第29話


***


 窓の外は夕焼け色に染まっていた。下校時間のピークが過ぎた校内は誰も廊下を歩いておらず、異様な静けさが漂う。


 黙々と廊下を歩く煌輝に、追うようにして背後を歩いていた琴音が声を掛ける。


「草摩君が特定の誰かに関心を持つなんて珍しいこともあるのね。取り乱すところも初めて見たわ。今夜は雪でも降るのかしら」


 基本的に花のことばかり考えていて、普段は大人しい人間だとわかっているからこそ、煌輝があれほどの反応を見せたのは琴音からしたら意外だったのだろう。


「……見苦しいものを見せて悪かったな。止めてくれたことには感謝している」

「別に私は気にしてないわ。草摩君にも人間らしいところがあることを知って、むしろ安心したくらいよ」


 軽い口調で言ったのが彼女なりの気遣いなのだとわかったからこそ、煌輝も苦笑いせざるを得なかった。

 煌輝が再び歩き出すと、琴音も歩調を合わせて追ってくる。


「珍しついでに一つ、聞いても良いかしら?」

「なんだ?」

「上杉先生が話してた犯人に、何か心当たりでもあるの?」


 正直なところ情報が不足していて確証は得られない。だがそれでも煌輝が得た情報の中では一番有力な手掛かりだった。


「まあ、そんなところだな」

「あら。パートナーである私にも言えないことなのかしら」


 決して明るい話しではないことくらいは、質問した琴音にも理解できているはず。それでも聞くということは、取り乱した煌輝がそれだけ珍しく映ったのだろう。


 ――どう話そうか迷う。


 この犯人が本物だったことも考えれば、いずれは話さなければならないのかもしれない。


 これは遅かれ早かれパートナーである琴音にも知れることだろう。それならば、自身の口から語るべきだろうと煌輝は思い至った。


「まだ確証はないが……その犯人は八年前に俺の母親を殺した張本人かもしれない」


 足が止まる気配を感じ、煌輝はゆっくりと振り返る。

 そこにはいつもの冷静沈着とした態度ではなく、驚愕して目を見開く琴音の姿があった。目が合うなり彼女は慌てたように俯いてしまう。


「……ごめんなさい。無粋なことを聞いてしまったわね」

「い、いや……別にお前が謝るようなことじゃないだろ。今までこんな話をしなかった俺が悪い」


 目に見えて動揺する琴音を見て煌輝もまた驚いてしまう。彼女のことだから、てっきりいつも通りの何食わぬ顔が返ってくると思っていた。


「貴方は以前から炎系統の能力者を特に苦手としていたけれど、同時にどこか恐怖心のようなものも見て取れていたの。でも今ので得心がいったわ」


 自身の生い立ちについて互いに話し合ったことはないが、ここまで動揺しているということは事件当時のことを少なからず知っている可能性がある。


 ましてや彼女の情報収集能力から考えれば事件の詳細について何か知っていてもおかしくはない。もしかしたら、今まであえて聞かずにいてくれたのかもしれない。


「これだけのことがあったのだから、炎を恐れるようになってもおかしくないわよね。今まで気づいてあげられなくてごめんなさい」

「だ、だから謝るなって。なんだが氷月らしくないな。普段のお前なら『じゃあそいつの首でも取って盛大に祝杯をあげましょう』くらい言うだろ」

「……私は時と場合を考えて冗談を言ってるのよ。こんな時に冗談なんて言えるわけないじゃない」


 出来るだけ場の空気が重たくならないようにと、冗談半分に言った煌輝だったが、空気はかえって重たくなってしまったような気がする。


 さらに口下手なことが災いして、気の利いた返しもできず煌輝はため息混じりに頭をかいた。


「こんなこと今までなかったから、正直どうしていいかわからないんだが」

「それは……そうなるくらい、込み入った話をしたことがないからじゃないかしら」


 琴音の素早い返しに煌輝は思わず、なるほど、と納得してしまう。

 よく考えれば互いのプライベートに関しての情報を一切知らない。向こうから私生活についての何かを聞かされたこともなければ、自身から彼女へ話したこともなかった。


 付かず離れずの関係といえば少しは良く聞こえるのかもしれないが、これで互いがまだ高校生という年齢を考えるといかがなものだろうか。


「私達って思っていた以上にドライな関係だったのね」

「別に嫌じゃなかったけどな」

「ええ。こういう関係も悪くないと思ってた」


 でも――と、琴音は一度言葉を切る。


「前よりも貴方のことを知りたいと思うようになったの。だから今度、聞かせてくれるかしら?」


 表情こそいつもの琴音に戻っていたが、瞳の奥にどこか不安の色が見て取れる。


「話すのは苦手なんだが」

「……そう」


 一瞬、彼女がしゅんとしたように見えた。

 だが、


「だから、お前のことを聞かせてくれ」

「……え?」

 

 思わぬ返答に琴音は驚いた様子で顔を上げた。


「まずは氷月の話から聞きたいと言ってるんだ」


 ろくに人間関係を構築していないせいでこんな言い方しかできなかったが、これが煌輝なりの精一杯の優しさだった。

 少し照れたように言うと、ようやく琴音の顔に微笑が零れた。


「じゃあ……相応の場所を用意してもらおうかしら」

「場所?」

「ええ。オシャレなカフェとか、ロマンチックな場所とか……そんな場所で話をしたいの。二人っきりになれるところもいいわね」


 唇に人差し指を添えて蠱惑的に揺さぶりをかける琴音だが、煌輝の反応は相変わらずなものだった。

 

「別に構わないが」


 揺さぶりに動じていないというよりも、揺さぶられていることに気づいていないという方が正しいのかもしれない。

  

「じゃあ、デートってことにしてもいいの?」

「好きにしろ。お前が呼べば俺はどこへでも行く」


 面白がって言う琴音に煌輝はいつも通り真顔で答える。 

 琴音が望めば直ぐに応じる。それが彼女と交わした契約の一つだ。


「貴方はいつだって優しいのね」


 琴音は少し頬を赤く染めて恥じらいながら、煌輝に聞こえない程度の小声でそう言った。 


「何か言ったか?」

「なんでもないわ」


 表情を元に戻した琴音が次に発したのは意外な言葉だった。


「もし私にもできることがあったら遠慮なく言ってちょうだい。パートナーとして協力は惜しまないつもりよ」

「協力って……お前さっき、俺達じゃ手も足も出ないって先生に言ってただろ」

「あら。私は手も足も出ないって言っただけで、手を出さないなんて一言も言ってないわよ?」

「な――」


 けろっとした表情に煌輝の開いた口が塞がらない。


「潰せる機会があるのなら、積極的に打って出るつもりだから覚悟しておいてね」


 不敵に浮かべられる琴音の笑みに、煌輝はこれが彼女なりの優しさなのだと気づく。そして肯定ともとれる言葉は煌輝の肩の荷を軽くするには十分だった。


 ――恐れるものは何もない。自分はただ、真っ直ぐだけを見つめていればいいのだ。


 ふっと笑みを零して再び歩き出すと、今度は隣に琴音が寄り添うようについてくる。


 異様な静けさを漂わせていた廊下が、少しだけ温かみを帯びたような気がした――。

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