第30話
琴音と別れた煌輝は、学園の敷地内にある花壇を見て回っていた。
というのも、この学園に咲く全ての花は煌輝が教員から依頼されて育てているものである。
去年までの成守学園では私的な決闘が後を絶たず、器物を破損させることはおろか重傷者を出してしまうほど酷い時期があった。
そこで風紀の乱れを正す一環として緑化委員会が設立されることになり、そこへ煌輝が育てた花が一役買っているのだった。
花一つ咲いていなかった寂れた敷地も、今では芝生としてシロツメクサがいっぱいに広がり、花壇には色鮮やかなチューリップの花が咲いている。
シロツメクサの花言葉は“幸運”。チューリップ全般の花言葉は“思いやり”である。
その願い叶ってか、以前とは比べ物にならないほど損失が減り、生徒の表情も心なしか明るく見えるようになったという。
ちなみにこの花が咲くまでの間に私的な決闘が何度か行われ、花壇が破損する事件が起きたことがある。
何よりも愛する花を踏みにじられたことにより、怒り狂った煌輝が上級生二人をボコボコにするという本末転倒な事件が起きたのはごく一部の生徒にしか知られていない――。
少し歩くと、鮮やかなチューリップが咲く花壇が見えてきた。
ここに訪れるのも慣れてきたものだが、今日の景色はいつも見ていたものとは少し違っていた。
煌輝の視線の先には、中等部の制服に身を包んだ小柄な少女の後ろ姿があったのだ。銀色の髪が風に揺られて靡いている。
しゃがみ込んで何かしているようだが、ふとその後ろ姿が誰かに似ていると思う煌輝。
静かに歩み寄ってみると、
「……これで良し。早く元気になるといいね」
やや幼く、か細いながらも上品さと優しさを漂わせた声音。
どうやらこの少女は風で倒れてしまったチューリップの花を修繕していたようだ。
どこから持ってきたのかは定かではないが、園芸用の支柱を用意して茎部分をビニール紐で縛って固定する手際の良さは、普段から花の手入れに慣れていないとできないものだった。
手際の良さも然ることながら絵に描いたような淑やかさの少女を見て、琴音や紫にこの少女の姿を見て更生してもらいたいと密かに思う煌輝。
これぞ我が国が誇る淑女であると。どこかの毒舌とメンヘラはお断りだと。
少女は花の香りをゆっくりと吸い込むと、うっとりとした表情をさせて熱いため息を吐いた。
「良い香り。凄く綺麗なチューリップ……八重咲きなんて、珍しいよね? ローズチューリップっていうんだよね……? 赤色は、咲いてないのかな?」
先ほどから誰かと話している様子の少女なのだが、煌輝の角度からでは何も見えない。独り言だろうか。
とはいえ昨今では呪術や霊術というのも別に珍しいものでもないため、恐らく使役している式神や精霊の何かと会話をしているのだろうと煌輝は勝手に判断していた。
そんな少女の背中を微笑ましく見つめていた煌輝の視線に気が付いたのか、少女は体をビクッと震わせると慌てるように振り向き、
「――ッ!?」
そして目が合った。
驚愕の色に瞳を染める少女だったが、煌輝の瞳も同様の色を映し出していた。
何せ声にならない悲鳴を上げた銀髪少女の頭に突然、ぴょこんと――獣の耳が生えてきたのだ。驚かない方がおかしい。
それが狼の耳であると瞬時にわかったのは、大神美颯にも全く同じものが生えていたからである。
そういえば美颯には妹が居ることをつい最近写真で見せてもらったことを思い出す。桜を彷彿とさせる美しさが、間近で見るとやはり似ていると思う煌輝。
記憶に新しいこともあって、この少女が美颯の妹であるという確信を抱いた。
「あ、あの……こ、これは……その……」
飛び出してきた耳を隠すように両手で覆う銀髪の少女。スカートがふわりと少し浮いているように見えるのは尻尾が生えているからだろうか。
細身で華奢な体つきからどことなく儚さを感じるが冷たい印象はない。困ったような下がり眉はむしろ不思議と庇護欲をそそらせる。
「ご、ごめんなさい……」
狼の耳に気を取られているうちに、少女が蚊の鳴くような声でそんなことを言い出した。瞳には涙が浮かんでおり今にも零れ落ちそうだ。
どうやら狼の耳を見られたくないようで、怯えた様子の少女は必死に押さえつけるようにソレを隠そうとしている。
亜人種の差別は今に始まったことではないが、基本的には忌み嫌われ避けられる場合が多い。しかし見るからに気が弱そうな彼女は、亜人種であることを理由にいじめられていたのだろう。いきなり謝ってきたのも恐らく反射的なものに違いない。
「あー、その……なんだ。こっちこそ驚かせて悪かったな。俺はここの花壇に用があって来ただけなんだ」
「いえ……わ、わたしは……その……」
「大神美颯を待っているんだろう?」
なんの用もなく中等部の生徒がここにいるはずがないと思っていた煌輝は、話を進めるべく銀髪の少女がこの高等部にいる理由を言い当てた。
「お姉ちゃんを、知っているんですか……?」
「同じクラスだからな。なんなら姉を呼んでくるが」
「だ、大丈夫、です……お姉ちゃんが来るまで……もう少し、お花を見ていたいので……」
そうか、と静かに納得した煌輝が花壇に向かって歩を進めると、それに連動して銀髪の少女が花壇から離れていく。
気にせず花の手入れを始める煌輝だったが、背後からまだ視線を感じるのでチラッと横目で見ると、少女が木の影に隠れてこちらの様子を窺っていた。
「そんなところに突っ立ってないでこっちへ来たらどうだ。花が見たかったんだろう?」
「……ぁ……ぅ……」
何気なく話しかけたつもりなのだが、少女はおどおどとしてその場から動く気配はなかった。
どうも人と話すことに慣れていないようで、気丈に振る舞う姉とは違い、気が弱く極度の恥ずかしがり屋らしい。
――そういえばそんなことも言っていたか。と思い出した煌輝は、視線を花壇に下ろしたまま少女に話し掛ける。
「これは、君がやってくれたのか?」
「は、はい……たまたま見かけて……」
「そうか。手を煩わせて悪かったな。いや……ここは礼を言うべきか」
「い、いえ……」
顔を向けると、少女は目が合うなり頬を赤くさせて木陰に顔を隠してしまう。
狼の耳だけが残った光景を前にどこか愛らしさを覚えた煌輝が思わず笑みを浮かべていると、そんな彼の視線に途中で気がついたのか少女は慌てるようにして耳を隠す。
“亜人種”の差別は今に始まったことではないが、この少女は特に自身の身なりを気にしているらしい。
だが元々人との距離感というものをあまり理解していない彼は、そんなことなど気にせず花壇に目を向けながら話を続ける。
「それにしても実に手慣れているな。普段から花の世話を?」
「は、はい……お花が……好き、なので……お家でガーデニングを、しています……お姉ちゃんも、喜んでくれるから……」
「何を育てているんだ?」
「赤色の、ゼラニウムです。まだ、発芽したばかりですけど……」
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