採用されるケースがある。


 歳が近いということもあって生徒にもそれなりの人気のある教師だが、能力者としても屈指の実力を誇る現役の国家魔導師――というのが彼女の表の顔だった。


 ちなみに煌輝と紫はワケあって、幼少の頃からの古い縁がある。


「まず始めに……皆も今日から二年生ということで、去年よりもずっと厳しいカリキュラムが組み込まれてるから覚悟しておいてね。去年は先輩達のバックアップがメインだったけど、今年からはそれぞれのスキルに応じて実際に交戦してもらうケースも出てくるわよ」


 魔導科の生徒は一年生の頃から実際の事故や事件へ国家魔導師や上級生のバックアップとして事件に同行するカリキュラムが組み込まれている。


 入学したての頃は大半の生徒が目の前で起こる惨劇を前に、体がピクリとも動かなくなってしまうことがよくある。


 最初の頃は裏方に回るためそれほど危険に曝されるわけではないが、二年生にもなるとそうもいかない。


 実際に拳銃を持った相手と交戦になることもあれば、見たこともない力を使う能力者が相手になる場合も出てくる。最悪の場合、死に至るケースもある――。


 魔導科の意義とは国家魔導師を目指すだけでなく、自身の能力と向き合い制御することで将来的に社会で役立てる、という面も含まれている。


 実際の事件を通すことで改めて、自身の持つ能力が相手にとって脅威になり得ることもある、ということを体感してもらうことが目的の一つでもあるのだ。


 見回しながら言う紫に、生徒達は各々で不安そうな表情を見せた。


「不安になる気持ちもわかるわ。私だって初めて戦場に立ったときは足が竦んだものよ。でもね、入学当初は怖かっただろうけど、一年を通してそれなりに慣れたでしょ? 悲しいけど人間ってそういう生き物なのよ。今直ぐ慣れろとは言わないわ。それでもこの学科に在籍している以上は自然と慣れていくものだから」


 それは生徒の気持ちを察してなのか、自身の経験則からなのか、紫は苦笑交じりに話した。


「国魔師になりたいなりたくない以前に、この一年は今後の進路を含めて自分の能力と向き合う機会でもあるから無駄な時間を過ごさないように。わからないことは私だけじゃなく、先輩達にも積極的に聞きなさい」


 そう言って煌輝と琴音を指差す紫。しかし二人はそっぽを向いて人の話しなど聞いていなかった。

 若干の青筋を立てながらも笑顔を作り直した紫は話を続ける。


「先生からのアドバイスは……そうね。無理は禁物ってところかしら。体力もそうだけどメンタルもどんどん削られて行くから、少しでも現場に出るのが怖くなったら遠慮無く言うようにね」


 生徒たちの表情がますます緊張に満ちていく中、煌輝だけは不満そうな表情で紫をじーっと半眼で睨んでいた。


 理由は簡単である。遠慮なく『無理です』と言ったにも関わらず、煌輝は毎回のように事件へと駆りだされているからだった。


 厳戒態勢が敷かれた麻薬取引事件に囮役として一人放り込まれたり、ある日は能力者同士が殺し合っている戦火の中へ蹴りこまれた日もあった。


 そんな視線に気が付いたのか紫は何か思い出したように、それと――と付け加える。


「約二名。率先して事件の解決をしないような資格の持ち腐れをしている子達みたいにはならないよう、くれぐれも注意すること。いいわね?」


 紫が貼り付けた笑みで煌輝と琴音の二人を見ながらそう口にした。


「あら。それはどこの誰かしらね。草摩君、心当たりあるかしら」

「わからないな。他クラスの生徒の話だろ」


 心当りのある二人はわざとらしく知らないふりをする。

 本来ならば模範生として在ればならない二人だが、本人達にその自覚がないのか反面教師的な立場となっている。


 そもそも煌輝が国家魔導師になることを志すことになった経緯――。それは国家魔導師が本来持っているであろうはずの正義感や責任感といった正統性があるものではない。


 簡単に言ってしまえば復讐だった。


 長年追い続けている人物に近づくため――。

 あんな思いを二度としないため――。


 その可能性を少しでも高めるためだけに、煌輝は国家魔導師となったのだ。

 過去に体験した惨劇は、今もなお煌輝の心を苦しめ蝕んでいる。


 この学園に入学することになった経緯も、家系の事情によるところが大きく望んで入学したわけではない。


 そこに本人の意思は微塵もなく、ただ家族を守るために入学せざるを得なかった、といった方が正しいだろう。


 珍しく感傷的な気分に浸って昔のことを思い出していた時、教室の扉が勢い良く開けられ一人の女子生徒が入って来た。


「すみません! 遅れました」


 入ってきたのは銀髪の少女だった。急いで走ってきたのか頬が若干紅潮している。

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