第14話
紫から受けた連絡の後。美颯達と合流した煌輝は、さっそくパトロール兼街案内にあたるべく特区を歩き始めていた。
視界に映り込む建物はどれも真新しいものばかりで、古い建造物は一つも見当たらない。
それもそのはずだ。なぜならこの地域は今から半世紀ほど前までの間に、二度も戦地となったのだから――。
一度目は経済事情の悪化、内政の不振、資源問題等による様々な思惑から引き起こされた世界的な戦争によって。
二度目はとある種族の根絶をめぐった内戦によって、地形が変わってしまうほどの脅威に曝され跡形もなく消し飛んだ。
八つの主要都市がその被害に遭い、それによって生まれたのが“特区”である。
国が設けた施策の一つで、この特区に住まう能力者達は学費や家賃の免除、公共機関の無償化の他、医療機関の利用も国が全額負担という破格の待遇を受けることができる。
国はその見返りとして、リミナスに関する研究や倫理に反さない程度の実験への協力を求めることで、人類のさらなる発展と能力者との共存を施策したのだった。
公には能力者の保護を名目として全国に八ヶ所――特区を設けているが、本当の目的は能力者達を一定ヶ所に隔離することにある。
それによって魔導犯罪件数も特区が抜きに出て高くなるため、こうして国家魔導師を巡回させることによって魔導犯罪の抑止に繋げようとしているのだ――。
「平和だな」
「平和ね」
煌輝と琴音の二人は快晴の空を見上げながら、のんびりとした口調でそんなことを呟いた。
しかし周囲に目を光らせていた美颯からすればそうではなかったようで、
「全然平和じゃないわよ! あれを見て!」
背後からの声に煌輝達がゆっくりと振り返ると、今まさにひったくりが起きる瞬間だった。
中型バイクに跨る二人組が、通りを歩いている女性の鞄に向かって手を伸ばし荷物を奪い去っていく。手際の良さから見て常習犯であることはすぐにわかった。
「あれは警察の領分よ。私達には関係のないことだわ」
「ダメだよ! 人として見過ごすわけにはいかないよ! 現行犯で捕まえるよ!」
そう言って美颯は急いで黒いハンドグローブを両手にはめる。
「いやいや。相手はバイクだし追いつけるわけ――」
一陣の風が吹くと、煌輝たちの目の前から美颯が消えた、ように見えた。
直ぐに気配の行方を探すが、驚くことに彼女は既にバイクと並走している状況にあった。
「止まりなさい!」
「な、なんだこの女ッ――!? 能力者か!?」
「止まりなさい! 今なら痛い目を見ずに済むよ!」
「構わねえ! 振り切るぞ!」
美颯に忠告を無視してさらに加速する中型バイク。しかし彼女との距離が開くことはなかった。
「残念だよ」
そう言って美颯は手刀で中型バイクの後輪をパンクさせる。
「うわあああ――!?」
ハンドルを上手く切れなくなったバイクは転倒し、二人組の男が道路に転げ落ちていく。
このままではバイクの大破はおろか、二人組の男も壁か何かにぶつかって重傷以上の怪我を負うだろう。
最悪の事態が煌輝の脳裏をよぎるなか、転げ落ちた二人組の男の襟元を掴み上げた美颯は空中へふわりと舞った。
その眼下ではバイクが鋭い金属音を上げながら車道を滑っていき、やがて電柱へと衝突し動きは停止する。
二人組の男を抱えた美颯はふわりと地上へと舞い戻ると、速やかに男たちの身柄を拘束するのだった。
「……」
「止め方が些か雑ね」
一部始終の光景を遠くから眺めていた煌輝は思わず絶句。琴音は相変わらず冷淡な反応を見せる。
それからというもの、美颯は国家魔導師としての領分を越えた、どちらかといえば警察の仕事をこなしながら特区内を歩き回っていく。
途中で飽きてしまった煌輝は街にある花屋を見かけては足を止め、ショーウィンドウの中を覗き込んではニヤニヤとしながら不審者さながらの行動を取っていた。
「草摩くん! お花屋さんに事件は入ってないよ!」
「止しなさい。彼の生きがいを奪ってはダメよ。ああしている以外では基本的に仏頂面なコミュ障だもの」
「……知ってるよ。昔からそうだもん。ちっとも変わってない」
思い出を懐かしむように目を細める美颯に、琴音は首を傾げる。
「その言い分だと、草摩君と昔会ったことがあるように聞こえるのだけれど」
「向こうは覚えてないみたいだけどね」
「あら。人に対して失礼なのは昔からなのね」
「ふふ。そういうことになるのかな」
「なんか言ったか?」
二人の話に自分の名前が挙がっていたことを聞いていたのか、不機嫌そうに煌輝は顔を向けた。
「あの頃も、君はそうやってお花に夢中だったなって」
「いつの話だ?」
「幼稚園の頃だよ。小さな鉢植えを持ち歩いてたでしょ?」
確かにそれは幼稚園の頃の記憶だ。美颯の言う通り、幼少期の煌輝はいつも小さな鉢植えを持ち歩いており、幼稚園の先生に何度も叱られたのを覚えている。
だがその話を聞かされた煌輝の頭の中では美颯の存在の有無よりも、母親がまだ存命だった頃の在りし日の遠い記憶が薄っすらと蘇っていた。
「私は君のこと、煌輝くんって呼んでたんだけど……覚えてない?」
優しげに見つめてくる彼女の瞳を見て、煌輝はそれをどこかで見たことがあるような気がしていた。
出会ったのも今日が初めてではないようなことを教室でも言っていたが、もしかすると本当にそうなのかもしれないと思い始める。
抽象的ではあるものの、今まで思い出すことのできなかった記憶が確実に蘇ってきているのだ。
遠い記憶の彼方で、いつも誰かが自分の側で笑っていたような――それが誰だったのか、いつのことだったのか。完全に思い出すことはできないが、名前で呼ばれたことも今日が初めてには思えなかった。
「どうしたの? ぼけっとして」
「俺の呼び方は好きに呼んでくれて構わないんだが、その……よく覚えてないんだ。小さい頃のこと」
覚えていないというより、思い出したくないのだ。
思い出せば、生きていた頃の優しかった母親のことを思い出してしまうから――。
「別にいいもん。小さい頃も今みたいに花のことに夢中で、私が話しかけても全然相手にしてもらえなかったし」
ムスッとした表情は、かなり気にしていると遠回しに伝えているような感じだった。
思わず目を逸らした煌輝に、そうだ、と美颯は突然何かを思い出したように話し始める。
「私ね、色々覚えてるんだよ。煌輝くんのお母さんがブロンド髪の凄く綺麗な人だったこととか。あ、そうそう。お家まで遊びに行ったこともあるんだけど、それも覚えてない?」
楽しそうな笑みを浮かべながら訊く美颯とは対象的に、煌輝の表情から感情の色がなくなっていた。
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