第31話
ほう、と煌輝は感心した声を漏らした。
ゼラニウムは厳しい環境下でなければ、時期を選ばず咲かせることのできる比較的に育てやすい初心者向けの植物だ。
欧州では魔よけや厄よけの効果があるとされている花で、全般的な花言葉には“尊敬”や“信頼”がある。
少女が花の扱いに慣れているのは先ほどの手際の良さから見てもわかることだが、煌輝がその中でも特に注目したのは花の色だった。
赤色のゼラニウムには“君ありて幸福”という花言葉がある。
この言葉の存在を知って育てているのかはわからないが、知っていてあえて育てているのだとしたらそれは健気でとても微笑ましく思える。
「花を育てるのは好きか?」
「はい。お花を育てていると、優しい気持ちになれるので……」
少女は言葉を一度切って、それに、と付け加える。
「強く咲いているお花のように……私も、なりたいなって……」
何かになりたいと思えるその志が、煌輝には羨ましく思えた。自身にはそういったものがない。何にもなれず、何色にも染まらない。対象的な存在であるとさえ思えた。
「なれるさ。君はまだ開花していないというだけで、咲けばきっと綺麗な花になる」
綺麗と言っても、別に外見を指しているわけではない。強く咲いた花こそ、綺麗な花だと煌輝は思っているのだ。
そして少女の言う“強く咲く花”とは、おそらく美颯のことを言っているのだろう。決して悪に屈しない真面目で直向な姿勢は、煌輝も見習わなければならない部分である。
「どうして、そう思うんですか……?」
おどおどしながら尋ね返された煌輝は、ふむ、と考える素振りを見せ、
「君の心が美しいからだ」
少女を見るわけでもなく、真顔で言い切った。
あまりに直球的過ぎる言葉に、少女はみるみるうちに頬を赤く染めていく。
「私は……美しく、なんか……気味悪いだけです……」
自身の狼耳を触りながら、少女はか細い声で言った。
「そんなに自分を恥じたりする必要はないと思うぞ。俺は君のその姿を不審になんて思っていないから。気にせず堂々としていればいい」
「……!」
少女はこの世界から否定されることを恐れている。直感的にそう悟った煌輝はできる限りの肯定をした。
「それに。花が好きな人間に、悪い人間はいないと思っているからな」
不意に出た言葉は、煌輝が密かに抱いている持論だった。
心優しい人が花を育てているのではない。花を育てていくうちに、人は心優しくなっていくのだと――。
少なくとも今まで誰ひとりとして気にかけてくれなかった花壇のことを、少女は気にかけて花の修繕までしてくれたのだ。
踏み倒された花を前に、幾度となく悲しい気持ちになっていた煌輝としては、少女のことを心優しい人間であると思うのは道理である。
美颯も自身が亜人種であることを気にしている様子だったが、あいにく煌輝には可愛らしい獣耳など付いていないし、亜人種特有の悩みもよくわからない。
ただ、これ以上の同情はかえって少女の心を傷つけてしまうかもしれない。そう思って、煌輝は花壇の手入れに本腰を入れることにした。
木陰に隠れていた少女もしばらくして、もじもじとしながら勇気を振り絞るようにして煌輝から少し離れた花壇へとしゃがみ込んだ。
「この花壇は、先輩が……?」
「ああ」
「すごい、です……!」
「別に俺が一人で作ったというわけではないぞ。チューリップの球根や良質な土を運んだのは“
「そう、なんですか……?」
「ああ。俺はまだ学生の身だからな。一人でできることなんて限られている。誰かの助けなしには生きていけないさ」
母親を失っている煌輝にとって、それは人生の中で一番痛感させられたことの一つだ。
日常生活にしても、絢芽の支えがなければこうしてまともに学校へ通うこともできなかったとさえ思っている。
「君も何か悩んでいるなら、一人で抱え込まずに誰かの手を借りることも手だと思うぞ。それこそ姉に頼ったっていいはずだ」
ましてや大神姉妹は異国から海を渡って来たばかりだ。転入して右も左もわからず不安に思うのも無理はないし、まだ中学生の少女からしてみれば親の存在が恋しくもなるだろう。
そんな時こそ互いに手を取り合って生きていくものなのではないかと、煌輝は実体験を踏まえてそう考える。
「君の姉は、俺には何かと厳しいやつだが……優しい一面もあるんだろう?」
「はい……お姉ちゃんはとっても優しい、です」
照れたように話す少女には温かな笑みが零れていた。その笑みを見るだけで、美颯がどれだけ妹のことを溺愛しているかが手に取るようにわかる。
「でも……だからこそ、これ以上甘えちゃいけないような気がして……これ以上甘えちゃうと、私何もできなくなっちゃう、から……」
「変わりたいと思っているんだな」
「はい……お姉ちゃんと違って、出来の悪い自分が嫌になります……」
耳を伏せて話す少女に、煌輝は少なからず同情していた。
姉が優秀であるが故の劣等感。似たような経験を味わったことがあるからこそ、少女が自身を酷く蔑む気持ちもわかっていた。
だが、
「それも個性だと思うがな」
「え……?」
「姉のようになりたいと思う気持ちはわかる。だが姉と違って悪いなんてことはない。周りとだって無理して足並みを揃える必要はないし、自分の力でゆっくりと着実に成長していけばいい。花だって一輪一輪が個性を持っているだろう?」
「で、でも……皆に比べて、私は何もできなくて……能力だって、上手く使えなくて……」
「遅咲きの何が悪い。世の中には狂い咲きだってあるんだ。君はまだ開花していないだけのことで、見た目に変化がなくとも土の中ではしっかりと根を生やしていると思うがな」
今はまだそういう時期なんだと、煌輝は努めて優しく諭した。
「励ましてくださって、ありがとうございます……日本に来られて、よかったです」
「早くここの生活に慣れるといいな」
「はい。これから咲く、お花を見るのが楽しみです――」
警戒心が薄れてきたのか、作業を終えた頃には少女も頬を赤く染めて一生懸命になって話すようになっていた。
「花は見るのも良いが、咲くまでの過程を楽しむのもいいものだからな」
「必ず枯れちゃうのは、いつも寂しいですけど……また新しい芽が吹いたときは、嬉しい気持ちでいっぱいになります」
照れたように笑う顔にはやはりどこか美颯の面影を感じ、風に揺れる銀色の髪を見て二人が姉妹なんだと改めて実感する。
「あの、そういえば……どうして、ここには赤色のお花がないんですか……?」
「え?」
「す、少し気になっただけ、なので……」
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