第21話

 その望みは数秒のうちに打ち砕かれ、いよいよピンチになった。


「あっさり認めやがって……! 氷月、お前あとで覚えておけよ!」

「セリフがいかにも、これからやられる悪役のようね。ふふ、なんだか楽しくなってきたわ」


 ――こちらは全然楽しくないんだが。


 パートナーであるはずの琴音にあっさりと裏切られた煌輝は、体中に冷や汗をかきながらこの窮地をどう脱するか思考を巡らせる。


 国家魔導師を複数相手にするなど無謀もいいところ。もしそんな演習訓練があるとすれば、正解は『一目散に逃げる』ことである。

 あるいは、


「……おとなしく投降するしかないよな。人間潔しが一番だ」


 と自分を納得させるように小声でボソッと呟いた。

 それから間もなくして両手を挙げようとした時、


「煌輝ー? やらないとは思ってるけど、投降なんてしたら後でみーっちりお説教だからね? もちろん二人きりで」


 誰が言ったかは言うまでもなかった。在りし日の思い出が、彼女の顔を鮮明に映し出したから。

 どこか楽しそうな声が壁越しから聞こえ、挙げかけていた両手を素早く下げる煌輝。


「この学園はエスパーだらけか……」


 三人の国家魔導師を相手に逃げることも降伏も許されないとなれば、いよいよ戦うしか手がなくなってしまう。


 紫の説教と三人との戦闘を天秤に掛け、どちらがマシかを考えるが悩むまでもなく、戦った方がマシであるという考えに至る。


 負けの見えているこの戦いの戦況を少しでも良くしようと、煌輝は最後の悪あがきに出た。


「おい氷月。お前はどうして敵側にいるんだ。俺をパートナーだと思うなら、こっち側につくべきだろ」

「それは誤解よ草摩君。貴方が敵側なのよ」

「そういう意味で言ってるんじゃないんだが」


 察するに、交渉の余地すらないらしい。

 

「……お前は俺の敵でいいんだな?」

「それはそれで嫌ね。草摩君の卑猥な植物にあんなことや、こんなことされたくないもの」

「俺の植物達はそんなことしないだろ!」

「そうね。卑猥なことをするのは決まっていつも草摩君本人だったわね。植物に謝るわ」


 楽しげな声音に今度こそ遊ばれていると確信する煌輝。

 まともに取り合うだけ時間が無駄だと思い、静かにため息をついていると、


「煌輝くんも男なら観念して私達と戦いなさい! 逃げるなんて卑怯よ! 男として恥ずかしいとは思わないの!?」

「どっちが卑怯だ! お前らこそ寄って集って弱い者をいじめて恥ずかしいとは思わないのか!」

「微塵も思わないわ。むしろ楽しくすらあるもの」

「思わないのかよ……楽しいのかよ……」


 間髪入れずに返ってきた琴音の言葉に、煌輝は低く唸る。

 痛い思いをするのは確定だろうか――なんてことを考えていた、その僅かな隙だった。

 

「そっちが来ないなら、こっちから行くよ――!」


 油断していた煌輝の背後へ、美颯が一瞬にして詰め寄ってきていた。

 音速に達しようかという凄まじい疾さに、煌輝は目で追うどころか認識すらできていなかった。


 全く反応を示さない彼を前に、勝利を確信した美颯が回し蹴りの予備動作に入る。


「もらった――!」


 認知する間も与えない強烈な一撃が、鈍い打撃音を地下駐車場内に響き渡る。

 みるみるうちに亀裂の入る地面。衝撃の余波は離れた場所にいた琴音や紫にすら激しい暴風を届けた。

 だが、


「――えっ!?」


 攻撃は結果的に、煌輝へ届く前に阻まれていた。

 その手前に突如として現れた――漆黒に染まる薔薇の蕾によって。


「凄い威力ね。当たっていれば草摩君の首はなくなっていたかも?」

「ちょっと美颯ー? これ模擬戦なんだから殺しはご法度よー?」


 驚いているものの余裕のある琴音と紫は、煌輝に攻撃が当たらないことが最初からわかっていた様子。


「私は、一体何を蹴ったの……!?」


 足が痺れる感触に驚きを隠せない様子で、地面をコツコツと軽く蹴って足の具合いを確かめる。


 とても二メートルそこらが抱えている質量ではなく、植物のような弾力や靭やかさとも違う謎の感触だった。


 ましてや美颯の蹴りは鋼鉄さえも踏み抜くほどの一撃である。自身でも納得するほどの会心の一撃を叩き込んだはずだったというのに、傷はおろか黒薔薇の蕾はへこみさえしなかったのだ。


 煌輝の身を守ったこれは一体どんな物質で構成されているというのか。

 美颯が呆気にとられる中、蹴られた当の本人はというと――


「一体何が起こ――ってなんで大神が目の前にいるんだ!?」


 美颯から攻撃されたことに気付かないまま、黒薔薇の蕾からそっと顔を出すなり間抜けな声を上げた。


 いきなり視界が真っ暗になったかと思えば凄まじい音が蕾の中で反響し、外の様子を窺ってみれば辺りはめちゃくちゃになっていたのだ。


 二十メートルほど取っていたはずの距離も、たった一瞬にして詰められているのだから驚くのも無理はない。


 煌輝は慌てて距離を取り直そうと後退するも、その先では紫が拳銃を構えて待っていた。

 視認すると同時にマズルフラッシュが起こり、弾丸が心臓へと向かって飛んでくる。


「――ッ!!」


 しかし、不意に放たれた銃弾でさえも、煌輝に触れることはできなかった。

 植物の蔓がコンクリートの地面を突き破り、壁を作ることによって銃弾の進行を阻害したのだ。


「あらー? 種はもう仕掛けてあったのね。逃げながらも作業を怠っていないのは、さすが私の可愛い教え子ってところかしら」


 感心した声を上げる紫だが、万が一にも命中していたらと考え、煌輝は露骨に不機嫌そうな表情を見せる。 


 煌輝は植物の種を瞬時に開花させることによって、敵を捉えるための拘束具や身を守るための防壁として使い分けている。


 男子生徒達に追い回されている間に、建物のありとあらゆる場所に種を蒔き散らしながら逃げていたのだ。


「でもまだ甘いわよ」


 左手に護符を取り出した紫は右手に持つ拳銃で一切ためらうことなく植物の壁に向かって引き金を引く。


 何の変哲もない弾丸は直後、炎を纏って植物の壁を一瞬で燃やして貫き、煌輝の頬を撫でるように真横を通過して行った。

 

「――ッ!」


 同時に炎を見た瞬間、煌輝の脳裏ではある日の光景が過って体が縛られたように硬直していた。


 それは母親が殺された時の記憶。


 頬にヒリヒリと伝わる熱。炎に曝され焼け落ちていく家屋。微かに聞こえてくる母親の苦しそうな声――。


 思い出したくもない記憶が鮮明に映し出されたことによって、背筋に嫌な汗が流れる。


「煌輝ー? 今のは私が能力を使わずに撃ったってわかってたのかしら?」

「……ッ……!」


 紫の二つ名である“淘汰の猛追クイックハント”の由来はその能力の性質にある。


 任意の対象物か他の何かに命中しない限りターゲットを追尾し続ける、サイコキネシスやテレキネシスといった念動力系統がルーツとされる超能力。


 今はその能力を発動していなかったようだが、紫が本来の能力と併用していたとしたら避けたとしても追尾されて致命傷になっていたかもしれない。


「それとも、動けなかった? たとえ一瞬のことでも、能力者との戦闘じゃ命取りになるわよ」

「それは……!」


 言いかけた時、


「――隙だらけよ、草摩君?」


 琴音の声が駐車場内のどこからか聞こえてきたと思えば、地面を除いた全方位から小さな氷のつぶてが煌輝へと降り注ぐ。


 鈍い音を発しながら氷は粉々に砕け、辺り一帯が霧のように白くモヤがかかる。

 

「ちょ、ちょっと氷月さん!? それはいくらなんでもやり過ぎじゃ!?」

 

 考える余地はおろか逃げ場すら与えない容赦のない攻撃に、思わず煌輝の身を案じる美颯。


 だが反応すらできていなかった彼の背中に向かって、思い切り蹴りを入れようとしていたのは一体どこの誰だっただろうか。


「問題ないわ。これしきの攻撃じゃ彼の体には決して届かないもの」


 やる前からわかっていたと言わんばかりに、つまらなさそうな表情を浮かべた琴音が柱の陰から姿を現す。


 霧が晴れて視界が良好になってくると、煌輝の立っていた位置には黒薔薇の蕾が再び顕現していた。

 彼女の言う通り、やはりダメージを一切与えられていない。


「ほんと硬いわねー。まぐれでもいいから一度くらい穴が空かないもんかしら」


 まるで的当てでもするかのように、紫は黒薔薇の蕾に向かって銃弾を同じ部分へと寸分違わず撃ち込んでいく。


 貫通しないことがわかっての行動だろうが、ついさっき『殺しはご法度だ』と言っていたのは当の紫である。


 それに万が一にでも穴が空いた場合は、中に入っている煌輝が大変なことになってしまうのだが、そのことは全く考慮されていないらしい。


 教師に在るまじき発言に引いていた美颯は、とりあえず彼の能力を少しでも把握するために琴音に小声で尋ねる。

 


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